(63)やがて森になる(今はまだ林)。

 瑠璃色狼から柄袋を外して、魔力の手を使ってすらりと一息に抜き放ちます。瑠璃色の燐光が鍛冶場の中を照らします。

 今や意識を持つに至っている瑠璃色狼ですから、最早角タールで作った魔造の黒鞘も、同じく邪魔な柄袋も不要の代物に違い有りません。私の瑠璃色狼が、『隠蔽』も出来ない筈が無いのですから。

 その刀身に顕れるのは、魔力の色で描かれた森の情景。これは私の腕が未熟だったのか、使った道具が粗雑だったかの結果なのだと今では分かりますけれど、そのつたなさに今回は助けられました。

 色が別れて混ざり合っていないという事は、即ち練り込んだ魔力の要素が独立して存在出来ているという事です。

 私が望む瑠璃色狼の強化の方向性を、台無しにしない絶妙さです。


 その事に感謝をしながらも、手控える事など出来はしません。

 刀身に満遍無く私の魔力を行き渡らせて、練り込んだ魔力を保護しつつ、火床で金色に沸き上がった瑠璃色狼を、今の全力で打ち直すのです。


 繊細で微細で集中と根気を要する作業に、気が付けば三日が過ぎていました。

 毛虫殺し改め“黒”とは、今はまだその実力が懸け隔たっていますが、嘗ては同格の瑠璃色狼です。既にその時点で素地としては相当に仕上げられていた上に、加えて言うなら毛虫殺しの様に毛虫の血肉を貪る様な余計な事はしていませんので、素材を鍛え直すのにそこ迄時間は掛かりませんでした。新たに打ち込んだ物と言えば、大量の色を抜いた私の輝石と、何となく直感が働いて瑠璃色狼用に残していた竜毛虫の角の髄位です。

