第108話 平行線の主張
その後、乗客席には重苦しい雰囲気が漂っていた。しかし、客の痴話喧嘩などお構い無しに馬車は軽快に進む。
(……とても気まずいです)
リリスはチラリとルーミアに目を向けた。
床を這い蹲る姿はなりを潜め、きちんと席に座ってはいるが、その様子はおどろおどろしい。
この世の終わりを迎えたかのような生気の宿っていない虚ろな瞳で、どこから持ち出したのか分からない白い花の花弁を一つずつブチブチと毟りながら呪詛を吐き出す姿は見るに堪えない。
(なんでしょう、この黒いオーラ。白魔導師から呪いを振りまく黒魔導師にコンバートしててもおかしくないですよ、これ)
どす黒く淀んだ空気がルーミアを起点に垂れ流しになっている。そのような錯覚を覚えたリリスは若干いたたまれない気持ちになった。
(まさかこんなことになるなんて……どうしたら元に戻るでしょうか? 古い魔道具なんかはある角度で叩くと良くなると聞いたことがありますが……軽く叩いたらいいのでしょうか? 暴力少女には暴力が有効なんでしょうか?)
一度は突き放す姿勢を取ったリリスだが、さすがにこの状態のルーミアと旅行を続けるのはきついものがある。
やはり、彼女には笑顔が似合っている。これはこれで面白いと思う気持ちも僅かばかりあるリリスだったが、普段のルーミアに戻してあげたいと考えた。
とはいえ、どこからどう見ても不安定な彼女。触り方を間違えてしまえば悪化してしまう可能性も秘めている。
どう対処すべきか頭を悩ませていると彼女の吐き出す呪詛がうっすらとだが耳に届いた。
「リリスさんは私の事が好き……リリスさんは私の事が嫌い……好き、嫌い、好き、嫌い…………」
(あっ、ヤバいやつです)
この花占いも普通に行われているなら遊びの一環としてかわいらしいものに映ったかもしれないが、今のルーミアが繰り広げる花占いはまさしく呪いの儀式だ。
ブツブツと紡がれる言葉に耳を傾けながら次々に引きちぎられていく花弁に注目してリリスは息を飲んだ。残すところあと数枚、その結果によってはまずい事態になるかもしれないと背中に緊張が走る。
「好き、嫌い…………好き……っ!」
最後の一枚が散った、その時。
泥沼のように黒く濁り淀んだ瞳がリリスへと向けられた。
だが、何を言い出すでもない。まるで何かを待っているかのようにじっと見つめている。
少しばかりの静寂を挟み、リリスは恐る恐る口を開いた。
「……少なくとも嫌いではないですよ。じゃないと同居なんてしてません。とっくにルーミアさんを追い出して新居を乗っ取ってます」
「…………家主を追い出すなんて酷い話ですね」
「あ、戻った。よかったぁ」
リリスの言葉を聞いて目に光を取り戻したルーミアだが、言われた内容について少し考え、酷い話だと鼻で笑った。
これが正解なのか定かではない。それでも僅かだか笑顔を見せたことにつられてリリスも安堵して笑った。
(まったく……大人っぽい雰囲気で誘惑してくるかと思えば、駄々をこねて幼児化するし、そのくせ病んで呪いのお人形みたいになるし……忙しい人ですね)
「何ですか、その困ったような視線は」
「実際困ってました。さっきまでのルーミアさんは怖かったです」
「だって……部屋、別、嫌……」
「じゃあ襲わないって誓えますか?」
「う、あ……ち、誓いまぁ……すぇん」
「どっちですか」
『誓います』とも『誓いません』とも取れる微妙な発音。
言葉を濁してはっきりと言いきらないルーミアにリリスはジトりと睨みつける。
そんな冷たい視線を浴びながらもルーミアは渋い表情で口を噤んでいる。
「襲わないって言うだけで一緒の部屋でもよくなるんですよ? それで解決するのにどうして迷うんですか?」
「逆に言いますが、リリスさんが襲ってもいいよって許可してくれるだけで解決するんですよ? 一緒にいられて、それでいて襲えるのでお得じゃないですか」
「ルーミアさん、言ってる事めちゃくちゃなの分かってますか? 何で私が譲歩する側になっているんですか!」
開き直ったルーミアの暴論にリリスは呆気に取られた。いつの間にか責められる立場が入れ替わっている事に驚きながらも、ルーミアのあまりにも酷い言い分に必死に反論する。
ルーミアの何一つ諦めない姿勢には感服するが、自分が折れると信じてやまないのはどうにも腑に落ちないリリスは混乱している。
(というか襲っていいよって許可する? いやいやいやいや、おかしいでしょ)
ルーミアの過度なスキンシップに身の危険を感じたからため、部屋を分けるという話になった。リリスの主張は身の安全さえ約束してもらえるのならその話はなかったことにしてもよいというもの。ルーミアがほんの少し妥協してくれればそれで済む話だと考えていたリリスだったが、目の前で強気な姿勢を見せるルーミアを見誤っていたかもしれない。
一切の妥協を許さずに自らの主張を押し通し、リリスから譲歩を引き出そうとする。
すれ違う平行線の主張の落としどころはもはやないのかもしれない。
「強情ですね、リリスさん。認めたらどうですか?」
「み、認めるってなんですか?」
「さっきのリリスさん、そんなに嫌そうじゃなかったですよ」
「そっ、それは……」
「強引なのも悪くないかもって顔してますよ」
腰を上げたルーミアの影が揺らめく。
リリスの顔をジッと見下ろす表情はとても引きしまっていて、まるで引き寄せられるかのようにリリスは目が離せない。
しばし、見つめ合った後、ルーミアはゆっくりと手を伸ばし、リリスの顔に優しく触れる。
「逃げないんですね」
「……抵抗してもどうせ無駄じゃないですか」
「リリスさんが本当に嫌がっていたらやめてあげますよ」
「じゃあ、嫌です。やめてください」
「ふふ、やめません」
ルーミアのしなやかな指先がリリスの頬を滑る。
艶のある髪をかきわけて耳を撫で、首筋を辿り、顎を持ち上げるようにする。
その様子はただ抵抗を諦めているのではなく、受け入れているかのように思える。
そして、また数秒見つめ合い――――ルーミアはその手を離し座りなおした。
「あっ」
「耳まで真っ赤にして、本当にかわいいですね」
離れていく温もりに残念そうな声が漏れた。
それを聞いたルーミアがからかうように笑うと、リリスはプイッと顔を逸らした。
「……意地悪するルーミアさんは嫌いです」
「うっ、その言葉は私に効くのでやめてください」
「嫌です。ルーミアさんばかり言うこと聞いてもらえると思ったら大間違いですよ」
「分かりましたっ。リリスさんの言うことも聞きますから!」
「……じゃあ、襲わないって言えますか?」
「…………」
「おい」
今度はルーミアが顔を逸らした。
都合の悪いことにはだんまりを決め込んで沈黙を貫いている。
そんなルーミアにリリスはしばし冷たい視線を浴びせ続けるのだった。
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