(22)通じ合ったのです。

 笑い囃す二人の冒険者を後ろに、豊穣の森へと足を進めます。大きな岩や木を避ける為か、道は僅かにうねりながら、森の奥へと続いています。轍の跡が有るということは、きっと荷車も行き来しているのでしょう。二人で並んで歩いても、充分に余裕の有る道は、しっかりと踏み固められていたのでした。


 一歩足を踏み入れただけで、昏い森との違いは瞭然でした。

 まず、明るさが違います。あちらはあちらで陰気とまでは感じていませんでしたけれど、こちらと較べればどんより暗いと言われても仕方が無いでしょう。豊穣の森は梢がキラキラとして、所々に色取り取りの木の実や花の姿が見え隠れするのですから、もう彩りが違います。

 そして匂いも違います。昏い森は、どちらかと言うとじめじめとしたきのこの匂いです。豊穣の森は、草花とスッと鼻の奥が爽やかになる不思議な匂いです。私の好きなクリウに通じる物が有るかも知れません。

 森の奥で騒つく気配も、昏い森では毛虫の物ばかりでしたが、こちらには多種多様な雑多な気配で塗れています。鳥の声だって煩い程に響き渡っているのですよ?


 そんな森の小路をてくてくてく。

 森に在るという湖までは、新しい装備の慣らしも兼ねて、細かく試していくのです。


 まずは小物、左肩に留めた二本の剥ぎ取りナイフは、私の魔力を込められるだけ込めた特別製です。毛虫の魔石の歪で魔力を纏めたのですが、何となく豊穣の森に漂う歪で置き換えたい代物です。まあ、それは後でもいいですよね。

 小路を外れた木の下で、梢付近に見える青い果実を狙います。

 肩から抜き様に投げ放つ、そんな技も開拓したいとは思いますけれど、今は普通に右手に取って、二本同時に指に挟んで投げ上げます。


 途端に景色が後ろに流れる錯覚を覚えるのは、魔力を感じる私の技が、ナイフを中心にも働いているからです。

 今迄は、私の魔力を薄く広げて、その中に在る何かの形を読み取っていたのですけれど、このところは魔力を広げなくても相手側からの放射だけで、ぼんやりと何かが在ることが分かる様に成ってきました。

 私自身、魔力が『隠蔽』されて漏れ出ていないために、より周りの魔力を感じ易くなっているところも有るのでしょうけれど、逆に私と同じ様に『隠蔽』されているとこの方法では感知出来ませんから、過信は禁物なのです。

 それでも普通の木々の形は掴めるので、狙った果実にナイフがしっかり向かっているかどうか位は、目を向けなくても分かります。


 一本はそのまま果実に突き刺さる儘に、もう一本は途中で軌道を変えて、下からは見えない果実のの部分を切り落とします。そこまで出来たら、後はゆっくり手元に引き戻すだけ。

 以前から、魔力で掴めば色んな物を浮かせたりという事は出来ましたけど、元から私の魔力を籠めに籠めたナイフは、魔力で掴むという動作が要りません。ナイフを造った時に少しだけ遊んでみた事は有りますが、今回明らかに私が広げた魔力の領域外でも操れた事が驚きです。

 今もふよふよと戻ってくるナイフ達とは、魔力の腕も繋がっていないのです。魔力的には私の飛び地なのかも知れませんが、何とも奇々怪々な現象です。


 魔力でても、目で見ても、ふよふよ戻ってくる果実とナイフの姿には変わりは有りません。どうやらそういうものなのだと割り切るしか無さそうだと思いながらも、支えも無く浮く仕組みを解明出来れば、空も飛んでしまえそうで、少しわくわくしてきます。真面目に研究してみたくなってしまいますね。

 でも、色々試してみるとしても、明日です。早く湖に辿り着かないと、今日はもう暗くなってしまいそうなのです。


 ですが、その前に【名刀】瑠璃色狼は試しておきたいところですね。

 と思って、森の中の気配を探ろうとしても――


「オッレたっちゃ、冒険者~♪ えいおー! えいおー! えーい♪」

「うっまい肉に~可愛っ子ちゃん♪ えいおー! えいおー! えーいえい♪」


 森の奥から帰ってくる冒険者達の喧噪に紛れて、良く分からないのです。

 でも、そんな中でも僅かに感じたその気配。


(おおぉう! ……毛虫達とは一味違いますね!)


 森の小路からぴょんぴょんと二十歩も離れていない所に、塊乱蜘蛛チュルキスが闊歩していました。

 背中の高さで私の二倍、顎の高さが大体私の頭と同じ位、灰色でずんぐりとした巨大蜘蛛ですが、何と言っても蜘蛛の巣に背中から落ちて絡まったのではと思える背中の縮れた蜘蛛の巣と、その間をごそごそ動いている沢山の子蜘蛛が特徴です。


 動物ですが、少し刺激しただけで背中の子蜘蛛が一斉に襲い掛かってくる事から、ランク六上位の魔物と同程度の脅威と見られています。

 こんな物が居てる横を、警戒を無くして歌って歩くなんて怖過ぎですが、もしかしたら魔物避けに、わざと騒いでいたのかも知れません。

 後でゾイさんにでも訊いてみるのがいいですね。


 見た目は非常に食欲の無くなる姿ですが、図鑑によると子蜘蛛の脚肉はとても美味しいらしいです。大蜘蛛の素材は大味らしいですけれど、帰り道なら兎も角、これから森へ行くのですから、大蜘蛛からは魔石位しか回収出来そうに有りません。……いえ、牙の先にも魔力が集まっています。前の二本の脚と眼の幾つかも、ですね。

 やっぱり、目ぼしい物は貰っていくことに決めたのでした。


 そんな塊乱蜘蛛チュルキス。既にしっかりと私に気が付いています。

 流石は眼が一杯有るという虫系です。それも黒目の集まりが十個以上は有りそうな、お目々お化けです。

 本当なら、『くくく、ようも気が付いたものよ。じゃがこれも世の定め。儂の為にその命、置いていって貰おうかい!』とか格好を付けたいところなのですが、流石にそんな余裕は有りません。

 この塊乱蜘蛛チュルキス、毛虫どころか芋虫よりも、格上の生き物というのですから。


 十歩以上の間を開けて、対峙しながらお互いの側面へ回り込む様に、ゆっくり左へ足を進めます。刺激が無ければ襲って来ないという子蜘蛛ですが、大蜘蛛が飛び掛かって来た瞬間に溢れ出しそうです。

 ゆっくりゆっくりお互いの周りを回る様に足を進めながら、右肩越しに【愛刀】瑠璃色狼の柄袋をそっと外します。そのまま魔力で柄を掴んで、スッと鞘から引き出します。大蜘蛛の脚がぎこちなく乱れるのを見遣りながら、引き抜いた瑠璃色狼の柄を右手の中へ。


 ――と、そこまで動いて、私の足も、動揺に少し乱れてしまいました。


 薄闇の森の中で、瑠璃色狼の刀身が、揺らめく瑠璃色の燐光を放っています。

 戦闘状態に入った時に、既に瑠璃色狼は魔力的にも私の支配下に在ったのですから、これは魔力による光では有りません。『隠蔽』が働いている筈なのに、ゆらりゆらりと光られては、隠れる気の無さに呆れてしまうのです。

 少しばかりこの光を邪魔っ気にも感じましたが、瑠璃色狼から伝わる気配が私の心を革めました。


 清冽で、ピンと張り詰めた気配。

 毛虫殺しの様に感情まで感じる様な何かでは有りませんが、まるで蒼穹をも斬り裂きそうな鮮烈な気配は、闇に隠れる事を良しとしない清々しさが有るのでした。

 それでいて苛烈に過ぎて凄惨に成ったりしないのは、この瑠璃色狼には数多くの種類の生き物たちの魔石が宿っているからでしょうか。植物系の魔石はまだですが、この瑠璃色狼はこの豊穣の森そのものとも言える様な、豊かな命の気配を宿していたのです。