 その髄が多少は厄介でしたけれど、瑠璃色狼が再び刀の姿を取った時には、大幅な底上げが果たされていたのです。


 ですが、それは底上げです。練り込んだ輝石の御蔭で大きな力は秘めているかも知れませんが、それだけです。奥深さも豊かさもまだまだなのです。

 既に瑠璃色狼に練り込んでいた魔石では、精々公園がいいところ。私はここに、豊かな森を作り上げていくのです。


 私の輝石で光に満ちた瑠璃色狼の世界に、まずは大地を。土の中から集めた魔力を打ち込んで、森が根を張るいしずえを。

 大地が出来たなら命を育む水の恵みを。湖から集めた魔力を打ち込んで、滔々と流れる川を。水を湛えた憩いの泉を。

 大地には草花が芽吹き、木々は梢を揺らす。木の間を飛び交う小鳥達。

 森狼達が戯れながら木々の根元を走り抜け、散策する様にゆったり歩く大森蜘蛛。



 これは、私がそんな鍛冶仕事をしていた間のお話です。



~※~※~※~



 ディジーリアから新装備を受け取った次の日、ガズンガル達は早速それらを身に着けて、豊穣の森の湖へと向かっていた。

 壮行会の酒も無く、急かされる様に小走りになっているが、彼等の表情に焦りは無い。

 寧ろ期待を秘めて、落ち着かない様子を見せていた。


「こいつは、やべぇぜ」

「……なんだ?」

「下手すりゃ、普段の数割しか『警戒』が働いてねぇ」

「ぷふっ。……気持ちが分かる分、たちが悪いねぇ」

「湖に着いたら気持ちを入れ替えねぇとな!」

「くっくっくっ……」

「いや、分かるがな! やべぇと言いながらその笑い方は無いだろう!?」


 彼等は率直に言って浮かれていた。常に口角を上げたククラッカの他も、皆そわそわとして、湖へ辿り着いても直ぐに飛び出していくのは明らかだった。

 そしてその通りに湖を抜けてクラカド火山を望める丘の上へと至る。奇しくも、ディジーリアが雷を呼んだその丘で、ガズンガル達は点在するはぐれの巨獣を見下ろすのだった。


「近いのは巨牙鼠か。クク、他には居ないな?」

「ああ、心配いらんぜ。今の俺が試し斬りの相手を見逃す訳が無いぜ」

「くふふ、浮かれ過ぎだよ。そいじゃ、あたいから行くねぇ」


 そう言って射程外からダニールシャが短杖を構える。


「『雷咬』!」


 しかし、放たれた雷の矢は、今も木々の枝を囓る巨牙鼠には届かず、宙に消えた。


「おや?」

「いや、今のはダニーが悪いぜ。杖を使わずに撃ったよな?」

「あー、普段発動体なんて使わないからねぇ。前に指輪を使った時は、魔力弾しか使えなかったのさね。えーと、こうだったかねぇ? ――『魔弾』!」


 宝珠の輝きと共に放たれたのは、見るからに高威力の魔力弾だったが、明後日の方向へと飛んでいってしまった。


「……こりゃあ、俺らも使い熟すには練習が必要だなぁ。今回は近付いて殴りますかね?」

「まぁ、待つんだぜ。一応俺にも試させろ。短剣でも発動体になって『根源魔術』との相性がいいと言うなら、――ハッ!!」

「いや、この距離は――」

『ジュォオオオオッ!?』

「マジか!? 届きやがった!」


 見た目では刺突を宙に空突きしたククラッカだったが、輝石が輝くと共にそれに籠められた魔力は巨牙鼠に届いていたらしい。立ち上がって木の枝を食んでいた巨獣の叫びが響き渡った。

 にやりとククラッカが口元を歪める。


「確かに、あたいの使い方の問題みたいだねぇ」

「くくく、ディジーさんの言う通り、『根源魔術』が鍵の様だな。俺の時代がやって来やがったぜ」

「言っている間に、やっこさんが気付きやがったぜ?」

「今度は俺達の出番だな!」


 前に出たドルムザックとガズンガルだったが、ドルムザックが牽制に当てたピックで巨牙鼠の前脚が弾け飛び、打ち据えるつもりのガズンガルの一撃で巨牙鼠の首が落ちた。


「「……こいつは、危ねぇ!?」」


 声を揃えて二人が唸る。

 それから何頭かはぐれを釣っても、全て同じ様な結果となった。

 ハンマーが頭を叩けば破裂して、大剣を振るえば真っ二つ。至近距離から撃たれたダニールシャの魔弾で穴が穿たれ、ククラッカの短剣は手応えすら無く斬り裂いた。


「……森犬から慣らした方が無難だな」

「ああ、巨獣相手じゃ事故が怖い」

「ディジーの言う事が正解だったぜ」

「あたいは発動体の扱いから慣れないといけなそうだよ」


 そんな彼等にも、共通した認識が一つ。


「絶対にこれはランク二じゃねぇな!」

「ここまで装備に振り回されるとは思わなかったよぉ」

「なぁ、ディジーがランクを言う時、何を言っていた? 一撃で斃せるからランク何々だと言ってた様に思うぜ?」

「一撃じゃねぇ!? そいつはソロでの指標だ!」

「じーさん、勘違いしてやがるな。……ラルクの爺さんに『鑑定』して貰うのが良さそうだが……」

「ディジーに一言声を掛けてからじゃ無いとねぇ?」

「……だな。取り敢えず、台車でも作りますかね?」


 そんな感じで、彼等は湖の周りで、新しい装備の習熟に努めるのだった。



~※~※~※~



 スカーチル達が商都に辿り着いたのは、夏の一月十一日。デリラの街で公開の大猪鹿狩りが行われた五日後の事だった。

 デリラの街と較べると、若干頼り無い街壁の門へ向かって、スカーチルは獣車を進ませた。毛角牛ロンゴルを止められないだけに、飛び降りたラターチャが、受付へと走って三台分の獣車の手続きを済ませている。問題無しの合図に従い、門を潜り抜ける事になるが、そんな事情もあって門の出入りで混雑する事は少ない。


「やっと着いたでやんす」

「無事に着けて何よりだ。一台はここで処分していくという話だが、当ては有るのか?」

「心配要りやせん。王都の最新の獣車でやすから、馴染みの店に高値で売りつけるでやんすよ。王都の技術ってぇのは、そんだけの価値が有るんでやんす」

「まぁ、前方から見ていても揺れてなかったからなぁ」


 そんな事を会話しながらも、三台の獣車は通りを抜け、一際大きな建物へと向かっていた。

 商都の冒険者協会である。

 王都の様に一つの街の中に幾つもの支部が有る訳では無いが、商都の協会はデリラの街の協会とは比べ物にならない規模を誇っている。当然スカーチルがディジーリアに宛てた手紙に書いた様に、冒険者からの資金の預かり業務も行っていた。


「了承していてくれると助かるんだがなぁ」

「デリラじゃ遣い道が無いのは分かってんだろ? 心配要らねぇって」

「そう言える程、人柄を知ってる訳じゃねぇんだよなぁ」


 毛角牛ロンゴルも止めて、リンゼライカと護衛をしながらゾーラバダムがぼやいていると、明るい表情でスカーチルとバハネイが戻ってくる。

 それを見て、ゾーラバダムもほっと息を吐いた。


「その様子じゃ、了承してくれていたみたいだな」

「ばっちりでやんすよ。荷運びの依頼は増えやしたが、獣車は予定通り処分出来そうでやすね」

「愚痴を言われて参ったわ。何で商都を素通りしたんだ、てな。商都でも暫くしたら大猪鹿のオークションをやるらしいが、それが無ければ恨み言では済まなかったかも知れんな」

「おいおい、どういうことだ?」

「さぁな。一頭狩れば、二頭目も三頭目も同じ事なのかも知れんな?」

「…………かぁ~~、酷ぇ話だなぁ、おい」

「ふん、どちらにしても、儂らが商都を通り過ぎた頃はまだ英雄も生まれとらんわ。だがデリラに帰っても、支部長にどやされそうでは有る」


 バハネイが顎を擦りながらそう言い放った。

 因みにこの間、ゾーラバダムの甥は獣車の中で倒れ込んでいる。

 毛角牛ロンゴルに合わせた軽い走りとは言え、一月ばかりの走り込みは、彼をして逞しい体付きに成長させてはいたが、中身までは分からない。彼が彼自身を証明するのは、デリラの街に帰ってからになるだろう。

 兎にも角にもゾーラバダムは、一時いっとき護衛の任から解放されて、リンゼライカと共に商都の散策へと繰り出した。


「……しまったな。洒落物なんかは王都の方が揃ってたか?」

「あははっ♪ 気の利かないおっさんの代わりに、小物なら俺が大量に見繕っといたぜ? がきんちょ共に配るつもりで大量に買ったから、おっさんにも分けてやるよ!」

「おお! そりゃ有難い! じゃ、ま、俺は香りのいい高級石鹸でも買い漁るとしますかね?」

「おぉおお!? 俺はおっさんと風呂に入ったりはしないぞ!」

「ばっ!? おまっ!? 誰もそんな事は言ってねぇ!!」


 次の日も商都で過ごした後に、更に次の日、再びデリラへ向けて獣車を走らせる。

 ごっそりと重い積み荷は減ったが、ディジーリアの依頼で魔石の詰まった箱が増えた。補充した収集瓶や保存箱は二台目の獣車に載せている分、一台当たりのスペースは広い。バハネイの魔術で冷やす必要も無いため、一台目にも人が乗れるとなれば、行きとは違ってかなりゆったりとした旅行きとなる。


「ディジーリアが魔石を欲しがっていると知っていたら、王都で仕入れてきても良かったんだが」

「言っても仕方が無いでやんす。それにしても、商都の職員達はやけに協力的だったでやんすねぇ?」

「あれは俺達じゃなくて、ディジーリアが人気なんだよ。眼がきらきらしてたからね」

「何だかデリラに着いたら、様変わりしてそうだなぁ、おい」


 そんな会話をしながら、のんびりと獣車は進む。

 価値の高い銀塊や魔石の積まれた一台目にスカーチル、ゾーラバダム、リンゼライカ、それと人足の一人が乗り、二台目に残りが乗る。

 ゾーラバダムはリンゼライカと時折見張りを交代しながら、二日後には湿地帯へと辿り着き、行きよりも荷が軽くなったとは言え同じ歩みの毛角牛ロンゴルは、湿地帯を十日掛けて抜けるのだった。


