第156話 首輪と暴力姫対策
思いのほか早く姿を現したルーミアにアレンは煽るように口を開いた。
大切な人を攫われて、明らかに平静を保てていないルーミアは鬼気迫る表情でアレンを睨みつける。口から零れ出た殺意の塊は普段のルーミアが発したとは思えないほどに低く、言葉にオーラが纏うのなら真っ黒もいいところな死を匂わせるものだった。
「よくここが分かったな? まさかこんなに早く来るとは……どうやった?」
「教える義理はありませんね」
リリスを攫ったアレンがどこに身を隠しているかなんて、ルーミアには到底知りようがない。だが、それはルーミアだけならばの話。
ルーミアがこの場を突き止めることができた理由は単純明快。アンジェリカにリリスの魔力反応を探知させたからだ。
アンジェリカは広域にわたって魔力感知を行える。事前にルーミアやリリスの魔力を知っていたこともあり、リリスの反応はすぐに見つけることができた。そして、その座標を伝えるために、アンジェリカはルーミアの力を借り、最大限に強化された風属性の魔弾を威力や弾速などを度外視した、射程距離にすべてを費やして撃ち出した。ルーミアはそれを全力で追いかけて走った。そうしてその魔弾に導かれてやってきたのがこの廃洋館だったというわけだ。
「まあいい。もう一度だけ聞いてやる。大人しく俺に飼われるのならこいつは解放してしてやってもいいが……どうする?」
「ルーミアさん! その首輪は隷属させるものです! 絶対に着けないでください……っ!」
アレンがチラチラと首輪を持つ手を振る。
ルーミアがその手の取引に応じるような素直な性格ではないと分かっているリリスだったが、万が一にでも人質の自分の身を案じてその着用を受け入れてしまってはいけない。
ルーミアは優しい。特にリリスのこととなれば最優先に考えるだろう。
だが、その首輪はただ辱めを与えるだけでなく、本物の主従関係まで結ばれてしまう、着けたら終わりの代物だ。
詳細が伏せられていたらうっかり着けていたかもしれないが、事前に会話から情報を引き出していたこともあり、リリスはそれがもっとも警戒すべきものだとルーミアに伝える。拘束に用いられている鎖が自身の身体を痛めつけるのもお構いなしに、必死の形相で叫ぶ。
「へぇ……隷属の首輪ですか」
「ああ、奴隷商なんかでも使われる正真正銘本物だ。で、どうだ……大人しく着けて俺の下僕になるか?」
「お断りします。私に首輪を着けてもいいのは……リリスさんだけです」
王都に来てからはやや縁のある話題だ。
だが、その首輪という話題を持ち出していいのは、ルーミアとリリスの間にある信頼があるからだ。それは一種のじゃれ合いのようなもの。だが、そこにアレンが割り込む余地はない。その身に従属の証を刻むとしても、それを許すのはリリスに対してだけだ。
恥ずかしげもなく宣言するルーミアは、べーっと舌を出して拒絶の意を示した。
「そうか。ならば仕方ないな。じゃあ、奴隷にするのはこっちにしようか」
「……っ! そうはさせません。
ルーミアが大人しく従わないと見て、アレンは仕方ないと鼻で笑い標的をリリスへと変更した。
もとより、アレンはリリスの傍へと陣取っている。リリスが身動きできないように拘束されている以上、ルーミアが現れたところでその距離は変わらない。少し歩み寄り、腕を伸ばせば吊り上げられた少女の首元に手が届く。
だが、そこは既にルーミアの間合い。
その手がリリスへと届く前に、割り込んで対処できる。その確信の元、魔法を発動させながら一歩踏み出したルーミアは、違和感を覚えて――足をもつれさせながらアレンの足元に転び倒れた。
「おいおい、どうした? そんなにお疲れなら帰って寝るか? 随分と頑張ってたみたいだし、無理はするなよ」
「ぐっ……あぅ」
ちょうどよく足元に転がったルーミアの頭を踏みつけ、容赦なく蹴飛ばしたアレンは皮肉の言葉を投げかける。
まさか、こんなしょうもないミスで一撃をもらうなんて思ってもみなかったルーミアは、茫然として呻いた。
(おかしい。今の
ルーミアが倒れ込んだのは疲労によるものではない。確かに一日を通して連戦で、最後はアンジェリカとの激戦ということもあり消耗はしていた。だが、それは魔力的な意味合いであって、体力的にはまだ余裕はある。
それに加えてリリスが鞄を残してくれたおかげで、魔力も多少なりとも回復はしている。内包魔力は少ししか戻っていないため、あまり強力な魔法の多重行使は何度も行えないが、それでもアレンに後れを取るとは思ってもみなかった。
「何か変なの……使ってます?」
「ああ、吸った奴の魔力の流れを乱すガスをこの部屋にばら撒いていた。無色で匂いもない気体だし気が付かなかったみたいだな」
(やられましたね。魔力が乱されているから、
ルーミアが気付かずに吸ってしまったのは、魔導師を限りなく無力化する魔導師特攻の気体。魔力の流れを乱すということは、本人の想定した魔法がは発動しないだけでなく、常に暴発するリスクまで付き纏う。
それだけでなく、ルーミアにとってはこちらの方が深刻な問題だが、無駄に魔力を垂れ流しているという大きなデメリットがある。魔力消費を避けるためにあえて小さめに発動した魔法が、消費の大きい状態で発動してしまっている。一度強化状態をリセットして、強化段階の引き下げを行いたいところだが、次に強化を施した際にどうなるか分からない。暴発のリスクなども諸々考慮して、現状維持を選択したルーミアは多少の魔力消費には目を瞑り、よろよろと立ち上がる。
「多少魔法の妨害ができれば御の字だと考えていたが……随分と大変そうだな。想定より効果がありそうで何よりだ」
「……今ので強化段階の感覚は掴みました。遺言はそれでいいですか?」
「ふっ……好きにしろよ。どうせ無駄だ」
「じゃあ、遠慮なく……
現在の魔法の強化段階を正しく掴んだルーミアは、今度こそその拳をアレンの腹に深く突き立てた。風属性の力で加速する目にも留まらぬ神速の正拳。それを受けたアレンは少し呻いたが、手応えの割に余裕そうにしており、ルーミアはそれを不審に感じていた
何が起こっているのか分からず目を見開くルーミア――の背後にて、悲痛な叫びと共に、リリスの身体が九の字に折れ曲がり、ビクンと跳ねた。
「うっ……か、はっ」
「あーあ、だから無駄だって忠告しただろ? で、どうだ? 助けにきた奴を殴り飛ばした気分は?」
「え……あ……っ? リ、リリス……さん?」
「げほっ、ルーミア、さんっ。うし、ろっ」
苦しそうに咽るリリスの忠告で、ルーミアは自身に首輪が迫ることに気付き、間一髪で躱し、再びアレンを殴り飛ばして距離を取ろうとする。
「お、もう一発いっとくか? ほれ、よく狙っていいの入れろよ」
それを見たアレンは自らの顔を殴ってくださいと言わんばかりに差し出してきて、あまりの不気味さにルーミアの拳は寸前で止まる。
ここまであからさまにされてその拳を振り抜くことはできなかった。
「バカでも気付くか。そうだ、お前が俺に与えた攻撃はそいつが肩代わりする」
「そんなっ……じゃあどうやって?」
「そんなお前にいいことを教えてやろう。今のはダメージを押し付けじゃなくて反転だ。俺への攻撃はこいつが受ける。だが、その代わりにこいつへの攻撃は俺が食らう。そういう代物だ。ほら、そいつを殴れば俺にダメージが入るぞ?」
「……悪趣味ですね」
今しがた開示された情報が本当ならば、ルーミアがアレンを攻撃するには、リリスに対して狙いを定めなければならない。
「ルーミア、さん……っ、私に、構わず……やってください」
アレンに向けて撃ち込んだ強烈な一撃を肩代わりしたリリスは、息も絶え絶えといった様子でルーミアに懇願する。だが、ルーミアはその願いに応えることはできない。たとえ、リリスが望んだとしても。実ダメージはないとしても、リリスに手を上げることは憚られる。ルーミアは自身の短慮のせいで苦しそうに顔を歪めているリリスに、申し訳なさそうに唇を噛んだ。
「……リリスさんは攻撃できません。というより、それこそあなた狙いなんでしょう? 嘘でも、本当でも」
ルーミアは二つの可能性に思い至っていた。
まずは、アレンが開示した情報が嘘だという可能性。
その場合、アレンに対して攻撃しようとリリスを叩いたところで、ただリリスを痛めつけるだけの愚行となる。
そして、その情報が本当の可能性。
もしそれが本当だとするのならば、わざわざ教える必要はない。ルーミアがリリスに攻撃をする可能性自体元々皆無の様なものなのだから、黙っていればアレンはほぼ無敵のままでいられただろう。
(わざわざ殴られに来たってことは、リリスさんへダメージが押し付けられるのは確実みたいですが、リリスさんからアレンさんへはまだ確信が持てません。それこそ……ダメージ反転が任意だとすれば、リリスさんへの攻撃はそのままリリスさんへのダメージに直結します)
それをあえて開示したのにはきっと何か狙いがある。
だから安易にルーミアはリリスへと拳を向けない。
「もう一度だけ聞いてやる。大人しくこれを着けて俺の言うことを聞くならそいつは解放してやるぞ?」
「……その首輪を着ければ、本当にリリスさんは逃がしてくれるんですか?」
残り少ない魔力。人質。魔力妨害。ダメージ反転。
対策を重ねられたあまりにも不利な状況に、ルーミアはどうしたものかと考えて、再度投げかけられたアレンからの提案に耳を傾けてしまった。
自分一人の犠牲で大切な人が助かるのなら、それは受けれいる価値がある。
リリスが声を枯らしてダメだと叫んでいるが、大切な人を傷付けずに守れるのならと弱気になっていたルーミアは、その提案を飲み込みかけた。
だが、首元にじんわりと広がる熱が待ったをかけた。
(この気持ちいい熱。ドキドキしてしまう感覚。これを与えてくれるのは……やはりリリスさんだけですね)
「どうやら私の首はすでにリリスさんの所有物みたいです。あなたみたいな人が用意した趣味の悪い首輪は……何があってもお断りです!」
本能に従って強く拒否を示す。
思い出した熱が、首元から身体中に広がって、まだ戦えると勇気を与えてくれた。
その瞳に、もう迷いはなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます