(18)噴水広場の|縁石《ふちいし》は、お尻が濡れそうでちょっと心配なのです。
ゾイさん達に後を任せて、野営する為の道具屋巡りに商店街へと繰り出します。
商店街のお店の半分以上は顔見知りですけれど、野営をするのに必要な道具までは聞いた事は有りません。
ガズンさん達がいつも何を買っていくのかを聞くだけでも参考になりそうですけれど、ガズンさん達と同じ物を揃えたところで、それが私に合っているとは限らないのです。
一つ一つ自分の目で確かめながら、揃えていくのが大事なのですよ!
なんて思いながら、初めのお店に突撃です。
もう、直ぐに暗くなって、お店が閉まってしまいそうですので、絶対に必要で、今日の夜に作業する為にも揃えておきたい素材から、見ていく事にするのです。
ここはオドワールの美髯屋。理髪店の様な名前なのに、売っているのは革や布の
名前の由来は店主の髭。針金でも入っているかの様に、ピンと半月状に整えられたくるりん髭が、これでもかと紳士の出で立ちを主張しています。
髭と同様ピシッと整えられた装いが、オドさんの象徴であり、お店の格式を示しています。歩く店の看板、生きた宣伝、オドさんは表商店街の有名人の一人なのでした。
「オドさん! 天幕に使える水を弾く軽い布と、背負い鞄に使える水を弾く丈夫な布、それから丈夫な毛布と丈夫な糸を下さいな!」
「ふむん、久々じゃな。撥水の布はそっちじゃ。毛布と糸はそれそこじゃ。懐具合と相談する事じゃな」
それだけにいいお値段がするのですけど、それでも、大森狼の毛皮とかに手を出さなければ、心行くまで買ったとしても、十両金には届きません。
この前魔石を一揃い買って、随分手持ちを減らしたと言っても、私の懐具合はまだ残り四十両金少し有るのです。
その殆どが、森に入る様になってからの報酬ですけれど、一日の報酬が鉄貨で無いというだけでも、森の依頼を受けられる様になる事は、意味が有る事なのですよ。
私の受けた森の依頼は、主に薬草採集でした。
と言っても、冒険者協会に張り出された買い取り表に従った、事後報告の様なものですけれど。
背負い袋がぱんぱんに膨らむまで集めて、大体一日六両金。街での依頼では一日頑張っても十両鉄も行けばいい方で、金で表すなら一分金にも届きません。
一朱金で一食と考えれば、ほんの四食分というところです。
やはり、森へ行く冒険者からが、本当の冒険者の始まりですね。
まぁ、その森での稼ぎも、質も量も悪い花畑で集めていたなら、二割以下に落ちていたのでしょうけれど。
花畑を追い出されていて、良かったのかもと思うのはこういう時です。
それに、花畑の初級冒険者をしていれば、グディルさんと仲良くなる事も無かったかも知れませんからね。
因みに、
まあ、私は魔石も蔕な角も、装備の素材に使ってしまいますので、換金した事は有りませんけどね。
と、おや? 水を弾く布を触って較べていた私の目に、妙な布が映りました。
透明で縫い目も見えないそれは、布とも見えない何かですけれど、何故だか妙に目を惹くのです。
「ふむ、それは『海魔の
……こんなので服を作ったら、透け透けですよ? それに、随分と高い服になりそうです。
でも、
これ、鉄と同じ様に、『根源魔術』で形を変えたり出来ないでしょうか?
出来たら、色々と使い道は有りそうですよ?
そんな訳で、麻布程度の軽い撥水布を六尋と、まず破れそうに無い厚布の撥水布を三尋、海魔の水衣を半尋程買うことにしました。
私の両腕を伸ばした長さで一尋ですから、普通の一尋より短いですけど、それでも十分な量を確保出来ました。
丈夫で有りながら肌触りも柔らかな毛布も二尋。糸は太いのから細いのまで、丈夫そうなのを数巻き仕入れました。
これだけ買って、二両金です。
海魔の水衣だけで一両金していますので、多分におまけもされている様に思いますけれど、兎に角、いい買い物が出来ました。
「ありがとうです!」
「ふむ。また来なされ」
今日もまた、誰に対しても紳士な態度のオドさんなのです。子供相手でも綺麗な女の人相手でも、全く調子が変わりません。
一言で言うならダンディー。
コルリスの酒場の親父さんも髭のダンディーには違いませんが、親父さんが秘密の過去を背負ったダンディーマスターなのに対して、オドさんは紳士の色気が溢れた、ムンムンダンディーなのです。
おお! ムンムンダンディー。なかなか良く言い表せているのですよ!