 そこまで来れば後少し。デリラの街まで、残るは僅か一日だ。



~※~※~※~



 瑠璃色狼を鍛え直し始めてから五日目。オルドさんからノッカーでの連絡が有りました。

 ……ノッカーは便利ですけれど、やっぱり心臓に悪いですね。びくってなってしまいます。

 それは兎も角何事かと言えば、商都にお願いした魔石の収集も問題無く、明日にはスカさん達が運んでくるだろうとの事でした。

 そんな事を聞かされてしまえば、居ても立ってもいられなくなるのですけれど、まぁ、手持ちの魔石は瑠璃色狼に殆ど打ち込み終わっていたのが幸いして、大事には至っていません。ですが、大猪鹿の魔石を打ち込む毎に、どうしてか打ち込める魔石の量が増えていってる気がしますので、まだまだスカさん達が運んでくる魔石が必要なのですよ。

 そんな状況ですので、ただ、待っているだけなんて事はしていられなくて、私の輝石を一つ様子見に飛ばしたりなんかするのでした。


 輝石になってから、より鮮明にその先の様子を捉えられる様になって、それで見付けた湿地帯を行くスカさん達。確かにこれなら、明日には帰って来そうですねと納得したところにやって来たのはガズンさん達です。


「よぉ! 色々と試して来たぜ!」

「じーさんやり過ぎだ。掠っただけで破裂されては素材が取れねぇ」

「あたいもまだまだ練習が必要だよぉ。狙いが付けられないと深部には行けないねぇ」

「俺のはいい感じだぜ。漸くの汚名返上だ。ディジーさんには頭が上がらないぜ」


 良い物を作って愚痴を言われるのも納得が行きませんでしたが、だからと言って練り込んだ魔力を抜いて欲しい訳では無いみたいなので、気に入ってはいるみたいですね?

 妥協案として、ガズンさんとドルムさんの武具に付けた輝石は取り外しが出来る様にしましたけれど、魔術師でもダニールさんが持て余している事や、ククさんは既に手に馴染ませている事を考えると、ここでも『根源魔術』の習熟具合が利いている様に思います。


「使い熟せば巨獣地帯も屁でもねぇんだがなぁ」

「この宝玉の所為で、毎回溜めての一撃と等しくなっていたのか。宝玉無しでまず試してみるか」

「それよりも先に、防具のランクを上げる必要が有るのでは無いですかねぇ?」

「確かにねぇ。武器でこれなら、防具もきっと思った以上の効果が有るんだろうねぇ」

「ディジーさんは防具は作らないのか?」

「流石に手が回りませんし、私に出来るのは魔力を練り込むくらいですよ? それに、『隠蔽』がしっかり出来ていなければ、却って悪目立ちする事になりますね」

「ククなら大丈夫そうだけど、あたいらには厳しそうだねぇ」

「素直に防具を新調するのが良さそうだな」


 因みに、私の防具には輝石や輝糸を織り込んでの強化済みです。革や鉄布には輝石を、布系の物には輝糸を。靴底だとか他にも色々強化して、出来合いで仕入れた怪しい金具も甲虫に囓られない様に自作の金具と付け替えました。

 そこそこのランクに成っているとは思うのですが、武具と違って指標が無いので憶測でも分かりません。

 その武具のランク自体、私の指標が間違えていると言われてしまいましたが、ソロと一撃との違いがよく分かりませんね? 私が今迄斃してきたのは、大体一撃必殺なのですよ。

 他にも肉祭りの後の十日間で、増えたのは輝石の剥ぎ取りナイフです。

 新たに作った私の輝石を打ち込んだ剥ぎ取りナイフに、色抜き輝石を打ち込んだもう一本。更に輝石だけで作り上げた透明な剥ぎ取りナイフがこれまた一本ずつ増えました。輝石だけの剥ぎ取りナイフは、時間さえ有ればその場で作ってしまえますので、使い勝手も良さそうです。

 他の剥ぎ取りナイフは、瑠璃色狼の鍛え直しが終わってからですね。剥ぎ取りナイフの優先順位は低いのです。数の多い犬系以外に獣の剥ぎ取りナイフを造るつもりも有りませんので、作るとしても水と土の魔力でだとか、植物の魔力でだとか、魚なんかの剥ぎ取りナイフと言った、何かに特化したナイフばかりでしょうけれど。

 少し悩んだのが赤蜂の針剣です。言っては何ですが、役に立っていません。なので私の輝石を練り込んで、白木の鞘もサルカムの鞘に交換して、見た目は杖に仕上げ直してしまいました。所長装備の一つですね。

 そんな風に、私は自分の装備は自分で調えてしまうのですけれど、皆さんは中々苦労している模様です。


「新調するなら、最低でも商都に出向く必要が有るか」

「もう少し稼いで、余裕を見ておきたいところだねぇ?」

「だな。ってーか、ドルムは金は有るのか?」

「いや、俺はいいぞ? 俺は金を貯めてからでいいわ」

「馬鹿言うなって、貸しだな貸し!」


 深部には最近になってから入る様になったドルムさんは、そんなに蓄えが無い様ですね。

 ガズンさん達が貸しだと言っていますが、ドルムさんは気不味そうにしています。


「それにしても、そうなるとスカラタ達がいないのは痛いなぁ」

「だな。彼奴ら程の規模のポーターが他にも育っていれば良かったが」

「居ても目付きがねぇ……。小規模ならそれなりにいいのも居るんだけどねぇ」


 おや? スカさん達の話題になりましたね。


「スカさん達なら、明日には帰って来ますよ? 一緒にお出迎えに行きますか?」

「お? そうなのか? なら何とかなるか」

「ディジーはお出迎えに行くのかい?」

「私の大切な荷物を運んできて貰ってますので、お出迎えに行く予定なのですよ。一緒に行くなら、おめかししてきて下さいね?」

「おめかしねぇ……まぁいいか、俺らもお出迎えするか!」


 そういう事で、皆でお出迎えする事になったのでした。



 そして次の日。昼過ぎの北門前に集合したのですけれど……。


「……おめかししてきて下さいと言いましたのに……」

「いや!? 充分余所行きだからな!? ドレスを着ている方がおかしいからな!?」

「ディジーもそういう格好していると、お嬢様にしか見えないねぇ」

「毛虫殺しのお嬢様だぜ。斬新だな!」


 おめかしのレベルが上手く伝わっていなかった様です。

 今となっては仕方が有りませんので、兎に角お出迎えの準備を進める事に致しましょう。

 こう、北門に吊り下げられた様な「おかえりなさい」の看板の幻を立ち上げて、


「……ねぇ、ディジー。何で「え」が左右逆になってるのさね?」

「それはあれですよ? 突っ込み処を作っておけば、看板が有る事自体から目を逸らす事が出来るという高度な心理戦なのです」


 やっぱり普通の余所行きの服ではインパクトが小さいと、ガズンさん達の頭や肩から角の幻を立ち上がらせて、


「ぅおおい!? て、くく、わはははは! 何で角が生えてくるんだよ!」

「ディジーや、俺のは三本角にしてくれや」


 どうせならと街の皆さんにも角の幻をプレゼント。


「ぅおおお!? 何だこりゃ!? ……と、ディジーリアか」

「ああ、何だ、毛虫殺しの英雄か」

「って、何でそれで済むんだ!? うははははは!!」

「ディジーの知名度が凄い事になってるよ?」


 そんな事をしている間に、スカさん達の到着です。

 獣車の屋根に髭の小父さんを乗せて、スカさんが御者をしながら、ゆっくりこちらへ向かって来ます。

 おっと私の角を忘れるところでしたと慌てて額の両端に着けて、序でに所長な付け髭も装着です。


 さぁ、皆さん用意はいいですかね?

 スカさん達のお出迎えですよ!!



 そして夏の一月二十六日、スカーチル、ラターチャ、ゾーラバダム、リンゼライカ、バハネイ他、合わせて十一名はデリラの街に帰り着き、そして盛大なお出迎えを受ける事になるのです。



~※~※~※~



 吾が朧に意識を取り戻した時、全ては闇に閉ざされていた。

 吾を狩らんとした狩人共の姿は既に無く、吾子らの気配もここには無い。

 僅かに森の生き物の気配を感じる事から、森の中では有ると認めたものだが、吾が体の感覚も遠く、全ては朧気で幽かなり。

 微睡みの中に眠る様に、吾は再び闇に落ちた。



 次の目覚めは唐突だった。

 吾が内に注ぎ込まれる力強き魔力の流れ。

 吾が力が無理矢理引き摺り出されて行く感覚。

 それは絶望であり、理解だ。

 吾が既に吾では無いという絶望と、吾が力を振るわんとする者が居るという理解。


 ――お前は誰だ。


 問う声にも応える者は無く、吾が力ばかりが引き出されていく。

 焦燥に身を焦がしつつも、闘いは終わったのだろう。静けさが再び訪れた。

 そうなると、此処はまた朧で幽かな闇へと沈む。


(……ご飯ですよ……)


 吾に込められた力が最後にそう呟いた気がして、それならばいいかと吾も引いた。

 命を得る為の闘争ならば、それならば良い。

 吾もまた、闇へと意識を鎮めるのだった。



 それから後は、暫くの間、何やらごそごそしていた様に思う。

 丸で森の中を延々と追い駆けっこをしている吾子らを夢現に見守る様な。

 最後には一際鋭く吾が身を振るわれた様に思ったが、それからまた静けさが訪れた為、吾もまた微睡みに沈んだ。



 三度目は、異常の中で跳ね起きた。

 吾の居るこの不可思議な場所が、激震に見舞われていた。

 この空間含めて吾の内とも言える、そんな奇妙なこの場所に、空から降り注ぐ様にして生まれ出でた幾つもの気配。

 鳥に蜘蛛、嫌な臭いの鬼、犬コロ共は数が多いか?

 そんな森の生き物達の気配が、吾が周りに降り立ったはいいのだが……。


 それらの気配が、塗り込められた様に身動き一つしない事に、成る程これらも吾と同じくここの主に囚われた者達かと思うと、急速に興味は薄れた。

 気配は有れど、誰も何も応えはしない。

 吾は再び意識を閉ざそうとして――

 次に打ち込まれたその気配に、驚愕する事になる。

 ――姿無き“森枯らし”

