第164話 一人だけの帰り道

 大会も終わり、リリスが頼まれていた仕事ももう済んでいる。

 本来ならもう少し滞在して王都を観光――いわゆるデートをする予定だったが、その相手はもういない。

 迷ったリリスは少し早いがユーティリスに帰ることにした。


「見送りまでしてもらっちゃってありがとうございます」


「本当は向こうまで送ってやりたいところだが……」


「そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ」


「そうか……死ぬなよ」


 馬車の乗り込む直前に、見送りに来てくれたアンジェリカと会話を交わす。

 一夜明けて少し気持ちの整理は付いたとはいえ、リリスはまだ不安定だ。そんな彼女を一人で帰らせるのは万が一があるかもしれないと不安に思うアンジェリカだが、帰る家を持つ者が帰るを決めたのならば引き留めるわけにもいかない。


「リリス、これを」


「なんですか、これ?」


「包んだものの重さを軽くできる風呂敷だ。ルーミアの装備と大会の優勝賞金を纏めて包んである。ブーツだけは絶対に取り出すなよ」


「そんなものまで……ありがとうございます」


 ルーミアの残したブーツをなんとか回収はできたが、どうやって持ち帰るかが鬼門だった。同じくルーミアが残した容量特大のマジックバッグもある程度の重量軽減の効果は付与されているが、それでもルーミアのブーツは重すぎてその軽減を貫通する。


 そのため、もっと強力な軽減が付与されているものを用意したアンジェリカは、それにルーミアの荷物を纏めてリリスに手渡した。


「また時間を作ってそちらに行く。その時はまた語ろう」


「はい。アンジェリカさんもお元気で」


 そう微笑んでリリスは馬車へと乗り込んだ。

 その笑顔が儚く消えてしまいそうで、アンジェリカは最後まで不安に感じていた。


 ◇


 そうして一人になったリリスは静かな馬車の中で少しだけ寂しさを感じていた。

 王都に来るときの馬車の中や途中に挟んだ宿泊はあんなにも騒がしく賑やかだったのに、帰りがこんなに静かになるとは思ってもみなかった。


「……ほんと、うるさいくらい賑やかでしたね」


 目を瞑ると鮮明に思い出せる。

 下着姿で迫られてタジタジになってしまったのも、襲おうとしてくる彼女と平行線の議論を繰り広げたことも、お風呂でトラブルがあったことも、宿で寝静まった後に夜這いを期待してしまったことも……全部覚えている。


「ルーミアさんの細くて綺麗な身体……見惚れちゃいました」


 魔物討伐に飛び出したルーミアが戻ってきたとき、彼女の使った魔法のせいで濡れていたこともあり、リリスの目にはやけに煽情的に映った。そんな彼女の破廉恥な姿にドキドキしたのをリリスは覚えている。


「襲う襲わないの問答も結局無駄でしたね。結局同部屋を押し通されてしまいまいたし……わがままな人でした」


 様々なやり取りを経て、結局同じ部屋に泊まることをルーミアに押し通されてしまった。それでも、悪い気はしなかったのをリリスは覚えている。


「お風呂でも色々ありましたね。また……一緒に入ろうって約束したのに」


 服を脱いだルーミアがバスタオル姿ではしゃいだり、脱ぎ散らかした衣服を踏んで転びそうになったり、それを助けようとしたリリスが彼女の胸を揉んだり、ハプニングもあった。湯船ではしゃぐ彼女を叱って、許して、帰ったら一緒にお風呂に入る約束をしたのをリリスは覚えている。


「あれだけ襲う宣言しておいて、結局襲ってくれないし……でも抱き枕にされるし、おかげで本当に寝不足だったんですよ」


 ルーミアに押し切られたことで同部屋になり、リリスもそれなりに覚悟はしていた。だが、リリスの心境などお構いなしに眠りについたルーミアは、リリスを捕まえて抱き枕にして爆睡した。眠れぬ夜を過ごしたが、その小さくも温かい身体に抱かれるのは、とても心地よかったのをリリスは覚えている。


「アピール……だったんですかね? 応えてあげればよかったですね」


 はっきりと告白をされたのは最後のあのタイミングだったが、改めて思い出してみると、過激なアピールがたくさんされていたのだとリリスはしみじみと思う。


「自分だけ言いたいことを言って、私にはちゃんと言わせてくれないなんて……本当にずるい人です」


 リリスはまだきちんとした返事はできていない。それに準ずることは口走っていたし、行動でも示そうとしたが、ルーミアはそれを受け取らなかった。


「あんな最悪なタイミングで告白する人……初めてです。返事も聞いてくれないなんて……最低です」


 ふと、顔を上げれば行きの馬車のように元気いっぱいで、時には小悪魔っぽく意地悪で、笑ったり恥ずかしがったりころころ忙しく表情を変える白が似合う少女がいるような気がする。だが――リリスは一人だった。


「言いたいこと……まだまだいっぱいあります」


 でも、もう言えない。伝わらない。

 そう思うと、素直になれなかった自分を責めたくなってしまう。


「ルーミアさんのバカ。私の……バカ」


 くぐもった声が後悔を空気に溶かした。

 いくら吐き出しても、とめどなく湧き出してくるそれを、留めるすべをリリスはまだ知らない。


 ◇


 その後も行きと同様に馬車に揺られ、夜が近付くと宿泊を挟み、帰路を進む。宿では人知れず枕を濡らすこともあった。馬車では孤独を感じて無意識のうちに涙が零れることもあった。


 同じ道を同じ時間をかけて進んでいるはずなのに、やけに退屈で、色褪せて、ゆっくりと時間が流れているような気がして、それがリリスの心を苦しめていく。


「楽しい時間は早く過ぎると言いますが……今更になって分かるような気がします。あなたがいないだけで……世界はこんなにも退屈で色褪せています」


 やつれた顔で、ぼーっと窓の外を眺める。ルーミアが傍にいた時の景色と何も変わらないはずなのに、これほどまでに見え方が変わるのかとリリスは驚いていた。


 そんなリリスにとって長く感じられた帰りの馬車旅も終わりを告げ、ユーティリスへと戻ってきた。


「帰って休みましょう」


 ギルドに諸々の報告をしに行くか少し悩んだリリスだったが、長旅の疲れもあり、考えも纏まらない。酷い顔をしている自覚もある。今ギルドに顔を出してもろくなことにならないと判断し、帰宅することにした。


「着いてしまいましたね」


 リリスはできるだけゆっくりと歩を遅らせて帰り道を進んだ。それでも到着してしまった、二人の帰る場所。


 ここに、一人で帰ってきた。それがリリスにとってどうしようもなく認めたくない現実だった。


 鍵を開ける指が震えた。扉を開こうとする手が震えた。

 ここを跨いでしまったら、一人になってしまったという現実を叩き付けられてしまう。それが怖くて、でも受け入れないといけなくて、リリスは意を決して扉を開いた。


「ただいま」


 当然、返事は無い。

 そして、リリスはルーミアと交わしたひとつの約束を思い出した。


「……ちゃんと帰ってきて、ただいまって言う。私にちゃんとおかえりを言わせてくれる。そう……約束したじゃないですか」


 ルーミアとの約束。

 帰ってくる彼女を迎える約束。

 その約束がもう守られることはないのだと思うと、リリスはどうしようもなく涙が込み上げてきそうになった。


 それを堪えて、振り返る。

 ルーミアがいるのなら、こうして迎え入れる。もうできないそれを、最後にもう一度だけと思い、かつてのようにその動きをなぞって振り返り――目を見開いて固まった。


「え…………?」


「あー、その…………ただいま、です?」


 そこには、リリスの思い浮かべていた、白が似合う白魔導師の少女――ルーミアが恥ずかしそうにしながら佇んでいた。

 時が止まったかのように口を半開きにして固まっていたリリスだったが、我に返ると荷物を放り出し、一目散に彼女へと駆け、恋しくて恋しくて仕方なかった彼女を、押し倒さんばかりの勢いで、力強くギュッと抱きしめた。



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今後広く展開していくために応援していただけると嬉しいです……!

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