第160話 赤薔薇に想いを込めて

 アレンを空彼方へと殴り飛ばしたルーミアは、座り込んだまま、弱々しく息を吐いた。

 とくん、とくんと刻む鼓動は緩やかに小さくなっていく。


(リリスさん、大丈夫かな?)


 そんな時、ふと頭をよぎったのは、どこかへと置き去りにしてしまったリリスのことだ。

 ルーミアは扉や通路、階段などを無視して、好き放題暴れ回った。この廃洋館で扉は一度も触れていないし、通路という通路もまともに通っていない。床や天井は穴だらけになり、破壊の限りを尽くしながら戦った跡が見事に刻まれていた。


 そのため当然、彼女をどこに置いてきたかなんて分かりもしない。むしろ、ルーミア自身が迷子になっていると言っても過言ではないだろう。


 早くリリスに会いたい。だが、その裏腹に身体はまったく動かず、冷たくなっていくのを感じる。こんなにも近くに――死を感じる。


「ルーミアさん! ここにいましたか!」


 そんなルーミアの元に足を引きずりながらやってきたリリスは、壁にもたれかかる彼女に呼びかけた。これだけでルーミアは嬉しくなって、満面の笑みを咲かせるだろう。それなのに――あんなに渇望していたリリスのお出ましに見向きもしないのは、ルーミアがそれだけ疲れ切って、弱り切って、その灯火が今にも消えてしまいそうになっている証だった。


 自らの呼びかけに応えないリリスもルーミアの異変に気付いた。

 痛む身体に鞭を打って、ルーミアの元に急ぐ。リリスも叫ぶのはつらいのだろうが、大声を出すことも厭わずにルーミアへ何度も呼びかけを行った。


「……リリスさん、いるんですか?」


「ルーミアさん、大丈夫ですか?」


「……すみません、よく聞こえないので、もう少し近くに来てもらえませんか?」


 至って普通の声量で話しているリリスだが、ルーミアの反応は鈍い。

 だが、生きている。今はそれだけで安堵したリリスは、ルーミアに寄り添って顔を近付けた。


「ルーミアさん、積もる話はありますが……今は脱出しなければいけません。この建物……崩れそうです。早く逃げないと手遅れになりますよ」


「崩れる……? ああ、そういう……ちょっと暴れすぎましたね」


「ちょっとどころじゃないですよ。すごい揺れてたんですからね……ってそんなのはどうでもいいです。早くいきましょう。立てますか?」


「…………」


「ルーミア、さん?」


 リリスが催促するように肩を揺らす。だが、ルーミアからの返事はなければ、彼女が立ち上がろうとする素振りもない。

 それだというのに、ルーミアは安らかで満足したような表情でうっすらと笑みを浮かべている。


(ああ……本当に優しくて、かわいくて、綺麗で、美しくて、素敵な人。そんなあなたにだから……私は惹かれたんです)


 ルーミアは走馬灯を見ていた。

 リリスと初めて出会った日。彼女と過ごしたかけがえのない日々。色褪せない思い出を噛みしめて、冷たくなっていく身体とは裏腹に、心がぽかぽかと温かくなっていくのを感じていた。


 ルーミアはリリスが好きだ。

 その感情は友情かもしれないし、愛情かもしれない。気付いた時には手遅れになるくらいに惹かれていた。


 一緒にいて心地よくて、幸せで、これから長い未来をきっとともにしていくものだと漠然と思っていた。


(でも……きっと私はここで終わる)


 ルーミアはもう立ち上がる気力はない。すべてを諦め、すべてを受け入れた。たとえ自分が終わるのだとしても、リリスを助けられたのなら意味がある。為すべきことは為した。

 そんな彼女の口が弱々しく持ち上がった時、紡がれた言葉にリリスは信じられないものを見るかのように、ぎょっとしてルーミアを見つめていた。


「リリス……さん。今までありがとうございました」


「な、に……言っているんですか? やめてくださいよ縁起でもない」


「リリスさん」


「嫌です……っ! 聞きたくありません」


 リリスはルーミアがどういう意図をもってそのような事を口走っているのかを理解してしまった。だから、聞きたくなくて、耳を塞いで拒んだ。

 聞いてしまったらそれっきり、それで最後になってしまう嫌な予感がしたからだ。


「そういえば……まだちゃんと言ったことはなかったですね」


「やめてください」


「リリスさん」


「嫌だっ!」


「大好きです」


 目を瞑って、耳に手を当てて拒む姿勢を取っても、ルーミアの口から紡がれた言葉は耳に入り、リリスの中へと浸透していく。

 言われて嬉しいはずのそれは、リリスの心を揺らした。

 嬉しいのか悲しいのか分からない涙がとめどなく溢れてくるリリスは、震える声を絞り出した。


「どうして……今なんですか」


「今しかないからです」


「今なら聞かなかったことにしてあげますから、帰ったらもう一回聞かせてください。だから……一緒に帰りましょう」


「……ごめんなさい」


 リリスは懇願した。

 だが、ルーミアは僅かに首を横に振った。できることなら一緒に帰りたかった。

 でも、身体はもう言うことを聞かない。視界は薄れてきて、耳も遠くなり、声も出なくなってきた。伝えたいことを伝えるなら今しかない。そんなルーミアは数ある伝えたいことの中から、それを伝えたのだ。


「じゃあ……私もここにいます! それが私の答えです!」


「……ふふ、それは嬉しいですが、ゼロ点です。あなたは、逃げて……生きてください」


「……ルーミアさんを置いて、一人で帰れってことですか……?」


「そうです」


「そんなの……できるわけ……」


 リリスはルーミアの隣で一緒にいることを選択した。だが、ルーミアはそれをやんわりと咎めた。せっかく助けたリリスが、自分と一緒の道を進むのは耐えられなかった。最後の最後までわがままなルーミアは、自分の意見を押し通すために――持っていたカードをここで切った。


「リリスさんがなんでも言うことを聞いてくれるあの約束……今果たしてもらいます」


「あ……」


 リリスもすっかり忘れていた、ルーミアに与えてしまった権利。

 デートでルーミアを盛大にからかって拗ねさせた時に結んでしまった約束。いざという時のために取っておくと保留にしていたルーミアは、今こそが使い時だと、その約束の履行を求めた。


「……ずるい。そんなのって……あんまりです。悪魔ですか」


「悪魔ですよ。なんたって……白い悪魔ですから」


 その約束を持ち出されたリリスは口元を押さえてボロボロと涙を零す。

 もっと違うことに使われると思っていた権利がまさかこんな形で使用されるとは思ってもみなかった。


 リリスからすれば、ルーミアを見殺しにするという行為を強制されたようなものだ。酷な要求を飲まないといけない。リリスはそれが苦しくて、胸が痛むのを感じていた。


「リリスさん、最後に……手を握ってもらっても、いいですか?」


「……はい」


 本当は否定したかった。ルーミアの口にした最後なんて訪れないのだと言いたかった。だが、駄々をこねている時間はないのだと、リリスはもう分かっている。

 ルーミアに残された時間と、廃洋館の崩壊までに残された時間は共に僅か。それならば、ささやかな願いを叶えてあげるべきだろう。


 リリスはまたしても涙がこぼれそうになるのを堪えて、ルーミアの手を優しく握った。


「……この温もり、大好きでした。最後に……顔をもっとよく見せてください。目が霞んでよく見えないんです」


「……はい、これでいいですか……んっ……?」


 ルーミアの願いに応えるために、リリスは顔を近付けた。

 それに合わせてルーミアは最後の力を振り絞って顔を動かし――リリスの唇に自身の唇を重ねた。


 時間にしてほんの数秒。だがまるで時が引き延ばされているかのように、何分、何時間と長いものに感じられた。

 そして、唇が離れる直前、対象者に触れているという条件を満たしているうちに、ルーミアは残る魔力をすべて使い、リリスへと魔法をかけた。


 身体強化ブースト回復ヒール

 ルーミアの代名詞ともとれる二つの祝福をその身に受け、リリスは時が来たのだと覚悟を決めた。

 次に口を開くルーミアが何を言うかはもう分かっている。それが最後であることも分かっている。


 リリスは、真っすぐにルーミアを見つめ、その言葉を待った。


「――――――――――」


 再三、泣きそうになりながら、リリスは力強く頷いた。

 そして、立ち上がって、その要求に従って駆けだす。それが約束の履行であり、ルーミアの願いだったから。


「ちょっと待っててください。すぐに助けを呼んで戻ってきますから……っ」


(……ありがとう。私の愛しい人)


 薄ぼんやりとした視界で、リリスの後ろ姿が遠ざかっていくのをなんとなく理解したルーミアは眠るように目を閉じた。その顔はとても安らかで綺麗だった。


 ◇


 ルーミアが残した祝福のおかげで身体能力が強化されているリリスは無事に廃洋館が崩れる前に脱出した。

 その次の瞬間に、フッと祝福が消えていく。


 そして、それとほぼ同時に崩壊が始まり、廃洋館は瞬く間に瓦礫の山になった。

 身体強化ブーストだけでは間に合わなかったかもしれない。回復ヒールも受けていたから、ギリギリ間に合ったと思うと、ルーミアが生かしてくれたかのように感じられ、リリスはまたしても涙腺が崩壊しそうになる。


 そんな時、握りしめた手の中に何かがあることに気付いた。

 おそるおそる手を開くと――そこには二つの髪飾りがあった。


 一つは青い薔薇の髪飾り。ルーミアが着けていたものだ。

 そして、もう一つは――。


「……バカ」


 リリスの着けていた白い薔薇の髪飾り、だったもの。ルーミアが所持しており、彼女の血を浴びたそれは赤い薔薇へと様変わりしていた。きっとそれは偶然の産物だろう。だが、それはルーミアから受け取った最後のメッセージだった。

 その花言葉を頭の中で思い浮かべた時、リリスはついぞ涙をこらえることができずに、声を押し殺して泣いた。


 ◇


 本日は物理型白魔導師第一巻の発売日です!

 書店などでお手に取ってくださった方はありがとうございます!

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