第154話 信頼の抵抗
時は少し遡り、ルーミアが勝利を収めた直後。
冷めやらない余韻で熱くなっていたリリスは、扉が開いた音を耳にして怪訝そうにそちらを見た。ルーミアにはまだやるべきことが残っており、これほど早く戻ってくるはずがない。それだけは確かだったため、今しがたやってきたのは誰なのかとリリスは警戒心を強めていた。
「どなたですか? 控室をお間違えではありませんか?」
予選通過者には等しく控室に移る権利が与えられる。ルーミアが自身の控室にリリスを招いているように、他の参加者がゲストを招いている可能性もあり得るだろう。
そのため、リリスはそのように尋ねた。だが、男は何も言い返さずにゆっくりとリリスへと歩みを強める。
「……っ。あ、あなたは……前に一度……」
初めは誰だかよく分からなかった相手だが、人の顔と名前を覚えるのが得意なリリスはそれが初対面の相手ではないとすぐに気付いた。直接自己紹介などを交わしたわけではないが、つい最近、王都に来てからルーミアの口から耳にし、実際に姿も見ていた男性。ルーミアを見下す様子などから悪い印象が強かった――アレンだった。
「なんの用ですか? 見ての通りルーミアさんは不在ですよ」
「そんなことは分かっている。だからこそ都合がいい」
「……では、いったい何を?」
「お前を人質にしてルーミアの奴をおびき寄せる。悪いが一緒に来てもらうぞ」
リリスはアレンに目的を尋ねた。初めはルーミアを仲間にするために再度口説きに来たのかと思ったからだ。だが、見ての通りルーミアは試合直後でこの場には不在。そして、諸々の対応などで戻ってくるのはもう少し遅くなるため、お引き取り願おうと思ったところ、不穏な言葉が耳を通り抜けた。
それが聞き間違いでないのは、アレンが何やら魔法らしきものを発動させたことで証明された。今この瞬間、確かな悪意と共にリリスに害を為そうとしている。
真の目当てはルーミアではなくリリス。ルーミアの不在時に、ルーミアが大切にしているリリスを押さえることというのがアレンの第一プランだった。
「なんのつもりですか? これ以上近寄るのなら斬ります……っ」
だが、当然リリスも無抵抗で大人しくしているはずがない。
ただの冒険者ギルド受付嬢ならいざ知らず、リリスはルーミアのわがままによって戦う力を手に入れていた。
敵意を持って襲い掛かるアレンに対して、リリスは即座に剣を握った。
サイクロン・カリバーを手にして応戦する形になる。しかし、対人戦闘に乏しいリリスにとっては厳しい防戦を強いられることとなった。
(くっ……いくらこれがすごい剣だとしても、扱う私の技量が……。今はルーミアさんもいないので加速することもできませんし、純粋な力の差で……押し切られそうです)
何度か受け太刀をして、痺れかけた腕にリリスは目を細めた。リリスにとってアレンは、それほど強くない冒険者だという認識だった。
だが、それはルーミアと比べればという話だ。普段ルーミアと一緒にいるリリスにとって、強さの基準はいつの間にかルーミアが当たり前のものとなっていたのも災いし、少しばかり力量を見誤っていた。
ルーミアにとって片手間で相手できる者でもリリスにとっては格上。さらに、リリスが思うように攻撃に転じれない理由としてもう一つ上げるとすれば、彼女が善人であるという点だ。
リリスはルーミアがいなければ魔剣の力をすべて引き出すことができない。だが、単身でも片方の力である飛ぶ斬撃は扱うことができる。だが、リリスはその切り札を使っていない。いや、使うのを躊躇っているというのが正しいだろう。
よく言えば周りに気を遣っている。悪く言えば、覚悟が決まっておらず、タガが外れていない。リリスは破壊を生み出しながら戦うことに無意識ながらストップをかけていた。
斬撃を飛ばせば反撃のチャンスを作れる。あわよくばアレンを倒すこともできるかもしれない。だが、周囲への被害は計り知れない。そして――人を斬るのが怖い。
口では斬ると啖呵を切ったリリスだが、実際のところ人を斬ったことはまだない。強いて言うならばルーミアに斬りかかったことは何度かあるかもしれないが、それはルーミアには掠りもしないという確信があったからだ。だが、目の前の相手に対してそのような信頼はない。
