第82話 善処? しませんよ

「さて、頑張りますか……!」


 ルーミアはブラックアリゲーターが生息しているとされる湖のほとりにてしゃがみ込む。

 水面に指を潜らせると小さく波が発生し、波紋が揺れ広がりやがて消えた。


 ブラックアリゲーターは血に飢えた狂暴な魔物だ。

 だが、よほど腹を空かせない限り湖から顔を出すことはないと言われている。

 つまり湖の中心で水遊びをするなどといった命知らずなことをしなければ相対することはまずない。


 そんな魔物を仕留めようとするルーミアの目先の問題はそのブラックアリゲーターをどうやって水中から引き摺り出すかというものだった。

 しかし、それを解決する手段はもう既にもらっている。


「血……ですか。リリスさんには申し訳ありませんが活用させてもらいます」


 リリスはそんなつもりでその情報をルーミアに与えたわけではない。

 ただ純粋に冒険者を不要な危険に晒さないための注意事項を述べたつもりだった。

 だが、ルーミアはそれを逆手に取った行動をしようとしている。

 白い少女の善処するという言葉は信用ならない。それを知っていたからこそリリスも失敗してしまったと後悔したのだ。


 例によってルーミアは空中機動や水中機動には優れない。

 そんな彼女が水中に潜む敵を倒す際に取れる手段を考えた時、やはり敵を水中から引き摺り出す方向に思考は移り行く。

 そのために、ルーミアは自身の血を利用して、敵をおびき寄せようとしているという訳だ。


「えっと……刃物、刃物。何か指を切れるもの……。何か入ってないですかね……?」


 少女はごそごそと鞄を漁り、少し血を流すための刃物を探す。

 だが、よくよく考えなくても分かることだが、普段のルーミアはナイフ、短剣のようなモノを使わない。入手したことないものが鞄にあるわけもなく、ただ虚しく時間だけが過ぎていく。


「……あっ、もうこれでいいです」


 しばらく漁った後、白いマジックバックから取り出されたのは緑色の鞘に納められた緑色の剣だった。

 鞘から抜くと刀身に自身の瞳が映りこむ。鞄の中でお留守番を矯正されていた魔剣、その久しぶりの出番がまさかこんな用途だとは露にも思わないだろう。


「えっと……なんでしたっけ? この剣の名前。久しぶりに見ましたが全然思い出せませんね」


 正直に言ってしまえば、ルーミア自身この剣の存在を忘れていた。

 白い鞄を漁る手が偶然それを掴んだからこそ再び姿を拝むことができたが、もはや名前すら忘れ去られた悲しき剣に、ルーミアは大して悪びれもせずにいた。

 だが、名前こそ思い出せないが、この剣に苦しめられた戦闘は確かに記憶している。


「飛ぶ斬撃ですか。それが使えればこの依頼も楽なんですけどね……っと。やっぱり私では使いこなせなさそうです」


 ルーミアはその緑色の魔剣、サイクロン・カリバーを適当に構え、それを持つ手に魔力を込める。

 しかし、何も起こらない。魔力を込めることで斬撃を飛ばしたり、加速の恩恵を得られる剣だが、鞄の中の置物と化していようと腐っても使い手を選ぶ魔剣。それに選ばれることのないルーミアではただの切れ味の良い剣だ。


 加速はともかくとして斬撃を飛ばす能力には少しばかり期待をしていたルーミアだったが、なんとなく結果は分かっていたのだろう。以前も使えなかったそれがある日突然使えるようになっていたなんて都合のいいことは早々起こらない。


「ま、いいです。当初の予定通りいきましょう」


 ルーミアは湖に向けた切っ先を斜めにし、そこにガントレットを外して自分の指を添えた。

 少しだけ力を込めると、切れ味鋭い刃に指が食い込み、皮膚が破れる。

 ドクドクと滲み出た赤い液体が緑色の剣を伝い、ポチャリと音を立てる。

 濃い赤が薄く混ざり合う、その直後――――――――湖の中心部で水しぶきが跳ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る