 いつも隠れていました。

 大切なことは誰にも打ち明けずに、自分で何とか解決しようと頑張りました。

 どうにも成らない状況でも、どうにかしないといけないのだと、ずっと独りで足掻いてきました。

 でも、そう、ずっと独りで、だったのです。


 独りで頑張って、独りで駆け抜けて、独りで造り上げて、しかし誰もそれを知らないのなら、それは暗闇を独り歩いているのと変わりが有りません。

 夜の森も、闇の中の散歩も、嫌いでは有りませんでしたが、こうもお日様の下で踊れと舞台に突き付けられる様な瑠璃色狼を構えていると、心がざわざわと落ち着かないのです。


 毛虫殺しが手に馴染む訳ですね。誰にも見られぬ毛虫殺しの技は闇の技。皆に見られる瑠璃色狼の技は光の技というところでしょうか。

 む!? 光と闇が揃ってしまいましたよ!? これは、最強への道標ですかね!?

 ――なんて、調子に乗りたいのですが、何て言うか瑠璃色狼が堅物で、気を逸らす隙も有りません。

 私の手による私の愛刀の筈なのに、何だか私の方が瑠璃色狼に試されている様な気がしてくるのです。


 でも、まぁ、いいでしょう。


 私は気持ち背筋を伸ばし、それまで少し前傾気味に隙を窺っていた体勢を、腰の上に重心が来る様に引き戻しました。

 踵は少し浮かせ気味に、膝は軽く曲げて、瑠璃色狼を掲げたその左側で常に塊乱蜘蛛チュルキスの姿を捉えながら。

 要は、真っ向勝負の心持ちです。


 ……とは言っても、直ぐにそんな慣れない真似が出来る程、自信家では有りません。やはり自然と足は、相手の死角に回り込む様に、横へ横へと歩み続けるのでした。


 木の根を踏み越え、枝を潜り――

 岩を避けて、穴を越えて――


 しかし、対峙する塊乱蜘蛛チュルキスにとって、この刃そして私は、酷く怖ろしい物に見えている様なのです。


(脚がもつれそうになる回数が増えました。……あ、今のは軽くつまずきましたね……)


 でも、それも分からないでは無いのです。


 私が一歩横へと足を運びます。

 厚く積もった落ち葉を踏めば、かさりと音が鳴ってもいい筈ですけど、そんな音は聞こえません。「流れ」が空気の動きを支配している上に、「活力」の逆作用が僅かな葉擦れの音も掻き消します。


 更に一歩、私は隣へ足を進めます。

 魔力を洩らさない『隠蔽』は、魔力を抑えるのでは無く、してや使わない訳でも無く、完全に魔力を支配しているが為に漏れないのです。

 『根源魔術』で音はかさりとも洩らさずにいて、魔力の欠片も感じ取れない。

 ならば其処には何も居ない筈なのに、眼が多く有るだけに嫌でも見えてしまう。

 それを、塊乱蜘蛛チュルキスはどう捉えているのでしょう。


 塊乱蜘蛛チュルキスの強さはランク六の上位。

 でも、こちら豊穣の森に出る魔物は、騒がしい毛虫達とは違う、生存競争の勝者達ばかりです。

 気配が薄いのは、寧ろ敵わない強者に見えているのかも知れません。


 私からしても、塊乱蜘蛛チュルキスは嘗て無い強敵とは思いましたが、逃げなければとは思えませんでした。

 全力で逃げれば、子蜘蛛が溢れてもどうにかなるとの確信からの余裕も有ったのでしょうが、今は格下を相手にしているそんな余裕が有ります。

 瑠璃色狼無しでの咄嗟の判断では格下と断定出来なかった事を考えると、『識別』出来ない私のランクは七か六には成っているのかも知れません。

 毛虫……いえ、小鬼ゴブリンは、ランクで言うなら九から八と聞いたことが有ります。そんな毛虫は既に私の敵では無いのですから、そこから考えても、やっぱり私のランクは七か六に違いませんね。

 ふふふふふ……どうやらいつの間にか、随分と強くなっていた様です。


 脳筋では無いので強さが一番とは思いませんが、世界を股に掛けるなら強いに越した事は有りません。

 そう考えてみると、毛虫や芋虫を闇討ちしたり、赤蜂を適当にあしらったことは有りますが、全力で正面から相対あいたいした事は有りませんでした。

 脳筋姫騎士様との戦いですか? あれは訓練な上に、剣を振り切る前に弾かれていたので、少し違うと思うのですよ。


 瑠璃色狼が発する魔力では無い光も気になりますけど、私が扱い方を知る力というのはまだまだ魔力だけと言ってもいいのです。ですがその魔力、しっかり籠めて、振り抜くと同時に解放してやれば、一体何を引き起こすのか。私も気にならないとは言わないのです。


 ええ、気配の探れぬ小さな敵は恐ろしいでしょう。

 ええ、魔力と違う妖しい光に濡れた刃は怖いでしょう。

 ですが、ごわごわとは言え毛で覆われたあなたは、言うなればこれもまた毛虫。

 その目の前に立つ私は必殺の毛虫殺し人ディジーリアなのですよ。


 様子見はもう十分。

 昂る気持ちも刃に込めて、木立を横切るその隙に、両手で刀持つ体を捻り、刀身を私のかげへと隠します。

 「キチキチ」と威嚇音を打ち鳴らす塊乱蜘蛛チュルキスを見据えながら、掴み取ったその一瞬。

 木の根も、石も、枝も、穴も、私と塊乱蜘蛛チュルキスの間に無く、一筋の道が繋がったその一瞬に――


 私は塊乱蜘蛛チュルキスの顎の下に跳び込んで、

 瑠璃色狼は振り抜かれました。


 それは私にとっても一瞬の出来事だったのです。


 私の認識では、道が繋がったと見た次の瞬間には、私は塊乱蜘蛛チュルキスの顎の下に居た様なものなのです。

 瑠璃色狼を隠す為に体を捻った状態からなのですから、素早く走る事も無理ですし、地面を蹴った覚えも無いのに移動していたのは御伽噺に聞く転移の魔法の様ですけれど、周りからの魔力で感じたのは、私が投げたナイフと同じ様な高速で移動していたという事実でした。

 そんな勢いで移動したなら、つんのめっても良さそうなものですけれど、体勢を崩す事も無く振り抜くばかりだった瑠璃色狼を「ぅやあ!」と振り抜く事が出来たのは、集中の為せる技でしょうか。殆どは、私は反射的に動くばかりで、終わった後に気が付いた様なものなのです。


 やる事を全て予め決めていた為か、瑠璃色狼を振り抜く動きに一切のよどみは無く、寧ろ一番の振り抜きだったかも知れません。その鋭さも、その脱力も、魔力の解放に至るまで、全ては最高の一撃だったのです。


 瑠璃色狼の一撃は、見事塊乱蜘蛛チュルキスの顎の下から背中の後ろに抜けていました。その瞬間瑠璃色狼の纏う揺らめく燐光が膨れ上がり、一瞬炎の様に塊乱蜘蛛チュルキスを覆い尽くしました。

 意図しない現象には肌が粟立つ様な違和感が有りましたが、それよりもゆっくりとその頭が体からずれ落ちていくその様子が、何よりも印象的だったのです。


 これで本当ならば瑠璃色狼は蜘蛛斬りの刀となるのでしょうが、どうにもそういう雰囲気は感じません。恐らく瑠璃色狼は既に多くの命を取り込んだ、祝福済みの刀という事なのでしょう。既にその身には大森狼や蜘蛛の魔石のみならず、毛虫に芋虫、蜂や犬の魔石も叩き込まれているのですから。


 振り抜いた後には一足飛びに跳び離れて、じっと様子を伺っていたのですけれど、どうにも子蜘蛛が動き出す気配が有りません。

 子蜘蛛にも気付かれずに大蜘蛛を仕留めることが出来れば、子蜘蛛を溢れさせずに殲滅することも出来るでしょうかとは確かに考えていたりもしましたが、謎の炎が悪さをしてしまっては、そんな期待も持てなかったのですけれど……。

 ゆっくりゆっくり再び塊乱蜘蛛チュルキスに近付いてみれば、子蜘蛛達は大蜘蛛の背中にしがみついたそのままに、かさりとも動こうとはしなくなっていました。

 魔力で包んで確かめてみれば、確かに止まっているその命。

 謎の炎を上げる瑠璃色狼は、随分と物騒な一振りだった様です。


 じっと手を見ます。……いえ、手に持つ瑠璃色狼を見ます。

 今や魔力を絶っても淡く刀身が輝いて見えます。魔力を通せば揺らめく炎の燐光となります。

 魔力は欠片も洩らしていないのに、揺らめいているのは不思議なものです。

 子蜘蛛達をき殺したからには何らかの力が有るのでしょう。魔力で多少は干渉して、揺らめきを変える事も出来る様ですけど、焚き火に息を吹き掛けている様なもので、余り意味が有りません。

 これは私のまだ知らない力です。


 曇り一つ無い瑠璃色狼を魔力で掴んで鞘に戻し、鞘袋を被せました。

 そこまでして、漸く辺りに漏れていた光が収まります。

 これは、早々に対策が必要かも知れません。


 ふと気が付いて、右肩の内側に留めた剥ぎ取りナイフを抜き取ると、思った通りに瑠璃色狼の分身たるその剥ぎ取りナイフも、同じく燐光の揺らめきに彩られていました。

 生まれ変わった毛虫殺しに血管様の筋が現れるのにも時間が掛かりましたが、打ち終えた直ぐにはそんな様子も見せていなかったのに、随分と力が馴染むのに時間が掛かる物の様です。

 手に取った剥ぎ取りナイフが揺らめく儘に、目星を付けていた塊乱蜘蛛チュルキスの素材へと振るいました。魔力の宿る、幾つかの眼や牙、脚先の爪。体の中の複数箇所に散らばる魔石については、『根源魔術』で押し出せる物はそれで取り出しましたが、体の中心に纏まっていた大きめの魔石は、腕を突っ込んで引き摺り出すしか有りませんでした。


 そんな時に取り出したのが、掌で握り込める大きさの、弾力のある透明な玉。これ、海魔の水衣を『根源魔術』で丸めた物です。思った通りに『根源魔術』で操れましたので、街を出る直前に買い足した物です。

 「活力」を与えて「流れ」を操り、形を変えて指先から肩まで覆ってしまえば、もう手が汚れる事は有りません。片付ける時も同じく『根源魔術』で丸めてしまえば、後は近くの葉っぱで拭ってしまえばお仕舞いです。


 子蜘蛛の脚はサクサクと。折ると潰れた折り目から汁が垂れてしまいましたので、小さな瑠璃色狼な剥ぎ取りナイフに通した魔力で「活力」を与えて、切ると同時に切断面を焼き固めてしまうのです。

 途中で一本皮をいてみましたら、透明感の有る白い肉に透明な体液が滴っていて、恐る恐る端っこを囓ってみたら、白身魚を煮凝らせたのを冷ましたかの様な濃厚な味です。どきどきしながら一本食べ切ってしまいましたが、確かにこれは美味しい物です。贅沢に塩を振って焼いてみれば、きっと頬も蕩けるのです。


 大蜘蛛の素材に、全部で二十数匹分の子蜘蛛の脚ともなると、折角作った背負い鞄の便利な側面口から入れる事も出来なくて、結局鞄を下ろして大きな口から詰め込みました。

 まだ湖にも着いていないのに、もう鞄はパンパンです。

 まあ、今は食料が殆どですから、野営をする内に無くなる物だと割り切れますけどね。


「はむ……ふむ……うく……ふはぁ」


 結局、蜘蛛脚は五本程も食べてしまいました。少しお腹が減っていた様です。

 鞄を担ぎ直せば後は湖へと向かうだけなのですけれど、目ぼしい所は回収したとは言え、ランク六の獲物を殆ど丸々残していくのには、後ろ髪が引かれる思いがするのです。

 小路を行く冒険者に声を掛けてもいいのですが、何とも困ったものなのです。


 と、蜘蛛から少し離れた所で悩んでいたそんな所へ、小さくかさりと音を立てて現れたのが、一頭の狼? ですね。

 犬と間違えそうにもなりますが、犬の前脚が肩の横で踏ん張る様に付いてるのに対して、狼の前脚は肩の下に揃えられている感じです。

 ふんふんと匂いを嗅ぎながら近付いてきて、倒れている塊乱蜘蛛チュルキスを不思議そうに見上げています。

 更にその後に続いてくさむらから現れたのが、二頭の小さな子狼。とてとてとじゃれ合いながら走り寄ってくるのを見て、「おお!」と目を見開いたのですが、その時先に来ていた狼がふとこちらを振り向いたのです。


 ……何と言うか、『隠蔽』ってそこまで役には立たないんですね。


 前を行く狼の振る舞いで、子狼たちにも気が付かれてしまっています。

 前脚を上げたままの状態で固まっていますが、蜘蛛脚を囓っている私に、そんなに警戒されてもどうすればいいのか戸惑います。


 先に来ていた兄っぽい狼は「グルゥ……」と一瞬体を沈めて唸り声を上げましたが、直ぐに体を起こすと戸惑ったかの様に見詰めてきます。首まで傾げて見ている横に、子狼達が駆け寄ってきて隠れながらこちらを見てきます。


 見詰め合う兄狼と私。まさか私の囓っている蜘蛛脚が欲しい訳では無いでしょうけれどと考えて、ハッと気が付きました。

 手に持つ蜘蛛脚の最後の脚肉を飲み込んで、がらを辺りに捨ててから、こくこくと頷いてから顎をしゃくって蜘蛛を示しては、またこくこくと頷きます。

 兄狼がそれを見て、私と蜘蛛に視線を行き来させてから、本の少し大蜘蛛の首肉を囓ってこちらを見てくるので、また私はそれにこくこくと返します。

 兄狼はあっさり警戒を解いて、落ちた塊乱蜘蛛チュルキスの首に頭を突っ込み、子狼達もそれに触発されたのか、蜘蛛の首肉を食い千切り始めました。


 これでもう、安心ですね。

 私は勿体無い思いをしないで済んで、狼達は美味しいご飯に有り付けて。

 見るからに、誰かの獲物と分かる塊乱蜘蛛チュルキスの死体。横取りは出来ないと気に掛けてくれるなんて、いい狩人さん達では有りませんか。

 森に居るのは皆獲物だなんて、嘘っぱちもいいところなのです。


 私は笑い声を溢しながら、死んだ塊乱蜘蛛チュルキスを後にしたのでした。



 三本の剥ぎ取りナイフが、私の周りに浮かんでいます。

 湖へと向かうのはいいのですが、移動中だって鍛錬は欠かせません。

 二本のナイフは、追い駆けっこをする様に、私の周りをくるくると。

 一本の光るナイフは私の視線に晒されながら、私の目の前をゆらゆらと。

 私の感覚はナイフと一緒にぐるぐると。多少の気持ち悪さは慣れるしか有りません。


 そんな間にも、少し離れた森の小路からは、冒険者達の声が聞こえてきていました。


「へいほほーへいほほー旨い肉ー♪」

「うおー! 大熊猪旨かったー!!」


 何だか、肉への思いを口にする冒険者が多いですね。肉もいいかも知れませんけど、リールアさんの野菜だって、負けてはいないと思うのですよ?


「俺は大熊猪を狩る冒険者に成るぞ~!!」


 後ろへと流れていくそんな声を聞き流しながら、私は研究を続けるのです。


 瑠璃色狼の揺らめく燐光については、少し時間が掛かりそうです。

 少なくとも、魔力を注いだら、これじゃないと感じているらしいことは感じ取れました。

 もっと毛虫殺しの様に分かり易く伝えて欲しいと思うのですが、何とも瑠璃色狼は魔石を色々打ち込んだにも拘わらず、丸で大樹か何かの様に静謐で思っている事を中々伝えてきてくれません。

 ですが、違う何かを注がれるのを待っているという事は、やはり魔力とは違う力も世の中には有るのでしょう。

 まぁ、技能教本には偶に“気”がどうのこうのと書かれていましたので、それの事だとは思うのですけれど……。

 気合いを入れれば漏れ出る力と言われても、何の事だか分かりませんね。


 まあ、そんな分からない話は置いておいて、今気になるのは私の身に起きた瞬間移動についてです。

 それで魔力の腕で小さな瑠璃色狼の分身を掴み振り回しているのですけれど、やっぱり掴んで動かそうとしても、そこは比較的ゆっくりとしか動きません。頑張っても全力疾走程度ですね。投げて勢いを付けてやれば、何かに刺さるまではその勢いも保たれますが、勢いを付けられないならやっぱりゆっくりとしか動かないのです。


(これは難航しますね……)


 そう思いながらも何度も右左みぎひだりと小径を横切り行き来して、時にはばったり出会った黄蜂の遠征部隊とブンブン縦に揺れて挨拶を交わし、めぼしい薬草はさっと採取し、森の奥へと歩みを進めて行くのです。

 時折木の実もぎますが、食べられる木の実なんかは一目で分かるのは、大量の薬草を採取した経験が生きているのでしょうか。青い果実も美味しかったのですが、拳程の赤い木の実も、カプリと齧り付いてみれば、瑞々しい果汁が滴るのです。


 そんな道行きを進める中でも、楽しい事ばかりでは有りません。


(…………毛虫、ですね)


 森の奥へと向かう内に、小路を挟んだ反対側に毛虫特有のちりちりとした違和感を感じました。

 やっぱりこの違和感は、毛虫に特有ですねと思いながらも、丁度今は小路を冒険者達が歩いているので、態々横切って潰しに行く気にはなれません。

 厭な気配を感じながら、私はより森の中へと小路を離れ、そこで彼らと出会ったのでした。


 森の中を悠然と歩く一塊の影。

 一番下に居るのは巨大な黒馬です。脚首の毛はふさふさと広がって、踏みしめる巨大な|蹄(ひづめ)は私の頭程の大きさも有ります。眼光にも深みを感じる見事な有様は、馬の王とも言って間違い無いでしょう。こんな森の中を歩いているのが不思議な様でもあり、似合っている様でもある、そんな存在感を示していました。

 その黒馬の上に四肢を踏ん張っていたのが、これまた黒い大犬です。少なくともこの森に居る森犬なんかとは違う、知性を宿した眼で私へと視線を向けています。おっと、『隠蔽』が緩んでいますね。ですが、眼で見られたというよりも、匂いで居場所がばれた様な気がします。然も有りなん。私は脳筋姫様に拐かされてから、追い立てられる様に装備を調えての探索行なのですから、汗をかいた後で水浴びも出来ていません。湖が在るならそこで行水すればいいなんて考えたのも、手を抜いてしまった原因かも知れませんが。

 更にその黒犬の上、二本脚で胸を反らして立っているのは、普通の黒い山猫でした。

 そして、彼らはそのそれぞれが、胸に冒険者協会の認識証を下げていたのです。


 それは何とも言えない衝撃でした。そんなところから来るとは思っていなかった、心の隙を突かれた様な、ひょわりと内臓が浮き上がるかの様な、そんなおどろきでした。

 有る意味、私はまだ冒険者というものを分かっていなかったのかも知れません。

 人獣の冒険者は予想していましたけれど、只の獣としか思えないのに冒険者として活動しているなんて……。

 わくわくとどきどきに眼が見開いてしまいます。何て冒険者って自由な生き方なのでしょう。


 それだけに、その僅かなバランスの悪さが目に付いてしまったのです。


「翼有るものが居ませんね……」


 小さな呟きだったのですけれど、それは大きな失言でした。


「バルロロロロ!!」

「ウオオオオオン!!」

「ミニャーーー!!!」


 彼らにそれが分かっていない筈が無かったのです。

 あんなに二本脚で立ち上がって、黒猫が頑張っているのを私も見ていたというのに……。

 私の言葉を理解してか、辺りに悲痛な嘆きの鳴き声が轟いたのでした。


 嗚呼、彼らは長年の友を失って、失意の旅を続けているのでしょうか。

 それともまだ見ぬ仲間を求めて、果てしない旅を続けているのでしょうか。

 私もまた、彼らの慟哭に誘われて、願いの叫びを上げるのでした。


「バロロロロロ!!」

「ウオオオオオオ!!」

「ギニャーーー!!!」

「がおーーーー!!!」

「バロロロロロロロ!!」

「ウワオオオオオオ!!」

「ギャニャーーー!!!」

「がおおおおーーー!!!」

「バルロロロロロロロロロ!!」

「ウワオワオワオオオオ!!」

「ギャニャニャーーー!!!」

「がおおおおおおおーーー!!!」

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