 森でも長く生きた獣達に、そう呼ばれ恐れられる生き物の、その力の気配だった。


 吾が嘗て住処としていたこの森は、力の有る森だ。

 何事も無ければ、一望する限りが大森林となるのが当然の、生命の力に溢れた森だ。

 そんな森の中に、何故か広がり行く草原。

 そこに疑問を抱くかは、生きた年月にも依るのだろうが、気が付いてしまえば言い知れぬ不安を覚える光景だ。

 森を棲まいにする吾だからこそ、気が付いた本の僅かな違和感。その僅かな違和感が、極々稀に草原で死体を晒す猪の様な異形の持つ気配と、良く似ている事は知っていた。

 しかし、確信には至らない。

 草原の違和感に対して、吾が何をしようとも、吾は何も為し得なかった。


 吾が力を振るうここの主は、その姿無き“森枯らし”すらも屠るらしい。

 吾は初めてここの主に興味を抱いた。



 そんな“森枯らし”の力は、更なる激変をこの場所に齎した。

 吾をこの場に塗り込めていた拘束が、ふと緩む。

 気が付けば、吾は木漏れ日の広場程度の空隙に、四本の脚で立っていた。

 踏み締める大地の感覚は、何処かおかしい。何かを踏み締めているのは確かだが、何を踏んでいるのかは分からない。

 吸い込む息も、何かおかしい。匂いも味も感じなければ、吸っている感覚すらもあやふやだ。

 喩えるならば、幻の大地に幻の吾が居る。恐らくはそういう事なのだ。


 即ち、やはり吾は死んでいて、今此処に居る吾は吾の残り香の様なものなのだ。

 吾の力も、それどころか吾自身さえも、此処の主の物なのだ。

 そんな事を思う内にも、辺りに草花が芽吹き、木々が聳えて枝葉が伸びる。

 どうやら、少なくとも吾が主は血に狂った者では無いらしい。

 その事に安心して、少し居心地の良くなった大地に身を横たえて目を閉じた。


 その日は久々に夢を見た。

 愛しき吾子らと寄り添いながら微睡む夢。

 吾も昔の小さな姿を取り戻し、吾子らに埋もれる様にして安らぎに身を浸らせた。

 泣くな吾子らよ。母はお前達を守れた事が誇らしいのだ。



 それから暫くは何事も無く、それ故に吾はこの場所の事へと想いを巡らせた。

 あの時感じた魔力は、この場所の中を常に巡っていた。

 寧ろ、練り込まれたその魔力自体が、この場所を作り上げているのではと感じる程に。

 吾の凡そ半分が、どうにも同じくこの場所そのものに練り込まれている事を考えると、主の魔力は吾の魔力とも半分ばかりは一体になっていると見る事も出来た。

 そうして心を澄ましてみれば、溶けた主の心がこの吾にも伝わってくる。


 ――……おお……格好いい森狼でしたねぇ……流石は森の主なのですよ……


 ――……ふふふ……大森狼は優しき森の守護者なのですよ……


 ――……昏い森では瑠璃色狼の出番が有りませんねぇ……暫しの封印なのですよ……


 くすぐったい様な心が主の魔力には溶け込んでいたが、その内の一つが気に掛かった。

 森狼の来訪……ならば、あれは夢では無かったのか。

 心が暖かな温もりに満たされる。

 あれは夢では無く、吾は吾子らに別れを告げる事が出来たのだ、と。

 どうやら此処の主は敵では無い。ならば、この主の力になるのも悪くない、と。


 それから幾日が過ぎたのだろう。

 吾が居る空隙の様子は変わらず、空隙の周りは未だに塗り込められたままの気配が居るのもまた同じ。

 変わった事と言えば、“森枯らし”が姿を見せなくなった事くらいだろうか。

 この場所が幻だからか、それとも此処の主にその力を収奪されたからか、姿を隠せなくなった森の敵対者たる“森枯らし”。その姿を見掛ける度に、思わずその頭を噛み砕いていたが、やはり幻を食む様に遠い味覚で“森枯らし”を平らげ終えたその時には、既に空隙の片隅で平らげた筈の“森枯らし”が震えていた。

 死んでいる吾らには、死すらも幻なのだろうか。

 そう思いながらも、何度か“森枯らし”を噛み砕いた結果、徐々に復活までの間隔が延びていき、到頭顕れなくなったのだ。

 恐らく“森枯らし”は、並以下の格しか無いにも関わらず、不相応な力を持つ生き物だったのだろう。吾は戯れにも小鳥や小動物達に手を出さない事を心に刻んだ。


 主の魔力は、変わらず巡る。

 その魔力に身を委ねる内に、この場所から外には出れずとも、通じる何かが有るのに気が付いた。

 恐らくそれは主との繋がりと、辿ってみれば案の定、強大な魔力が其処に在る。

 じっと様子を伺っていると、力強く有りながらもその動きは繊細だ。魔力を通じて物を見ている? 魔力で働きかけて変質を促している?

 他にも魔力で道を作ったり、魔力の腕を操ったり、実に多彩に便利に魔力を用いている。

 吾も魔力は用いてきたが、殆ど肉体の力を高める為にしか使っていなかった。

 吾に溶け込んだ主の魔力で主の技を感じ取り、吾もまた同じ技を使わんと欲した。

 今の吾には意味の無い事かも知れないが、いずれ日の目を見る事も有るだろう、と。


 主の魔力に意識の大半を割いていると、繋がる他の何者かの存在に気が付いた。

 この何者かは、随分と主と親しげに遣り取りを交わしていた。時に拗ねたり、調子に乗ったり、切々と訴えたり、しょぼくれたり。――吾子らが吾に甘える様に。

 その遣り取りの様子を見て、吾も主との遣り取りの仕方を知った。

 しかし、どうにも此奴は思うに鬼では無いか? 何度か出会ったその歪んだ生き物と同じ気配を、その何者かは備えている。あの鬼共さえ調伏して遣うのかと思うと、何やら愉快な心持ちだった。


 やがて何かを成し遂げたのだろう。暫くの間、鬼の相方は満足した様子を見せていた。吾の居るこの場所にもその何かの影響が有るのか、この暗闇の世界に何度か閃光が瞬いた。

 和やかな時間に微睡んでいたが、その直ぐ後に状況は一変する。

 突如響き渡る悲鳴。主の力が容赦無く鬼の相方を打ち砕く、そんな心象が伝わってくる。

 優しき主に思えたのに何故?

 振るわれる打擲ちょうちゃくは止まらず、それでいて鬼の相方の信奉は篤いままだ。何か理由が有るのかと思うものの、この世界に閉じ込められた吾には何も分からない。

 そんな時間が幾日も続き――だがそれも唐突に終わりを告げる。鬼の相方を半端な状態としたままで、それからは放置の日々だ。

 僅かに主に対する不信を募らせていた時に、しかし吾の世界を広げたのは、打ち捨てられ放置されたかに見えた鬼の相方、いや、その相方が操る小さな爪だった。

 時折稲光の様にこの世界を照らした天の輝き。それと同じ光が、この空隙の広間に差し込まれる。吾が煩悶していたその時に、天の小窓を開け放ったのが、その小さな爪だった。

 一瞬の閃光ならまだしも、ずっと開け放たれているのなら、吾もその小窓を通じて外の様子は窺い知れる。かつて吾子らの夢を見た時にも感じていた、外界との邂逅だ。

 しかし、散々ちょっかいを掛けてきた鬼の小爪は、律儀に小窓を閉めてから、石に囲まれた外界の、その石の隙間から更に外へと遊びに出てしまった。


 何ともはや、打ち捨てられたかに見えた鬼の相方は、吾よりも遥かに自由で、囚われているのは吾の方だったとは笑いも溢れるというものだ。

 小窓は閉められても、外が在ると知れたなら、覗き穴の一つは見つかるもの。そんな覗き穴から鬼の相方の本体らしき物体を見据えて、心の内で溜息を吐く。遣う事も無いと思っていた主や鬼の相方の力を真似て、吾に施されていた目隠しを外す。

 開いた小窓から見た吾の姿。それは人の手に因る一本爪。それが吾の新しい姿だった。


 時々遊びから帰ってくる小爪を見ながら、新たな力の練習へと身を捧ぐ。

 そんなある日、初めて吾は吾が主の姿を目の当たりにする。石室で吾を手に取ったのは、子供にしか見えない人の子だった。

 だが、そんな主が、空を飛ぶとは誰が思おう。大地を眼下に見下ろしながら、やって来たのは懐かしき吾が森だった。

 振るわれる吾が一本爪。倒れ伏した数々の獣達。そして斬り伏せられた姿無き“森枯らし”。

 心が震えるとはこういう事を言うのだろうか。

 親愛から敬愛、そして畏敬へと繋がる想いを胸の内に育てながら、吾は小さな主と共に森の中を駆け巡る。


 いや、そこには既に吾が主に対する忠誠が有ったのだろう。

 巣の様に調えられたその場所で、恐ろしい程の力を凝縮していた小さな主がふらりと倒れ伏した時、思わず動いてしまった事が、吾の心を示していた。


「大丈夫ですよ? 只の魔力の枯渇です。……ふふふふふ、替わりに生み出した魔石擬き、貴方達の強化にもたっぷり注ぎ込みますから、期待して待っていて下さいね?」


 人の言葉は分からぬが、主の心は読み取れる。

 無邪気に喜ぶ鬼の相方とは違って、吾は何とも言えぬ恐ろしさに身を震わせたものだが、何処か期待する気持ちも有ったのだ。

 鬼の相方に引き摺られて鼠穴の様な隙間を通らされても、それでも良いと思える程に。

 眠る主の近くで吾は主を見詰めながら、来たるべき時を待ち侘びたのだ。


 やがて鬼の相方が、打擲の続きをその身に受けて、恐ろしい力をその身に秘めた黒き一本爪へとその身を変えた。

 吾もまた、主の打擲をこの身に受けて、遙かな高みへと引き上げられる。

 成る程。無理矢理転変させられる様なこの感覚には叫ばずには居られないが、この震えは感動からに違い無い。

 そして世界は一変する。


 霞む世界の薄靄は吹き払われ、暗闇の世界に主の力の光が満ちる。

 頼り無げだった足下を、何時の間にか豊かな黒土が覆っている。

 耳を擽るせせらぎの音。鼻を湿らせる水の気配。

 雑多な木々が梢を揺らし、色取り取りの草花が其処彼処に芽吹いていく。

 塗り込められていた魂達が自由を取り戻し、辺りの様子を見回している。木の間を飛び交う小鳥たち。草陰から聞こえる虫の声。

 まだ、森と呼ぶには烏滸がましい。

 だが、やがて森になるだろう。


 ――クゥ……


 木々の間を駆け寄ってくる幾つもの影。

 嗚呼、お前達、お前達!

 吾子らとの日々が帰ってくる。

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