第92話 『触れる』意味
不意にその問いが投げかけられた瞬間、一瞬時が止まったかのような静寂が辺りを支配した。
ルーミアはきょとんとした顔で固まっている。
その反応は彼女の不可侵の領域に踏み込んでしまったことによる怒りなどではなく、あくまでも単純な驚きといったものだ。
だが、おちゃらけた様子が鳴りをひそめ、真面目な顔で黙りこくってしまったルーミア。気まずい雰囲気に耐えられなくなる前にリリスはその問いを撤回しようとした。
「すみません、変なこと聞いてしまいましたね。誰にだって言いたくないことの一つや二つあります。今のは聞かなかったことにしてください」
誰にだって秘密がある。
それに無遠慮に土足で踏み入るのはいくら親しき仲であっても失礼だったかもしれないとリリスは興味本位で開いた口をつぐむ。
元よりルーミアは謎だらけの少女だ。
常識の通用しない非常識な少女だからこそ、どこに
「……そういえばきちんと話したことはなかったですね」
完全に隠していたわけではない。
ふとした瞬間に己を欠陥白魔導師と自称することはこれまでにも何度かあった。
だが、その理由までは誰にも明らかにしていない。
それは言いたくない、隠していたいというよりは、ただ単に誰にも聞かれなかったから。
わざわざ自分から話すようなことでもないそれを、ようやく尋ねられた。
「つまらない話になりますがそれでも聞きたいですか?」
「つまらないかどうかは聞いてから私が決めることです」
「そうですか。じゃあ……次のお仕事が舞い込んでくるまで付き合ってください」
幸いにもルーミアにもリリスにも急ぎの仕事はなく、ゆっくりと話ができそうだ。
ルーミアは何から話そうか考えて、おもむろに話し出した。
「では……白魔導師に限らず、魔法を扱う者にとって必要不可欠な能力って何だと思いますか?」
「やっぱり魔力じゃないですか? 魔力が多ければ強力な魔法を使えますし、継戦能力も高くなります」
「そうですね。魔力は大事です。そういう意味では私はとても恵まれています」
ルーミアの保有する魔力は控えめに言っても莫大だ。
そのおかげでルーミアの戦闘スタイルが成り立っていると言っても過言ではない。
リリスの答えたそれは模範解答。
魔法を扱う者にとって魔力は才能と言って差し支えない。
だが、ルーミアが求める答えにはまだ足りない。
「他には?」
「他に……ですか? そうですね、パッと思いつくのは魔法を制御する力とかでしょうか?」
「そうです。制御はとても大事です」
「ですが、ルーミアさんの求めている答えではなさそうですね。ルーミアさんは何が大切な要素だと思っているんですか?」
リリスの答えは間違っていない。
魔法を扱うにあたって必要な要素を的確に述べられている。
だが、まだ足りない。
「どんな強力な攻撃魔法も敵に届かなければ意味がない。どんな強力な支援魔法も味方に届かなければ意味がない。魔法をきちんと制御して、行くべき場所に届かせる力――――射程。それこそが私の欠落した能力であって、後衛職、白魔導師として致命的な欠陥です」
ルーミアは自嘲気味に笑った。
己を欠陥白魔導師たらしめる理由を、どこか寂し気な表情で語った。
「え、それって……」
「さっきの治療だって不思議に思いませんでしたか? わざわざここから立ち上がって、治療者の近くまで行って」
「あっ……」
「それに、リリスさんなら心当たりがあるんじゃないですか? 私がリリスさんに魔法をかける時……いつもどうしてました?」
「触れる……?」
思い返してみるといつもそうだった。
初めて回復魔法も施してもらった時も、強化魔法を受けた時も。
リリスはいつも、ルーミアの手に触れられていた。
「正解です。私は触れたものにしか魔法を施せません。後衛から支援できない白魔導師なんて呆れちゃいますよね」
「……そんな、こと」
「いいんです。下手な慰めは要りません。この欠陥のせいで私は以前所属していたパーティを追い出されました。致命的な欠陥を抱えた白魔導師なので当然です」
「……だから、ルーミアさんは頑なにパーティを組むことを拒んでいたんですか?」
ルーミアは静かに頷いた。
リリスの中で謎だったものがすべて繋がった。
白魔導師は後衛職。
後衛職は前衛がいて成り立つ。
そのはずなのに、白魔導師を募集しているパーティを斡旋しても跳ねのけ、孤高を貫いた不思議な少女。
その訳がようやく分かった。
「まあ、今となってはどうでもいいことです。一度は魔法を受け取ってくれる人を失いましたが、おかげさまで最高の前衛を見つけました。私の魔法を必要としてくれる、最高の
「それで今の意味不明なスタイルに……」
「支援魔法を誰かにではなく私自身に。そして私自身が戦う。自分だけですべて完結するんです。どれだけ射程がなかろうと私自身に施すのには無問題ですから!」
ルーミアが唯一無条件に魔法を行使できる対象。
それが自分自身。
自分に対する魔法行使ならば、いつでも、どこでも、好きなだけ行える。
ルーミアの魔法を一番必要とするのもまたルーミア自身。
他者の存在を必要としない、自分だけで完結する戦闘スタイル。それを編み出しているルーミアにとって、もはやどうでもいい話だった。
「どうでした? つまらない話だったでしょう?」
「……いえ、そうでもないですよ。ルーミアさんが意味もなくべたべた触ってくるたらしじゃないと分かったのでよかったです」
「むぅ、そんな風に思ってたんですか?」
「……冗談ですよ。半分くらいは」
「もう半分は!?」
「本気で思ってます」
「ひどい! 意地悪を言うリリスさんにはもう魔法を使ってあげませんよ」
どのみち自分以外の者に魔法を行使するにはその者に触れる必要がある。
その前提条件を無くしては、ルーミアは他人への施しができなくなってしまう。
「嘘ですよ。ルーミアさんの力を発揮するために必要なことですもんね」
「そうですよー」
「でも、あまり他の人にべたべたして思わせぶりなことしちゃだめですよ」
「分かってます。リリスさんも困った事があったら、迷わずこの手を取ってください。誰よりも早く差し伸べます」
「……そうですか。それはとても頼もしいですね」
そう言ってルーミアは笑って小さな手を広げてみせた。
その手に触れ、繋がることの意味。
それを知ったリリスにとって、その手が差し出されることは、彼女からの信頼を形にした最上級の特権のようにも感じられた。
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