海魔の水衣は丁寧に折り畳んで背負い袋の中に入れ、他はそもそも一尋半は幅がある物ですから、畳んでももう背負い袋には入りません。くるくる巻いて担ぎ上げれば、私の背よりもずっと高く、ふにゃけた反物が揺れるのです。
じっくり選んでいた為か、もう直ぐ日が沈みそうで焦ります。
そんな気持ちで反物を抱えながら、冒険者の道具屋に寄ろうとして――諦めました。
南門から続々と帰って来る冒険者達の流れが、私に道具屋へ近づく隙を与えません。群がる勢いが凄いのです。荷物を持ちながらではとてもとても割り込める状況では無かったのです。
道具の補充は珍しいものでは有りませんけれど、こんなに群がっているのは、芋虫の討伐がそれなりに厳しいという事なのでしょうか。
私の『隠蔽』は便利な反面、人混みの中では気が付いて貰えずに、ややもすれば突き飛ばされてしまい易いのです。喩え割り込む隙間が出来たとしても、人の頭の高さより高く、巻いた反物をふにょふにょ揺らしながら割り込めば、『隠蔽』が掛かっていても絡まれる未来しか想像出来ません。
妙な所で喧嘩っ早いのが、冒険者というものなのです。
だからといって秘密基地に帰ろうにも、周りの流れに逆流する方向には、動こうという気にはなれません。
無理をすれば行けない事は無いのかも知れませんが、無理をしないと行けないと感じるという事は、何か理由が有るものなのです。
こんな時には大人しくしておくのが無難なのですよ。
普段はするりと擦り抜けながら、手間取る事は有りませんが、今は大荷物を持っているのです。いつもは行儀のいい冒険者達であっても、森で怪我をして気が立っている今の彼らを相手にしては、折角の新しい布を、泥だらけにする未来しか見えません。
……まぁ、それでも、こんな人混みを歩く時は、無意識の内にも多少『隠蔽』が緩んだりしているのか、誰にも見つからないディジーリアでは無くなっている様で、そこまで気を付ける必要は無いのですけど。
兄様達にも見つかりましたし、正面から歩いて来る人は避けてくれる事も多いのです。
でも、そんなのは、どちらかというと珍しい事。殆どの人は、私から話し掛けない限り、気が付く事は有りません。誰かが居るとは分かっても、それが私とは分からずに、ふとした弾みで見失ってしまうのが、街を行くディジーリアの現状なのです。
だから、私は面倒な衝突事故を避ける為に、大通りの途中に在る一番大きな噴水広場で休憩する事にしたのでした。
噴水の縁に腰を掛けて、膝の上に背負い袋と瑠璃色狼を抱え込んで、更に買った反物は腿できゅっと挟みながら、ぼんやりと、行き交う人々を眺めます。
偶にはこんな、のんびりした時間もいいものですと思いながら、頭の中では新しい背負い鞄の構想を練るのです。
必要なのは、天幕や寝袋が括り付けられて、鍋や光石をぶら下げられて、必要な物を必要な時にサッと出せて、雨が降っても水が沁みない、そんな鞄が必要なのです。
そうです寝ている時にささっと逃げる為には、寝袋にだって工夫が必要です。
さて、どんな装備にしましょうかねぇ?
そんな楽しい構想に思いを馳せるその内にも、私の前を多くの人々が行き過ぎていきます。
丘の中腹に有る大噴水広場より上には、居住区は殆ど無い為でしょうか。日が沈む夕方ともなると、砦側から下りてくるのは南門から帰ってきた冒険者達、街の側から登ってくるのは巡回を終えて砦へと戻る騎士達と、随分はっきりとしていました。
糸の
そうかと思えば包帯に血を滲ませながらも陽気に鼻唄を歌う冒険者が、年嵩の騎士と肩を叩き合いながら酒場への扉を潜っていきます。
(むむ。あれは一言で言うなら筋肉さんですね。……あちらはヒョロニガさんでしょうか?)
