第85話 雷神少女

 あちこち痛む身体。

 荒く乱れた呼吸。

 彼女がこれほどまでに戦闘で後れを取るのはかなり珍しい。


「はぁ……ふぅ、やっと痛みが和らいできました」


 力なくぶら下げらていた腕は痺れているが徐々に感覚が戻り、引き摺るようにしていた足はきちんと地を踏みしめる。

 まだ弱々しく見える姿だが、幾分かマシになっただろう。


 彼女が白魔導師であるから為せる技だ。

 白魔導師の本領でありながら象徴と言っても過言ではない回復魔法。

 久しぶりの出番となる魔法だったが、その魔法の腕は衰えていない。


 これもルーミアの継戦能力が高い理由の一つとしてあげられる。

 大抵の者は負傷などしてしまえば、そこから先の戦闘パフォーマンスは落ちる。だが、彼女は回復手段を持ち得ているため、意識さえ刈り取られていなければ魔力が尽きない限り癒しの力を発揮することが可能だ。


「大事にしてましたが……仕方ないですね。今までありがとうございます」


 しかし、治すことに関しては手慣れていても、直すことに関してはまったくの無力。

 壊れてしまった装備だけはルーミアと言えどどうしようもない。


 これまで彼女を支えてきた装備の片割れ。

 思えば随分と無茶な使い方をしてきた。

 そう考えるとむしろここまでよく持った方だろう。

 幾度となく敵を穿つ矛となり、彼女の活躍に一役買ってくれたそれに敬意を表し、ルーミアは感謝を述べる。

 無残な姿に成り果てたガントレットを優しく撫で、取り外し鞄にしまう。


「しかし、どうしましょうか? まさかあんな攻撃手段があるとは思いませんでしたね……」


 がら空きの背中に飛び乗ってしまえばあとは好き放題暴れられると思っていたが思わぬ迎撃手段を持ち合わせていた。

 硬い鱗を飛ばしての攻撃。

 体表にびっしりと敷き詰められた鱗の乱射は密度も高く、至近距離では躱すのも防ぐのも難しい。


「ごちゃごちゃ考えても埒があきませんね。とりあえず蹴り飛ばしてから色々試してみましょう」


 ガントレットを失いはしたが、それだけではルーミアは止まらない。

 殴るという攻撃手段が封じられたとて、まだ彼女には蹴るという手段が残されている。


 手痛い反撃を受けてしまったが、それはもう癒えた。

 受けた痛みに怯むことも、戦意を失うこともない。

 ルーミアの瞳はまだ死んでいない。


付与エンチャントウィンド付与エンチャントサンダー――――――――迅雷加速ライトニング・アクセルッ」


 刹那、空気を切り裂く音が薄く響いた。

 敢えて付与の重ね掛けはしていないが、纏う風と雷はルーミアに目にも留まらぬ速さを与える。

 踏み込みは多くは要らない。たった数回、地面を踏み抜いた音が遅れて聞こえ、その時もう既に彼女は白い鰐の後ろを取っていた。


(尻尾にも鱗がある。あれも飛ばしてきそう……。黒い方みたいに尻尾を掴みにいくのは悪手かもしれないです。なら、直接っ!)


 肉体の加速に合わせて思考も加速させる。

 ほんの一瞬、超速で移り変わる自身の視界の中で、必要と思われる情報のみを取り込み、分析し予測を立てる。


 そのまま何度か蹴り込みを入れながら再度その大きな背中を駆け上がる。

 そして――――。


付与エンチャントアイスッ――――三重トリプル! 凍れっ!!」


 氷属性を纏わせた蹴りを硬い背中に突き刺した。

 冷気は爆発するように広がり、凍結が背中から広がり尻尾まで覆った。

 これで厄介な鱗の乱射は封じた――――。


「……そう簡単にはいきませんか」


 なんて甘い考えはもうしない。

 ルーミアは凍結の挙動と一瞬の硬直の後に感じた僅かな振動ですぐさま離脱を選択した。


 その氷のフィールドから転がり落ちるように地に背を向け落下する。

 ビシビシと氷を砕く音が聞こえ、空に向かって鱗が射出されていくのがルーミアの目に映った。


「ふんっ! ああもうっ、厄介な身体ですね!」


 落ち際、白い鰐の側面に蹴りを入れ、その反動で大きく距離を取る。

 空中で身を翻しながらルーミアはジッとある事を確認していた。


「ちっ……やっぱり魔法の効きが弱いですね。いえ、吸収でしょうか?」


 付与エンチャントアイスを纏ったままの蹴りは確かに白い鰐の身体に食い込んだ。そこから発生するはずの凍結は決して簡単に破られるものではない。

 だが、いとも容易く砕かれる様を観測するのはこれが一度目ではない。

 間違いなく魔法に対する何かしらの強い耐性を持っていると結論付けたルーミアは憤りを隠すこともせずに顔を顰め舌打ちをした。


「……なるほど。感電抱擁エレキ・ハグがあまり効いてない時点で気付くべきでしたか。どうしたものでしょう?」


 纏った氷属性を解除し、再度雷属性を纏い直しながら敵の挙動を見つめる。

 巨体から想像もできない素早さでルーミアに近付いてくる。


 ルーミアは慌てたように後退する。

 尻尾がルーミアに狙いを定めているため視線は切らずに後ろ向きに下がっていると、予想通り鱗が飛ばされてくる。

 ガントレットを失っているため迎撃は難しくなっているが、そこそこ距離があるため回避は間に合う。


「それはもう食らいません。しかし……魔法が通らないなら、そうですね……! 速さで押し通すしかないですか」


 現状、魔法による攻撃はそれほど効き目がない。

 痺れて動きを鈍らせることを狙った感電抱擁エレキ・ハグも、鱗を封じる凍結も効果は薄い。


 ならばどうするか。

 魔法がダメならば物理で貫くしかない。


付与エンチャントは全部加速に振って、体重も限界までゼロに近付けて……あとは、身体強化ブーストですが、大丈夫。私はできます。やれる子です」


 魔法の組み合わせの方向性が決まる。

 そして小さく吐息を零す。

 ルーミアは覚悟を決めたように、ゆっくりと大きな声で宣言した。


重量軽減デクリーズ・ウェイト二重ダブル


 少女の身体から重さが失われる。

 ただでさえ華奢で軽いルーミアの身体は、羽毛を体現するかのようにふわりと跳ねる。


付与エンチャントウィンド――――九重ノーナ


 ぶわりと風が吹き荒れる。

 まるでそこが嵐の中心であるかのように、暴風をその身に纏い少女は構える。


付与エンチャントサンダー――――九重ノーナ


 その嵐の中から雷鳴が轟いた。

 ゴロゴロと激しい轟音と共に、迅雷をその身に纏い少女は白い鞄に手を入れる。


「大盤振る舞いです。見せてあげます――――――――もう私は止められません」


 その手を引き抜き、手に取ったものを中に放り投げる。

 光を受けて煌めく結晶、魔力結晶が少なくない数ルーミアから吹き荒れる風に乗って頭上を舞っていた。


「――――――――身体強化ブースト九重ノーナッ!!!!」


 その宣言と共に、その魔力結晶がすべて砕け散った。

 キラキラと光る粒子が風に乗り、まるでルーミアを祝福しているかのような幻想的な光景が作り出される。

 溢れ出る大量の魔力、そのすべてを少女は己の身に取り込み、莫大な力を宿した。


「さぁ、決めましょう」


 小さく呟いたルーミアの姿が掻き消える。

 雷速の軌跡が薄ぼんやりと光、彼女の駆けた経路をなぞる。


 だが、その軌跡は遅れて表れる。

 その時もう既にそこに彼女はいない。


 雷速で駆け回り、とにかく蹴りを叩き込む。

 一撃は軽くなっていようと足を振り抜く速さで火力を底上げし、鈍い打撃音を何度も鳴らす。


(もっと、もっと速くです。誰も着いて来れない速さで、倒れるまで何度でもっ……!)


 一度でダメなら二度。

 二度でダメなら三度。

 四度でも五度でも十度でも。

 その身に力が宿る限り、何度でも。

 少女は幾度となく足を振るう。


 縦横無尽に駆ける少女が繰り出す四方八方から襲いかかる蹴り。

 容赦なく叩き込まれる連撃に白い鰐の巨体は歪み、宙に浮かぶ。


 白い鰐は僅かばかりの反撃で尻尾を振り回したり、鱗を飛ばしたり、少女を噛み砕こうと顎を開いたりするも、通り過ぎた過去の軌跡に向かって攻撃を放とうと、今を駆ける少女には掠りもしない。


 幻影を残すほどの高速移動。

 遅れて衝撃を受けたと感じるほどの連続蹴り。

 その小さくとも確かな一撃の積み重ねが、ついに白い鰐の強靭な身体を穿った。


「これでトドメです!」


 トドメの一撃は重さを取り戻した渾身の蹴り落とし。

 首にめり込み、ミシミシと何かを破壊する音と共に、地面へと叩き付ける。


 それで終い。

 地面に大穴を開け、叩き込まれた白い鰐。

 その耐久力を持ってしても、再び立ち上がることは叶わなかった。


「いたっ……はぁ、もう限界です。一歩も動けません」


 少し遅れて着地もできずにぺちゃっと地面に落ちたルーミア。

 そのままゴロリと天を仰ぎ、両手をだらしなく投げ出した。


 立ち上がる気力もなければ、魔力が尽きて重すぎるブーツを履いた足を上げることもできない。

 だが、その疲れきった表情とは裏腹に、内心では達成感に満ち溢れ清々しい気分だった。


「とりあえず、魔力回復も兼ねて少し休みましょう」


 魔力を今すぐ回復させたところで身体を起こすのが億劫だと感じたルーミアは、休憩も兼ねて自然回復に委ねることにした。

 少女は睡魔に襲われ目を閉じる。

 そのまますやすやと安らかな寝息を立てるルーミアだった。

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