第31話 風神少女

 刹那――――轟ッと暴風が巻き起こった。

 まるで空に投げ出されたような浮遊感を覚えるほどに吹き荒ぶ烈風は激しい。

 身体強化、重量軽減、風属性付与、持てる力をすべて速度へと振り切ったルーミアはこれまでとは一線を画していた。


(とりあえず周りを何とかしようか。麻痺は効かないけどナイフは痛いから……)


 一番の脅威はサイクロン・カリバーを有するヴォルフだが、敵は彼だけではない。基本攻撃はすべて躱すか弾くつもりでいるルーミアだが、数が多いと不意の一撃ももらってしまう可能性がある。ヴォルフの部下には麻痺毒付きのナイフが行きわたっているため、まともに戦闘をする気はないとはいえ脅威はある。


 毒に対する耐性は獲得できても刺突の当たり所次第では致命になるかもしれない。大抵の傷ならば塞ぐこと自体はできるが、失われた血は戻らないため血の流しすぎにも気を付けないといけない。


 そのためルーミアは周囲に散らばる者達に襲い掛かった。

 ヴォルフに集中するためにも、気が散る要因を先んじて取り除かんとしたのだ。

 ルーミアの行動は至ってシンプル。ただ接近して、殴るか蹴る。いつも通りの攻撃パターン。だが、今のルーミアのそれは不可視の襲撃だ。


 ルーミアがこれまで安定させてきた身体強化ブーストの強化段階。まだ五重クインティまでしか使用していなかったそれをここで一つ引き上げた。それに加えてルーミアとルーミアが纏うものすべての重量はほぼ限りなくゼロに等しい。そこに付与エンチャントによって重ね掛けされた風属性がルーミアに更なる加速を与える。突き抜けた速度を手に入れたルーミアは、まさしく神の領域に足を踏み入れていた。


 ルーミアが認識されない速度で動く。

 懐に潜り込んで蹴り飛ばす。壁に向かって叩き付ける。

 すべての行動が終わった――――その直後、置き去りにしていた打撃音や呻き声が聞こえた。


「これで……サシですね」


「なっ、この一瞬で奴らをっ? お前……何をした!?」


「別に特別なことはしてませんよ。普通に殴ったり蹴ったりしただけです」


「なっ?」


 ヴォルフは目を剥いた。

 何故なら、目の前のルーミアが一歩でも動いたようには見えなかったからだ。吹き荒れる暴風に身を隠して何かをした。分かるのはそれだけ。圧倒的な速度による蹂躙。それを認識できない恐怖。まるで時間を止められたかのような感覚に、ヴォルフは初めて余裕の表情を崩した。


 だが、それも一瞬。

 目の前のルーミアは確かにすごい。凄まじい。

 それでも、無敵という訳ではない。


「なるほどなぁ。確かにすげえよ。だがその状態……長くは持たねぇんだろ?」


「はい、恐らくそうでしょうね」


「くく、当然だな。そんだけ魔力を垂れ流してるんだ。いずれ尽きる」


 今現在ルーミアのスピード特化モードを実現させているのは、彼女自身が施した魔法によるものだ。裏を返せば魔法が解けたらその形態は維持できなくなる。魔法は有限。誰でもわかる簡単なことだ。


 ルーミアは今自身に何重もの魔法を重ね掛けしており、消費する魔力も莫大に跳ね上がっている。

 所詮、一時の強化。時間制限付きの産物とヴォルフは鼻で笑った。


「そうですね。でも、その前にあなたを倒せばいいだけです」


「おっと、そう簡単にはやらせないぜ」


 ルーミアは一瞬でヴォルフの背後に回り込み、その無防備の背中に蹴りを入れる……つもりだった。しかし、それは加速の世界に入った魔剣で受けとめられ、ぶつかりあう刃とブーツが鈍い音を奏でる。


「さっきより軽いなぁ。それが弱点か」


「……ちっ」


 ルーミアはすぐに離れる。

 この形態の弱点を見抜かれたことに舌打ちを一つ。


 今、ルーミアの攻撃は軽い。

 速さはある。しかし、重さを失ったことで威力はかなり落ちている。

 もちろん無防備な人間の意識を刈り取るだけのパワーは秘めている。

 しかし、かろうじて魔剣の力でルーミアの速さについてくるヴォルフにとっては、何とか凌げる攻撃だった。


(だめだ……重量軽減は解除できない)


 この部屋に飛び込んでくる際に取った方法。インパクトの瞬間だけ重量を取り戻すことをすれば火力は取り戻せる。だが、それをしない理由は二つ。重量軽減が爆発的な速さを生み出す最大の要因となっている今、それを解くのはリスクが高い。


 そして、そもそもの話今のルーミアではそれが不可能なのだ。

 速すぎるあまり、魔法を解除する猶予すらない。ましてや、一瞬で解除とかけなおしを交互に行うなんて高等技術。練習を重ねれば可能になるかもしれないが、ぶっつけ本番、行き当たりばったりでこの風神モードを発動させている今、複雑な魔法処理は行えない。


「ははは、だったら俺はお前の魔力が切れるまで身を護るさ。そんな軽い攻撃ならサイクロン・カリバーの風の斬撃を飛ばさずに俺の周りを囲うように置いておけばお前は俺に触れられない」


 ヴォルフが風の魔剣を振り回すと、周囲に止まったままの斬撃が配置された。

 可視化された斬撃は幾重にも重ねられ、まるで結界を構築しているかのように展開されていく。

 ルーミアの蹴りを受け止められる硬度の斬撃を防御を固めたのだ。

 それを見たルーミアは恨めしそうに歯ぎしりをした。


 このまま膠着状態を保ったままではルーミアの魔力が切れて強化状態ではなくなる。かといって攻撃に重さを乗せるために重量軽減を解除すると、今度はヴォルフのスピードについていけなくなる。

 どちらを選んでも詰み。ヴォルフはほくそ笑んでいた。


「なーんて、舐めてもらっては困ります」


「おいおい、強がるなって。どうせもう手はないんだろ?」


「そうですね。一番の切り札はもう使っちゃいました。でも……それで十分です」


 フッとルーミアの姿が掻き消える。

 次の瞬間、甲高い音が響く。

 それはルーミアがヴォルフを守る砦を蹴りつけた音だった。


「ほらな、無駄だろ? もう諦めろって」


「一度でだめなら二度。二度でだめなら三度。三度でだめなら四度。それでもだめならだめじゃなくなるまで何度でも……っ!」


 二度、三度と音が重なる。高速で行われる蹴りは何度も阻まれる。

 しかし、何発目か分からないが、確かに異なる音を鳴らした。


「やべえ、割られるっ? こいつ手数で強引に蹴り壊すつもりか。そうはさせるかよっ」


 ヒビが入り崩壊し始めたガードにヴォルフは慌てたように再度剣を振った。

 ヴォルフがルーミアに向かって斬撃を飛ばし、追加の置き斬撃で護りを固める。

 しかし、ルーミアは自身に向かってくるものはすべて躱して淀みない動きで何百発もの蹴りを叩き込んでいく。


「いいんですか? そんなに次々に力を使って……?」


「まさかっ? 俺の魔力切れを狙ってやがるのか?」


「お望みとあらばそれでも構いませんが……その必要はなさそうですねぇ」


 ヴォルフの持つ魔剣サイクロン・カリバーのような特殊な力や任意で発動可能な魔法が組み込まれた武器というのは確かに強力だ。

 しかし、そんな強力な力を無条件で引き出せるなんて甘い話はない。


 ヴォルフの加速や遠隔斬撃などにも当然魔力は必要だ。

 ルーミアの風神モードもかかる魔力は莫大だが、それに対処しなければいけないヴォルフがサイクロン・カリバーにつぎ込まなければいけない魔力も少なくはない。

 ヴォルフはルーミアの狙いは根競べにあると踏んで焦りの表情を浮かべるが、実のところルーミアにその意図はない。

 ただ単に動きが洗練され、速さに磨きがかかっているだけだ。


「ほら、どんどん生成しないと間に合わなくなりますよ」


「くそ、来るな! さっさとガス欠で死ねよ! 何でまだ動けんだよ!」


「残念、私の保有する魔力量を見誤ったあなたの落ち度です」


 長くは持たない。それは事実だ。

 だが、ルーミアの強化はすぐに終わると決めつけてしまったのは、ヴォルフが犯した一番の失態だった。


 ヴォルフの防御展開が追い付かなくなり、ついにルーミアは突破した。

 粉々に叩き割られた斬撃が空気に溶けて消えていく残骸を潜り抜けて、ヴォルフの懐へと入り込んだ。彼の持つ風の魔剣を蹴り飛ばして、不敵に笑う。


「えー、私の攻撃軽くなってるので、そう簡単に気は失わない代わりに、痛い時間が続くと思います。なので……頑張って耐えてくださいね」


「ひっ」


 これまでのルーミアが好んで使用していた一撃で刈り取るための重攻撃とは違い、現在繰り出される拳や蹴りは軽い。とはいえ、無防備な人間が受けて何も感じないほど軽いわけではない。適度に威力も低い分簡単に意識を手放すこともできず、鈍い痛みを何発、何十初、何百発と与えられ続けるのだ。


 ヴォルフの顔が絶望で歪んだ。

 ルーミアはその顔を物理的に歪ませるべく、数百発にも及ぶ拳と蹴りをただ淡々と叩き込むのだった。


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