「どうした? 斬ると言ったのは威勢だけか?」
リリスは斬れない。狙ったところを斬り、ダメージを調整する技量はまだない。ルーミアのように致命傷を与えてしまった時に治療する術もない。何かあったら取り返しがつかない。そんなリリスの優しさと覚悟の無さが、徐々に彼女自身を追い詰めていく。
「おらっ……!」
「くっ……つぅ……」
自身に迫りくる剣先を受け止め……吹き飛ばされたリリスは椅子や机をなぎ倒しながら壁にぶつかって倒れ込んだ。
「最初に使ったスクロールは防音効果を与えるものだ。男女がよろしくヤル時とかでも使われるものだから、この部屋で起きている音は外には漏れない。助けはこないぞ」
(っ……なら、私がすべきことは……戻ってきたルーミアさんに繋げること、ですね)
痛みで鈍る思考をフル回転させてリリスは己の取るべき行動を導き出した。アレンがべらべらと話してくれたおかげで、助けがない事が確定した。その上でどうすべきかが朧気ながら見えてきた。
(まずは……これを渡すわけにはいかないですね。気付いてくださいよ……ルーミアさん)
リリスは倒れ込んでいて、アレンから見えていないことを理解した上で、ルーミアから預かっていた白い鞄を――簡易ベッドの奥に滑り込ませた。
この鞄はルーミアの生命線。それだけでなく、中には貴重なアイテムなども多数存在する。それを敵に利用されないために隠す。リリスがルーミアに託すための第一の抵抗だった。
そして、よろよろと立ち上がったリリスは、致し方ないと魔剣の力を引き出して、瞳を深緑に染め上げた。
(なるべく派手に暴れて、ルーミアさんに気付かせる。その上で……あのソファが一番分かりやすそうなので……文字を刻めればいいのですが)
ひゅっと剣を滑らせると、緑色の刃が机の脚を叩ききった。
「おいおい、どこ狙ってんだ? ちゃんとここ……狙えよ」
「うるさい」
勝ち誇った顔で首を親指で差すアレンのにやけ面に、リリスは心底嫌そうな顔で再度刃を飛ばす。だが、アレンを狙ったところでその斬撃は防がれてしまうのは目に見えている。だからこそ、あえて散らして、本命の目的を悟らせないように努める。
アレンがやってきたことを伝えるためにソファに名前の跡を刻み込もうとしているリリスだが、それだけに集中してソファにばかり斬撃を飛ばしていると気付かれる可能性がある。
少しでも多くの情報をルーミアに残す。
そのためにこの控室が犠牲になることを心の中で謝りながら、リリスは何度も剣を振るった。
そして――。
(あと、一振り。魔力もギリギリ間に合いました……)
わざと散らしているため、魔力も枯渇寸前だったが、最後の一振りが今成された。わざと大きめに出した刃はソファに最後の一筆を刻んで、派手に吹き飛ばした。
それと同時に力尽きたリリスの手から、からんと魔剣が零れ落ちた。
「もう終わりか。あいつと一緒にいるやつだから斬撃を飛ばす以外にも奥の手があるかもしれないと少しばかり警戒していたが……剣振り回すしか能がない雑魚だったな」
「ふっ……ふふ」
「何がおかしい?」
「いや……ルーミアさんに瞬殺される雑魚が私なんかに粋がってて面白いな、と」
「……ちっ、人質にするつもりじゃなかったら殺してたぞ」
「それはそれで間抜けで面白いですね。目的も果たせないバカってことですか」
人質は生きているからこそ価値がある。散々に煽られてイライラからつい剣を握る力が強くなったアレンだが、ふぅーと大きく息を吐いて、リリスの口元に黒い布を押し付けた。
「むぐっ……っ、ぅ」
何か薬品が付着していたのだろう。数秒でリリスの意識は落ち、ぐったりと倒れ込んだ。
「とりあえず奴の急所は押えた。こいつがいればあいつも大人しくせざるを得ない。あとは……予定通りに事を進めれば、あいつは俺のモノだ」
この場にやってきた狙いであるリリスの確保を果たしたアレンは、彼女を連れ去りこの場を離れた。
静かに閉じられた扉の中は悲惨な状態であるが、リリスがルーミアを信頼して行った抵抗がきちんと残されている。
そして――いつの間にか振り落とされていた白い薔薇の髪飾りが、きらりと光ったような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます