第71話 もう一つの理由
その後、リリスはルーミアを連れ喫茶店へ駆け込んだ。
リリスは冷たい飲み物を注文し、むすっとした顔で火照る頬を冷ますために勢いよく啜っている。
「まったく……」
「ごめんなさいって。機嫌直してくださいよ~」
「……別に怒ってません。ちょっとムカついただけです」
それはルーミアではなく自分に。
浮ついた心をルーミアの一挙手一投足に揺り動かされてしまう。
ルーミアの優しい一面やかわいらしい一面。冒険者のルーミアとしてではなく普通の少女ルーミアと接することで見える一面にずっとドギマギさせられっぱなしのリリスは少し、ほんの少し悔しいと感じた。
「ふぅ……ふぅ……あちっ」
リリスと対面で座るルーミア。
湯気の立ち昇るココアのカップを両手で支え、小さな口をすぼめて息を吹きかける。十分に冷めたと思ったところで口を付けるもまだ熱かったようだ。
そんなドジな様子すらも絵になる本日のルーミア。
ちびちびと猫のようにココアを飲む彼女を見ていると変な意地を張っているのは馬鹿らしいとさえ思えたリリスは小さく嘆息した。
「はぁ、それで? わざわざ疲れるようなことまでしているのはどうしてなんですか?」
「それはさっきお話したじゃないですか。リリスさんに痛い思いをさせたくないからです」
「そのお気持ちはとても嬉しいです。ありがとうございます。でも、いくつか理由があるんですよね?」
「ええ、まあ。少し魔力消費の大きい実験をしているところなので、温存できる時はしておこうかと……」
「魔力消費の大きい実験? それだけ聞くと何だか怪しいですね。また危ないことでもやってるんですか?」
リリスは目を細める。
ルーミアが何か危険なことをしているのではないかと勘繰り、率直に問う。
「危ない……そうですね。ある意味では危ないです。でも、必要な事なんです」
「いったい何を?」
「実際に体感してもらった方が分かりやすいでしょうか? リリスさん、手を出してください」
「な、なんですか。変な事したら怒りますよ……」
ルーミアは唐突にリリスに手を出すことを要求した。
また何か悪戯でもするつもりなのだろうかと訝し気に手をテーブルの上に出すリリス。
ルーミアはその手をジッと見つめて、細い指で薄く触れた。
「
「これって……ルーミアさんの……?」
「はい、今リリスさんに強化をかけました。どうですか? 動きやすいですか?」
悪戯をするでもなく、意味もなく指を絡めてからかうでもなく、いつもは自分に使うことばかりで、他人に使う方が稀となっていた魔法をリリスに対して行使した。
身体強化。ルーミアはリリスにその魔法を受けてみてどうか所感を尋ねた。
「何だか身体が軽いです。何というか……すごいです」
リリスは座ったままではあるが腕を軽く上下させたり肩を回したりして調子を確かめる。
ルーミアの魔法を受けるのはこれが初めてという訳ではないが、改めて彼女の白魔導師としての実力を高さを窺える、そんな魔法だと感じた。
身体が軽い。動きが滑らかで動かすのに余計な力を必要としない。そして軽やかに動作するため疲れがない。
「なるほど……ルーミアさんがこの状態じゃなくなって普通にしてて疲れてしまうというのも分かる気がします。確かにこれに慣れていると普通の状態は重たいかもしれませんね」
「ですよね! ……じゃなくて、今はそれはいいんですよ。じゃあ、これならどうですか?」
「何ですか? また何かするんですか?」
「はい、触れます。気を付けてくださいね。不用意に動くとちょっと危ないかもしれませんよ」
「こ、怖いこと言わないでくださいよ」
ルーミアは不安を煽るようなことを言いながら再びリリスの手に触れる。
今度は薄く触れるのではなく、優しく包み込み、安心させて寄り添うようにその肌を重ねた。
「
「……っ? こ、これは……?」
「私がいつも使っている
「さっきのとは違って何だか変です。動くには動きますが、何だか自分の身体じゃないみたいで……」
「重ねた強化は本来の感覚から大きく引き離されて、その分制御がとても難しくなります。一歩進むつもりが突然前方に自分の身体が勢いよく射出されていたり、軽く持ち上げたはずのものを握りつぶしてしまったり……そういった感覚のズレを修正するのに慣れが必要なんですよ」
身体能力が向上する。それだけならば聞こえはいいが、向上した身体能力を持て余してしまうと想像とは違う結果が待っているかもしれない。実際ルーミアも慣れない頃はたくさんの失敗を重ねた。リリスに話した内容もルーミアの体験談だ。
「えっ、ちょ……早く解いてください。怖いです」
それを聞いたリリスは今の自分の状態に恐怖を感じ、添えられたルーミアの手を握った。ギュッと力強く握りしめてしまった。
「……っ、大丈夫です。すぐ解けるので落ち着いてください」
「あっ……すみません、ってその手。私……ごめんなさい」
痛がる素振りを見せたルーミアにリリスは慌てて手を放す。
そこでリリスが目にしたのはルーミアの白くて小さな手がやや赤くなり腫れている様子だった。
「
ルーミアがそう呟くとやや痛々しく見えたルーミアの手は何事もなかったかのように綺麗な白い肌を取り戻した。
「ま、こういうことですね。慣れないまま使用するととんでもないことになるんですよ。あ、そろそろ解けたと思うので安心してくださいね」
「……ですね。ルーミアさんが私のために普通の状態でいてくれた意味がよく分かりました……」
魔法が解けたことで本来の感覚に戻ったリリスは、手を開け閉めさせながら省みた。自身が下らないと捨て置いたルーミアの行動の意味を痛感し、それがどれだけ自分のことを思いやっての優しさだったのかを改めて思い知らされた。
「私は今もっとたくさんの重ね掛けをしています。そしてさらに多く重ねるために特訓して慣らしているのですが、その際に消費する魔力が膨大でしてね……」
「……すみません、せっかく溜めてる魔力……使わせてしまいましたね」
「いえいえ、これっぽっちならどうってことありませんよ。私が勝手にやった事なので気にしないでくださいね」
そう言ってルーミアは再びカップのココアに口を付けた。
先程まで熱くて飲むのに苦労していたそれは、程よい温度にまで下がっていた。
「……ルーミアさん」
「何ですか?」
「……何も考えずに安心して手を繋げるのって、結構幸せなことなのかもしれないですね」
「ふふ、そうなんですよ。もしかして、また繋ぐ気になってくれたんですか?」
「…………さあ? 気が向いたら、とだけ言っておきます」
ココアを飲み干し、カチャンとカップを鳴らしたルーミア。
リリスの意外な返答に一瞬虚を突かれるも、すぐににんまりと口の端を持ち上げて顔を綻ばせるのだった。
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