第165話 膝上の答え合わせ
決壊した涙が止まるまで、リリスはルーミアを抱きしめ続けた。声を上げて子供のように泣くリリスの姿にルーミアは驚きつつも、その腕の中にすっぽりとおさめられて嬉しそうにしていた。
「泣き虫リリスさんですね……」
「誰の……っ、せいだと思ってるんですか」
「誰なんでしょうね?」
「このっ、バカ……ッ」
わざとらしくとぼけるルーミアを抱きしめる力を強める。それが心地いいのか、ルーミアはすべてを受け入れて、リリスに身体を預けた。
そのまま、離れていた時間を埋め合わせるように、二人は無言のまま身体を寄せ合って互いの温もりを感じていた。
しばらくして、家の外でルーミアを抱きしめていることに気付いたリリスは、ルーミアを抱き抱えて中に入った。積もる話はある。しかし、喜びの感情と同じくらい混乱もしているリリスは何から尋ねればいいのか分からずに百面相をしている。
ルーミアはそんなリリスの複雑な心境などお構いなしに彼女の周りをちょろちょろと動き回り、頬や脇腹、太ももなどを指でつんつんして遊んでいた。
「ちょっと! 今何から聞くか考えてるので大人しくしてください! はい、ここに座る!」
「はーい」
思考の邪魔をするルーミアが鬱陶しいのか、リリスは自身の膝を手で叩いて、ルーミアを座らせて抱きしめた。ちょうどいい位置にある頭に顎を乗せて、ウンウンと唸って思考を纏めている。そうしていると見兼ねたルーミアが自主的に説明し始めた。
「まずですね、あれだけ今わの際みたいなやり取りをしておいて本当に申し訳ないのですが……私、死ななかったんですよね」
事の顛末を説明するとルーミアは死ななかった。それは今こうしてリリスの前に姿を現しているのが何よりの証拠だろう。
ルーミアは確かにあの瞬間死を覚悟した。身体を動かすことができずに冷たくなっていき、五感が機能しなくなっていくのを確かに感じていた。
だからこそ、自らの命の灯火はあと僅かなのだと感じ取ったルーミアは、リリスと今わの際にふさわしいやり取りをした。
だが、死ななかった。
その理由は――。
「いやぁ、私……貧血だったみたいです」
「……は?」
「貧血って言うとちょっと軽い感じに聞こえますけど、血ダバダバ流して死にかけてたってわけですね」
「え、でも……ルーミアさんは
「あれ、リリスさん知りませんでした?
正気を失ったリリスの背後からの一撃を受け、その後も刃が貫通した状態でしばらく耐えていたルーミアだったが、その間に血を流しすぎていた。そうして血が足りなくなっていたところ、戦闘を終えた気の緩みで抑えていた反動が一気に襲い、ルーミアは死を感じ取っていた。
とはいえ、致死量の血を流していたことも事実。
いくら戦闘の反動があったとはいえ、まったく動けないほどになるまでルーミアは血を失っていた。ギリギリ命を繋ぎ止めていたとしても、いつ灯火が消えるか分からない予断を許さない状況だったのもまた事実。そういう意味では、ルーミアの死を覚悟した決断もあながち間違いではない。
「でー、私は動けないからリリスさんだけでも逃がしたわけですが……ぶっちゃけ崩壊した時意識飛んでてそこは分からないんですよね。でも、運がよかったのか瓦礫に押しつぶされて圧死するなんてことにはなってませんでした」
「それはよかったですが……」
「目が覚めたら生き埋めになっててびっくりしました。どれくらいの間気絶していたのか分かりませんが、ほんの少しだけ動けそうな感じだったので、重たい装備とか荷物とかを置いて、脱出したんです」
気絶から覚めたルーミアは崩れた廃洋館の瓦礫で生き埋め状態になっていた。彼女の小さな躯体が功を奏したのか、肉体的なダメージはほとんどなく、むしろ少し休めたことでわずかに動けるようになっていた。
だが、身体は動くが魔力は相変わらずカツカツ。
そのため、ルーミアは少しでも身軽になるために、ブーツをはじめとした装備をすべて放り出して脱出を試みた。
「脱出はできたのですが、今度は魔物に囲まれていたんですよね。多分私の血に寄ってきたやつです。普段なら余裕で叩き潰せるのですが、その時はとても戦えるような状態ではなかったので、ほんと困りましたよ」
リリスも見た、瓦礫に群がる魔物達。それが脱出したルーミアを待ち受けていた。
ルーミアはかろうじて動けただけで、脱出しただけで満身創痍。相変わらず血も足りていないし、ちょっと無理をすればすぐ天国に旅立てるような危うい状態。
もちろん、迎撃という選択肢はない。しかし、いつもの調子で動くこともできないため、逃走という選択肢もない……はずだった。
だが、ルーミアは生にしがみ付いた。せっかく希望が見えそうなのだから、こんなところで終わりたくないと思ってしまった。その執着が活路を抉じ開けた。
装備を外して身軽になり、
「でも、ちょうどよく強風が吹いていたので
「だから……ルーミアさんの装備だけが残されていたんですか」
「装備を手放したから、なんとか生き延びることができました」
愛着のある装備を置き去りにする覚悟。それがルーミアを生に導いた。
「その後はどうなったんですか?」
「気付いたら高い木の枝に洗濯物みたいに引っかかって気絶してました。その時には血も魔力も結構回復してましたし、もしかした長い間気を失ってたのかもしれません。ちなみに廃洋館の場所に頑張って戻ったら、私が置いてきたものが何もありませんでした」
「なるほど……」
「で、宿に戻ったら既に部屋は引き払われてました。確か二日前に引き払ったって言ってましたね。リリスさんがもう帰ったというのが分かったので、追いかけようとしたのですが、鞄がなくて無一文だったので頑張って走って帰ってきたって感じです……!」
「……つまり、ルーミアさんは私が王都を発った二日後に出発して、ほぼ同時にユーティリスに戻ってきたってことですか……?」
「……そうなりますね」
「……ふー、意味不明すぎて頭が痛くなりそうです」
リリスはルーミアの大雑把な説明を聞いて、大きく息を吐いた。
色々と思うところはあるが、今は追及せずに、膝に座るルーミアを後ろから強く抱きしめて、ひとまず納得することにした。
「でも、なんか……安心したらドッと疲れが……」
「いっぱい泣きましたもんね」
「うっさい、バカ……ルーミア……」
張りつめていた糸がぷっつりと切れるように、リリスはゆっくりと瞼を閉じ、その身をルーミアに預けた。
その重みと温もりを感じるために、細い糸を手繰り寄せて、死に物狂いで生を掴み取ったのだと、ルーミアは満足そうにリリスの手に自らの手を這わせるのだった。
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