第86話 約束

「ふわぁ、よく寝ました」


 その後、目覚めたルーミアは回復した魔力で身体に一段階の身体強化ブーストを纏い直し、やや気怠さが残る身体を起こすと可愛らしく欠伸をしながら大きく伸びをした。

 ブラックアリゲーターを討伐しにやってきた時はまだ高く登っていた日も傾きかけ、空を紅く染め始めている。


 ルーミアはかなり長い時間眠っていたようだ。

 いくら疲労がピークに達していたとはいえ、戦闘直後の安全確認もなく長時間に渡って無防備な姿を晒すのはよくない事だ。

 冒険者としても女としても失格の愚行だか、彼女は特に気にしておらず寝惚け眼を擦りながら辺りを見回した。


「ああ、そういえば素材の回収がまだでしたね」


 戦闘直後、張り詰めた糸がプツリと切れたように眠りについたルーミア。当然後処理などしている訳もなく、見渡すとブラックアリゲーターと白い鰐が転がっている。


 もし、その間に誰かが通りかかり、素材だけを持って行ってしまうなんてこともあっただろう。

 最悪の事態を何一つ想定していない彼女の行動は一緒に行動する仲間がいないソロだからこそ許されている。


 ルーミアが眠りにつく前と変わらない光景が広がっているが、それは当たり前のことでは無い。

 何者の介入もなかったからこその奇跡。

 そのことを咎める者は残念ながらこの場にはおらず、少女は呑気に鼻歌を口ずさみながら散らばった鱗などの素材を拾い集めていた。


「さ、帰りましょう。戻ったらリリスさんにいっぱい褒めて貰いましょう」


 素材回収を終えウキウキに心躍らせて帰路に着くルーミア。

 彼女を待ち受けるのは果たして賞賛なのか、それとも――――。





 ◆ ◆ ◆ ◆



「あのぉ……どうして私は正座させられているのでしょうか?」


「心当たりは?」


「……ないですね」


「しらばっくれても無駄ですよ」


 結論から言ってしまえば、ルーミアを出迎えたのは怒り心頭のリリスだった。

 ニコニコとしているが明らかに目は笑っていない彼女に引き摺られ、応接室に放り込まれたルーミア。

 そして有無を言わさずに正座をさせられており、仁王立ちで圧をかけてくるリリスに縮こまっているところだ。


(え、えっ? 何で? もしかしなくてもバレてる?)


 ルーミアは内心とても焦っていた。

 心当たりなどないわけがない。

 だが、問題なのは何故それをリリスが把握しているのかだ。


 瞬く間に看破された嘘。

 リリスはわかった上で問い詰めているのだろうか。などと考えるルーミアにリリスは呆れたようにため息を吐いた。


「あのですね? このギルドにはかつて観測者と呼ばれたお方がいるのをお忘れですか?」


 そこでルーミアはハッと息を飲んだ。

 それで合点がいった。

 そういうことならばすべてお見通しであっても何の疑問もない。


「ルーミアさんが心配だったので見てもらうようにお願いしたところ、ルーミアさんがボロボロの状態で倒れていて、ピクリとも動かないと聞かされた私の気持ちも考えてください」


「……すみません」


 くしゃりと顔を歪ませたリリスは今にも泣き出しそうだった。

 よく見ると涙の乾いた跡が見受けられる。


 リリスは心配だった。

 自身の軽率な発言のせいでルーミアがまた無茶をやってしまう。

 その事が気が気でなく仕事が手に付かなかったリリスはギルド長の千里眼の力を借りることにした。


 その結果、伝えられたのは最悪の光景。

 ボロボロの状態で倒れ伏したルーミアがピクリとも動かない様子。


 それを聞いたリリスは呆然とした。

 そして、事態を理解する前に自然と涙と嗚咽が零れていた。


 だが、そんな重たく沈んだ空気もハンスがルーミアの寝返りを観測したことで一変した。

 少女は死んでいるのではなく、ただただ死んだように眠っているだけだった。


「とにかく生きててくれて本当によかった……! お願いですからあんまり心配させないでください」


「大丈夫です。私はそう簡単に死にませんよ」


「そういうことを言ってるんじゃないです! ルーミアさんのばかぁ……!」


 正座しているルーミアの視線に合わせるように屈んで、リリスはポカポカと彼女の胸元を叩いた。

 今日一日ルーミアにずっと振り回されっぱなしだ。それくらいしてもバチは当たらないだろう。


 涙はとっくに枯れている。

 だが、その表情は確かに泣いていた。

 そんな顔を見せられて、何にも思わないほどルーミアは馬鹿でも鈍感でもない。


「大丈夫です。私はちゃんと帰ってきます。帰ってきてリリスさんにただいまって言います」


「……嘘でももう無茶はしないって言ってくれないんですね」


「それは……リリスさんに嘘はつけません」


「……さっき平気で嘘吐いたくせに」


 痛いところを突かれてルーミアはダラダラと冷や汗を流す。

 だが、それでも。

 金輪際無茶はしないと言う確実に破られるだろう約束はできなかった。


「分かりました。今はそれでいいです。必ず私におかえりって言わせてください。約束ですよ?」


「……! はいっ、約束です!」


 キュッと小指が絡められ、契りを交わしたことを形にする。

 ルーミアがただいまと口にし、リリスがおかえりと言葉を交わすこと。

 そんな当たり前のやり取りを欠かさない。

 本当ならば無茶をしない確約が欲しかったリリスだったが、今はその約束を取り付ける事ができただけで十分だった。

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