新しい装備の構想を一旦止めて、そんな冒険者達に目を向ければ、一人一人丸で違うその表情です。
冒険者の表情で、性格まで分かってしまいそうですよ?
今、私の前を過ぎていく冒険者達は、無事に街まで戻ってきた事で、ほっと安堵している気持ちも大きいのでしょう。多くの冒険者は、満足気な顔付きで今日の無事を称え合っている様です。
剣を振るった殺伐とした心持ちが残っていたとしても、森から街までの間にある数十分の草原行で、そんな気持ちも鎮まっているのに違い有りません。時折街を見下ろす砦の前から、「うおおー!」と生還の雄叫びが聞こえてくるのが、私の推測の正しさを物語っている様です。
ガハハと笑って腕を振り上げる筋肉の人は、何より暴れられたのが嬉しいのでしょう。血のだくだくと滲む包帯にも、厳つい笑顔を曇らせる力は無いのです。
(また筋肉さんです。ガハハ筋肉ですね?)
数人固まってカードを見せ合いながら、鼻息粗く議論に興じる青年達もいます。あれは冒険者協会で貰える認識証です。『技能識別』とかをして貰うと、その結果を載せてくれるのです。きっとああやって今後の方針を話し合っているのでしょう。羨ましい限りなのです。
(技能マニアですよ、技能マニア。カードを見ていても何も分かるものですか!)
時折仕留めた芋虫――
(拳友情ですね! ……羨ましいのです)
中には暗い表情で考え込んでいる冒険者もいないでは無いですが、総じて数は多くは有りません。まぁ、本当に仲間が大怪我をしたり、死んでしまったというのなら、街まで下りてくる事も無く、南門の近くの酒場に入り浸っているのかも知れませんけれど。
それでも概ね朗らかな雰囲気の冒険者達に対して、その多くが苦々しげな雰囲気を漂わせているのは、砦の騎士達でした。
顔を不機嫌に歪めたり舌打ちしたりというのが
(ふふふ……騎士には舌打ちさんとやれやれさんに大きく分けられる様ですね)
と、ここで初めて行動が読める振るい分けが出てきました。
ゾイさんが見せた見事な分析。それに倣って目に映る人々を分類してみましたけれど、ムンムンダンディーさんも、ガハハ筋肉さんも、雰囲気は良く表しているのですが、どんな行動をするのか今一つ分からない区分けになってしまっていたのです。
ですが、やれやれさんはやれやれですし、舌打ちさんは舌打…………そのままですね。
何かを間違えてしまいましたか?
考えてみれば、ゾイさんの分類も、一人が好きな私は独りで動いて、仲間と一緒がいいゾイさんやリダお姉さんの様なのは皆で動くと、やっぱりそのまんまな事を言っている様に思います。
もの凄く納得出来たのに、何だか騙された様な気持ちがするのは、どうなのでしょう?
そう思って思い返せば、ゾイさんとリダお姉さんが一緒の分類というのも何だか首を傾げてしまいたくなりますし、そもそもリダお姉さんはそんなに皆と一緒が楽しいという感じでも無いのです。リダお姉さんが身内と認めている人数なんて、きっと十人にも満たない様に思いますよ? それでも、数人と一人の違いは大きいのかも知れませんけれど。
むむむ、と考え込んでしまうのです。
ですが、翻ってよくよく考えれば、ゾイさんの分類は、見た感じの雰囲気とか、そういうのは関係無かったかも知れません。
性格とか嗜好、それも極々限定した状況でのものに対して、どんな行動を取るかとか相性といったもので分けていた様に思います。
騎士達で言うなら、やれやれさんと舌打ちさん、というのでは無くて、その前に何を感じているのか、というのが有るという事ですね。
考えてみるのです。
例えば、騎士達は街を守るのが仕事なのですから、街の危機に繋がる魔物の大発生を歓迎されたら、面白く無いのは当然なのです。
更に、そういった街の危機に対して訓練を積んできた自分達では無く、冒険者ばかりが
そんな中で、誰が解決しても街が守れれば良いと考えるのがやれやれさんで、自分の手で解決しなければ納得がいかないのが舌打ちさんなのでしょう。
おおっ! 話が繋がった様に思うのですよ!?
そう思って耳を澄ませば聞こえてくる、
騎士は森の中までは入って行きません。位が高くなればその辺りも自由が利く様になるみたいですけれど、下っ端ではそうはいきません。日々訓練に明け暮れて、それで相手にするのは森から草原に溢れてきた僅かな魔物ばかりです。
戦う為に志願した騎士にも拘わらず、戦場に立つ事も出来ないのでは、それは気分も腐るというものなのです。
吐き捨てている言葉は、納得がいかない現実を、無理矢理納得させる為の言葉なのですね。私が毛虫を毛虫と断じるのと、似た様な事なのかも知れません。
だからと言って、見ていて気分がいいものでは有りませんけれど。
そもそも、成り上がって名を売りたいのなら、騎士では無く冒険者に成れば良かったのです、と思うのは、私が騎士について知らないから思う事なのでしょうか。
冒険者は自由です。そこに自分の腕を発揮出来る依頼が無いなら、自分に合った土地を探して何処までだって旅をする事も出来るのです。
そうして腕を磨きながら、ランクAにも成れば、伝記物の主人公にも成れますよ……って、それは騎士も同じですかね?
実戦に勝る鍛錬は無いと思いますので、単に羨んでいるだけなのでしょうか。
同情の余地は有りそうですけど、何だか、花畑から追い出された私の方が、花畑の彼らよりも稼いでいる事を知った初級冒険者達と同じ様な感じなのです。
指を咥えて見ているだけでは無くて、討伐に参加したいと訴えれば、きっと無下にされる事は無いと思うのですけどどうなのでしょう。
どちらにしても、採集生産雑用系冒険者の私には余り関係無い事です。これからはそれに探索系が加わる予定ですが、討伐系に名を連ねる予定は有りません。討伐依頼を受けたとしても、それは採集依頼の
何と言っても、討伐系冒険者というものは、態々分類するまでも無く、脳筋一辺倒なのですから、私とは対極に在るのです。
今もぶんぶんと意味も無く腕を振り回して、腕力を見せびらかしている様な乱暴者とは、どうしても相容れれそうな気配が有りません。
腕力こそが全ての脳筋冒険者達は、何をするにも腕っ節が基準になるので、話をするにも丸で通じません。
今は『隠蔽』が有る為に絡まれる事も少なくなりましたが、冒険者に成り立ての頃に、私の事を頑として認めず、事有る毎に嫌がらせをしてきたのも殆どが討伐系冒険者なのです。
私は私の必要な素材を採集して、心行くまで鍛冶をして、自由に冒険が出来ればそれでいいのです。誰が誰より強いとか、冒険者に
…………って、行き交う力自慢の冒険者達を眺めながらそんな事を考えていましたが、そこまで考えて気が付いてしまいました。
これって結局、ゾイさんの言っていた、「一人が楽しい」のか「集団が楽しい」のかの嗜好に帰結するのではないでしょうか。
私は独りが気楽なので、冒険者としての順位なんて気になりません。私がしたい事を出来るだけの力が有ればいいのです。
ですが、集団なら、その中での順位も気になるのかも知れません。更に、集団の中でどう見られているのかという意識が高じて、自分の属している集団がどう見られているのかという事まで考えてしまうと、毛色の違う私の様なのが混じっている事に、拒絶反応を示してしまう事も有るのではないでしょうか。
まぁ、そんな事が分かったところで、私からしてみれば自意識過剰の勘違いさんです。
何と言っても、彼らが信奉するガズンさんは、一見脳筋の討伐系に見えて、実は採集依頼もとても丁寧に
いつもコルリスの酒場でガズンさんが溢していた、自称舎弟への愚痴を聞いていた私としては、彼らの言い分は既に聞き流すばかりのものなのです。
(むむ……今のは肩を組んで歩いていたので、集団好きの冒険者ですね?)
(むむむ……平然とした顔で、一人で街へ下りていくのです。一人好きの冒険者でしょうか)
(むむむむ!? 一人ですけど、きょろきょろしてます。…………わ、分からないですよ!?)
見た目の雰囲気とは違って、これはとても分析が難しいのです。
全く以て、ゾイさんには流石と言うしか有りません。きっと、『分類』とかその手の技能を持っているに違い無いのです。
見た目に分かり易く肩を組んだりしてくれているなら兎も角、一人で歩かれると丸で分かりません。
冒険者と違って、騎士は皆集団好きの様にも思いますけれど、今も街から登ってくる、矢鱈と気配がくっきりしている女騎士様なんかは、それこそどちらのタイプか分からないのです。
存在感がはっきりしているのは、きっと強い魔力を持っているからです。錬金術屋のバーナさんが錬金術をしている時には劣りますけれど、遜色ない程の魔力を常から纏っていると言う事は、本気になればどんな事になるのかとどきどきするくらいなのです。
私からしてみれば、垂れ流しにしている時点で余りにも非効率ではあるのですが、垂れ流しに出来る事がそもそもの力の高さを示しています。
背筋もぴんと伸びて、隙の無いきびきびとした身の熟しの、凜とした女の騎士様です。ぼんやりしていても、その人影だけくっきり意識に残る様な、くっきりさんでもありました。
ですが、一人好きか集団好きかと言われると、もう分かりません。
この人は、独りでも丸で気にしないに違い有りません。
でも、皆と一緒でも、それはそれで……って、グディルさんの様なタイプも居るのでしたね? なるほど、この人は、どちらも有りな人なのでしょう。きっとそうに違い有りませんね。
そんな風に、ぼんやりと行き交う人々を眺めていた私の前で、そのくっきり女騎士様が足を止めました。
私に向いて足を止めたので、思わず見上げてみれば、その視線は私の荷物、瑠璃色狼、辺りの様子、私の後ろと
噴水広場の噴水は、夜の灯を映してキラキラと輝くばかりなのです。
「むむ? 娘さんや。
とか、言ってみました。
言って、荷物と一緒に横っ飛びにその場を飛び退きました。
瑠璃色狼を手に持つ私は、既に
それが命を預ける武具に無遠慮に手を触れようとするなんて、許される事では有りません。
幾ら目を見開いて驚いて見せても、これはお仕置き案件なのですよ!
そんな憤激を視線に込めて睨み付けていたというのに、無礼女騎士の口元が、暫くの後ににやりと笑みを浮かべたのです。
「くっ」と、喉の奥だけで笑うその笑い方が、嫌な予感を
その予感そのままに、さっと踵を返す勢いで背負い袋を背中に背負い、逃げ出そうとした私の体は、むんずとその背の高い狼藉女騎士様に捕まえられてしまいました。背負い袋の後ろに手を当てられているだけですけど、その手から伸びた魔力が背負い袋を貫いて、私の体を掴まえて離しません。
何とも乱暴で痛いのですよと、喰い込む魔力を私の魔力でそっと
そんな下手糞な魔力操作で、人を掴まないで欲しいものですと思いながら、
「ええい、無礼な! 何とふてぶてしい
とか、また言ってみたりしましたら、とうとう女騎士様は高い声で笑い出しました。
「うははははははは!」
何なんでしょう、この人は?
何と、そのまま私を腰の横でぶら下げたまま、何処かへ歩き去ろうとするのです。
なので、腕の振りに合わせて繋いだ魔力の手をびみょーんと伸ばしてみたのです。
「ぎみゃー! 何をするーー!!」
勿論、悲鳴の声も忘れません。
びみょんと魔力の手を伸ばした為に、私は乱暴女騎士の手を離れてあわや地面すれすれに。
慌てた女騎士が魔力の手の起点となっている腕を振り上げて――
――ふ。掛かりましたね!!
引き上げられる勢いに合わせて魔力の腕を縮めながらの、大回転アタックです!!
下から跳ね上げられたボフボフ反物が、ボフンと口を開けた顔を捉えるのですよ!!
「た~す~け~て~~~!!」
今度は死角から戻りながらの振り下ろしなのです――っと、何と! 避けられました!?
ならば今度はカクンと高さを下げて足下への薙ぎ払い、って、蹴り上げられてしまいましたよ!?
ぎにゃー!! 振り回さないで下さい!!
「ぎゃー!! 助けてー!!」
「くはははははは!!」
「あーそーばーれーるー!!」
「うははは、はははははは!!」
それより、そろそろ誰か助けてくれてもいいのでは無いでしょうか?
調子に乗った女騎士がぶんぶん振り回してくれるので、ちょっと目が回りそうなのですよ?
えいやと横向き大回転です! ――く、腕で弾かれてしまいます。
ならば直突き真っ向勝負! ――駄目です、当てた手で流されてしまいます。
それなら直上からの急降下!
「姫様。何をしていらっしゃるのでしょうか」
むむ、爺やは
そんな言葉が頭に浮かびましたが、動揺したのは寧ろ女騎士様の方だった様です。
受け流し放り投げようとしていたその腕が、わたわたと動いた後に、頭を真下に突撃していた私を反物毎抱き止めたのです。
少ししゃがみ込んで、反物側から回した腕が、何とかギリギリ腰の辺りを締め付けています。反物の先端も潰れて、地面と頭の間の隙間が握り拳二つ分。
突撃直滑降は危険なのですと私が学んだ瞬間でした。
抱き止め女騎士が立ち上がるに連れて遠のく地面。
それを余所に、氷の声と女騎士との会話が始まっていました。
「姫様は騎士団の評判を地に落とされるつもりですかな」
「い、いやー、ちょっとしたお茶目ではないか」
「ほほう? 手伝いの娘が慌てて駆け込んでくる所業がちょっとしたお茶目ですかな。成る程、姫様にとって城下の者の視線は気にもならぬ様だ。全く以て素晴らしいものですな」
何故か姫様と言われて、私に声を掛けられたのかと思ってしまいましたけれど、この声は女騎士様に向けられたものの様です。どんな男の人がこの氷の声の持ち主なのかと思いましたけれど、残念、声を掛けてきた男の人は私の背中側に居て、その顔を見る事は出来ません。
代わりに薄目で見下ろし――天地逆さまなので、見下ろした方向が上ですよ――た女騎士様は、姫様と言われるには随分と薹が立って見えますけれど、未婚の姫なら姫様というしか無いのでしょうね。
ですが、何故かこの人が姫様と言われている事には、苛立ちが募るのです。
「ち、違うぞ!? これはこの子と遊んでいただけで――」
「はぁ~~。その子
「違うと言っているだろう!? 私がそんな事をする筈が無いのは、お前も良く知っているだろうが!?」
「その有様でまだそんな事を仰るとは。……姫様は変わってしまわれた様ですな」
「おい!? リリン!? まさか本気で言っているのでは無いだろう!?!?」
何故苛立つのかと言えば、姫様と言われながら、この人が好き放題に生きている様に見えるところがどうしても納得がいかないのです。
姫様とは、姫様とは、そういうものでは無かった筈なのです。
「……ふぅ。それ程言うのでしたら、姫様がどの様に見られているのか、周囲を良く見回してみて下さい。――…………今、姫様から目を逸らした人の数が、全ての答えですよ」
「そ、そんな!? まさか!? 嘘だろ!? 嘘だと言ってくれ!!」
だから、そんな人が姫様姫様と言われているのが耐え
そして今度こそ両足で大地に降り立ち、ピシッと伸ばした指先で、無礼な偽姫様女騎士を指差すのです。
「あなたが姫様な筈が有りません!! さては、偽物ですね!!」
降り立ってみれば、そこはもう砦の敷地内です。
辺りには騎士様達が遠巻きにしていますが、緊張感というのは余り漂ってはいません。
気になっていた氷の男は、思った通りの怜悧で冷ややかな面差しですが、どこか見覚えが有るのは何故でしょう?
「は!? まさかっ!?」
その鋭い面差しに驚愕を浮かべ、数歩女騎士から距離を取りますが、少しばかり悪ふざけの気配が漂っていますよ?
「リリン! 覚えていろよ! ……で、どうして私が姫では無いと言うのだい?」
何故だか分かりませんが、この偽姫様が口を開く度に憤激が高まるのです。
「どの口が言うのですか、忌々しい! お姫様というのは! 煌びやかで退屈な部屋に閉じ込められて! 偶のお忍びで街に出てみれば攫われて、身の不幸を嘆く事も出来ないのがお姫様というものでしょう! あなたの様な人がお姫様な筈が有りません!!」
ですが、その言葉を聞いて呆気に取られていた偽姫様がぽつりと一言。
「いや、王女という訳では有るまいし。将軍家の姫など、こんなものだろう?」
それを聞いて、自分でも理由が分からない突然の激昂と同じくして、唐突に私の憤りは鎮まったのです。
王女様――王族の姫とは、違うという事でいいのでしょうか。
分かりません。
私には分からないのです。
私はただ、混乱したままに、口を開けて指を差したまま、その場に立ち尽くすのでした。
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