第158話 返り咲く白
焼けるような熱と鋭い痛みが広がり、ルーミアは何が起こったのか理解できず混乱した。背後から刃を突き立てられた。いつの間にかアレンに回り込まれたのかと思ったが、ふと顔を上げると正面には投げ飛ばした彼がちょうど壁に叩き付けられたところだった。
そうなると今ルーミアの背後にいるのは一人しかいない。
恐る恐る振り返ると、虚ろな目で涙を零しながら、剣を握る手と身体をカタカタと震わせるリリスがいた。
「リ……リス、さん?」
「ぁ……に、げ……て」
震える喉からかすかに紡がれた言葉は『逃げて』というもの。彼女の表情と声、そして彼女の頬を伝う雫が、その一撃が意図したものではないのだと物語っている。
しかし、逃げろと言われたところで、ルーミアは身動きが取れない。
背中から腹にかけて刃で貫かれていて、その刃は今にも引かれそうになっている。それを動かされるのはまずいと本能的に感じたルーミアは手がズタズタになることも厭わずにグッと握りしめて押さえ込む。
幸い、その剣を握っているのはリリスだ。どれだけ肉体的にダメージを負っていようと力比べでルーミアが負けることはない。だが、次の一手に移れない。
(ぐっ……治すにしても一度抜かないといけませんが、その際にしっちゃかめっちゃかかき回されたらおしまいです。この手は離せませんね)
刃が手に食い込み、赤が滴る。
背中を筋肉をぐっと引き締めて、その刃を動かされないように努めるルーミアは正直なところ余裕がない。早いところ対処しなければいけないのに、様子のおかしいリリスがとどめを刺そうとしてくる。
「……ははっ、味方に刺された気分はどうだ?」
「最悪ですよ。いったい何をしたんですか?」
「そいつが自由になった時、最も近くにいる者を襲う条件付き強制命令付与……まあ洗脳みたいなものだ。その手枷を核にしてあるが……壊さなかったのが裏目に出たな」
ルーミアはリリスに自由を与えるために、拘束を解き放つことを優先した。だが、破壊するのは鎖だけに留めて、手首を覆う物々しい手枷の破壊は後回しにした。鎖さえなければ、リリスは比較的自由に動けるというのもあるが、リリスの肉体に密着したそれを壊すのには魔力を乱されている状態、そして
だから、すべてを片付けてからゆっくり取り外してあげればいいと優先順位をつけ……誤った。その一因はアレンがわざとらしく見せてくる首輪に警戒を寄せていたからだ。
本命に注目を集めて、リリスに仕込んだ罠から意識を逸らした。
アレンがその手枷を通してリリスに仕込んだ強制命令は、鎖が外れて自由になった時、最も近くにいる者を襲うというもの。それがルーミアでなくとも、アレンはリリスからの攻撃を避ける必要がなく、むしろ嬉々して受けにいくだろう。そうすればリリスは手傷を負い、ルーミアの動揺を誘える。どちらに転んでもアレンにとって害はなかった。
「そいつがただの人質だと思ったか、バカが。だったら拘束する前に武装を外してるに決まってるだろ」
「……だったらバカはあなたですよ。リリスさんの武装を外さなかったこと……きっと後悔します」
「死にかけの分際で粋がるなよ。そんな剣振り回すしか能がない雑魚、眼中にないんだよ!」
「……言ってろ。リリスさんはあなたよりよっぽど強いですよ。なんて言ったって……あなたが手も足も出ない私に、こんなにもダメージを与えたんですから」
ぺっと口の中にたまる血を吐き出しながらルーミアは煽るように不格好な笑みを浮かべた。
それは暴論でもあるが、真実でもある。
ぴきぴきとこめかみに青筋を浮かべるアレンだったが、大きく息を吐くと落ち着きを取り戻した。所詮、強がっているだけ。優位に立っているのは自分だと冷静に飲み込んだ。
「で? どうする? そのまま血を流して死ぬか? そうなれば俺の目的も潰えるわけだが……その時はそっちの女にこれを着けて遊んでやる」
「死にかけの私にビビってるんですか? 今なら……その首輪、着けられるかもしれないですよ?」
ルーミアはリリスに刺された地点から動いていない。いや、動けずにいると言った方が正しいだろう。
アレンにとっては都合のいい状態。首輪を着けるのなら絶好の機会だろう。
一歩。一歩。
首輪を見せつけながら近付くアレンをルーミアはジッと見つめる。
その瞳に諦めはなく、何かを狙っている。
ぴちゃん。
手を伸ばせばルーミアに触れられるその間合いで、水音が響いた。
「
ルーミアの足元からぶわりと冷気が湧きだす。
それだけなら足りなかっただろう。だが、今もなお滴り落ち、足元に広がり続ける血溜まりが凍結の補助の役割を果たす。
「なっ、お前……自分の血を……っ」
「リリスさん、さっき私に言ったことを覚えてますね。だったら無理を承知で言います。私を信じて、やってください。私もリリスさんを信じています」
ルーミアを起点に、リリスとアレンを一網打尽にする氷の膜がこの場にいる全員の足を縫い留めた。その状態でルーミアは剣を押さえ込む手を離して、リリスへと呼びかける。
背後にいるリリスの様子は分からない。
だが、不思議と不安はなかった。ルーミアはリリスならこの信頼に応えてくれると確信していた。だから、剣を押さえる手を離した。
その瞬間に剣は動く。だが、それは葬るためではなく、救うための挙動だとルーミアは確信した。
「
その必殺の間合いで、ルーミアはアレンの両腕を押さえながら、彼に巡る不自然な魔力の流れを破壊した。その次の瞬間、リリスの持つ魔剣がグッと押し込まれ、ルーミア越しにアレンにも突き刺さった。
「リリスさんに与えた命令は私への攻撃。しっかり遂行されましたね」
「……お前っ……死ぬのが怖くないのか……っ?」
「怖いですよ。だから信じてると言ったんです」
ルーミアは背後に手をやり、リリスの手に自身の手を重ね――彼女にかかった呪いを解く。靄が晴れたようにしっかりと意識を取り戻したリリスは、ルーミアにかけられた信頼に応えるべく、躊躇なくルーミアの身体を貫いていた剣を勢いよく抜いた。
「ごふっ……忘れました? 私は……白魔導師なんですよ?」
再度せり上がる血を吐き出すが、これで異物はなくなった。あとは白魔導師としての本領を発揮し……ルーミアは応急処置を
正真正銘、死の淵から返り咲いた白魔導師は口端に付着した血を拭い、拳を構える。
「これで心置きなくぶちのめせます。またボコボコにされる覚悟はいいですか?」
血染めの白い悪魔は、死の宣告を携えて、殺気を飛ばして威圧した。
その姿は、満身創痍でありながらも、非常に力強く、頼もしさを感じさせるものだった。
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