第135話 想いを確かめ合って


 寺院をあとにした私たちがシャルに先導されて辿り着いた先には、先ほどまで訪れていたその寺院にもまるで引けを取らない、実に趣き深い雰囲気を纏った木造の旅籠屋はたごやがあり、彼女によるとそこが今日、私たちが泊まるところになる宿であるとのことだった。


 駅を降りたところからここまで移動してくるのには、実際にかなりの道のりを歩いてきたことになり、また午後からは季節外れの陽気に恵まれて汗もかいたため、まずは皆でその身を清めた上で夕餉ゆうげを頂こうという話になった。


 そこで私たちは茜色が差した秋陽の下、皆で露天風呂に浸かり、今日一日の疲れを癒すことにした。仄かに煙りながら周囲の色づいた木々を映すその水面には、桜の花びらのようにはらはらと舞い落ちてくる楓の葉が幾つも浮かび、昼間に見たものとはまた異なる顔を見せる彼らに、私は何だかとても感慨深いものを感じた。


「今日は本当に、皆で来れて良かったわね……」

「はい。それにエフェスも途中から足が疲れたとか何だとか言っていましたが、このあとに美味しいご飯があると聞いた途端に、また元気になっちゃったようです」

「ふふ、何ともあの子らしいわ。でもこうして秋が過ぎて行って、冬が来て、また春が来る。当たり前のようだけれど、これだけ色々大変なことが立て続けに起きた中で、皆が皆無事で生きているこの状況は、私……奇跡だと思うのよ」

「……そうですね。私はあの時にメルやリゼに命を助けてもらったからこそ、今もこうして生きていられるわけで。お二人には本当に感謝しかありません」

「それを言うなら私たちもレイラには感謝の気持ちしかないよ! 前にフランベネルの近くで私が命を落としかけた時にも、メルだけじゃなくって、レイラの知識と治癒術があったからこそ、私は生き延びることが出来たのだから」

「お姉ちゃんたちも大変だったんだ……けど、みんなで助け合うって何だか良いよね! というわけで……エセル、これからは私のことも色々と助けてよね!」

「えっ? どういうわけさ……それは。でもまぁ、出来る範囲で頑張るよ」

「あら、何とも可愛らしいやり取りだこと。けれどステラ、あなたもどうかこれからまた私のことをよろしくお願いね。ここのところ色々と深く考えることが増えたけれど、やはりあなたでないと私の隣は務まらないようだから……責任重大よ?」

「シャル……ふふ、どうかお任せを。あなたの隣に居る者として常に相応しい者で在り続けることが出来るよう、これからも粉骨砕身いたします」

「しかし皆で入る風呂というのも中々どうして、悪くはないものだな。そうは思わないか、アンリ?」

「そうですね、ベアトリクスさん。私はまだ皆さんと知り合って間もないですが……今私は、これまでの人生の中でも、実に穏やかで充実した時間を過ごせていると感じますよ」


 皆が思い思いに語る現在の心情を耳にした私は、人と人との出会いというものが、ある時には思いがけないほど恐ろしく、またある時には掛け替えのないほどに素晴らしいものを齎してくれるものなのだとしみじみ感じた。


 しかし私たちがめいめいに歩いてきた道の先がたった一つに重なるところに、今のこの瞬間があるのだと考えた時、私は自分の瞳から熱いものが込み上げてきそうになった。そしてまた、重なった道のさらにその先にどんな未来が待っているのかに思いを馳せていると、ふと隣で微笑むリゼの姿が眼裏に浮かんできて、私は実際に傍らに居るリゼの姿をそれとを重ね合わせながら、自然とこの頬がだらしなく弛んだのが自分でも分かった。


「あれ? 何をにやけているんですか、メル」

「ふふ。それは……秘密よ」

「あっ、隠し事は駄目ですからね! 私は前に過去の恥ずかしいことをメルに全部話したんですから、メルも何かあるのなら私にちゃんと教えてくださいよ?」

「今にきっと分かるから大丈夫よ、リゼ」

「ん……? ねぇ、リゼお姉ちゃん。お姉ちゃんの言うその恥ずかしいことって、一体どんなことだったの? 私にも教えてよ!」

「えっ? いやその……えっとそれは、秘密……かな」

「ああっ、さっき隠し事は駄目って言ってたのに!」

「そ、それはあくまで私とメルとの間だけのことだから……いいの!」

「む、お姉ちゃんのけちんぼ」

「ふっふふふ。言われているわよ、リゼ?」

「んもう、メルまで……知りません!」


 すると、以前イル=ロワーヌ島の土産物屋で見たハリセンボンなる魚の如く、その頬を大きく膨らませて見せたリゼの顔は、まるでむくれた子供のようだったものの、私には彼女のそんな姿がまたとても愛おしく感じられた。



 ***



「わぁ、これが今日の夕飯なんだね! とってもいい匂い!」


 今私たちの眼前にある食卓の上には、エフェスがお風呂に入る前から頻りに気にしていた宿の夕食が所狭しと並べられており、そこからは何とも食欲をそそる馨しい香気が芬々と漂ってくるのが分かった。


「それにしてもものすごく豪勢なお料理ですね……やはりこれもシャルが?」

「ええ、リゼ。だってせっかくみんなでここに来たんですもの。どうせなら皆で一際美味しいものを頂きたいじゃない? ほら、先の勝利のお祝いだと思って、遠慮なく楽しんで頂戴」

「では今回はそのありがたいお言葉に甘えて、早速いただきましょうか、メル?」

「そうね。皆が無事にここまでこれたことに感謝を捧げて……いただきます!」


 シャルによると先の豊かな香りの正体は、この近くの山で穫れたばかりだという松茸というキノコであるらしく、こちら側では高級食材の一つとして古来より珍重されてきた食材だという話だった。


 そして今回私たちが頂くことになるお料理はまさにその松茸を主役に迎えた、まさに松茸づくしともいえるもので、様々な具材の出汁が溶け込んだ土瓶蒸しを始めとして、非常に上質な牛肉と地鶏が持つ旨味と眩い薫香くんこうを纏う松茸のすき焼き鍋、さらに裂いた松茸を網焼きにしたものや素揚げしたものに加え、その馥郁たる芳香を湛えた炊き込みご飯にお吸い物と、松茸が持つ種々の魅力を余すところなく楽しめる、至れり尽くせりのお料理といった感じだった。


 他にも秋鱧あきはもという魚や海老に、栗や紅芋、そして銀杏や南瓜かぼちゃの天ぷらなどまであり、その色とりどりの味覚に全く飽きが来なかった。


「ふわぁ……何て味わい深いんでしょう。身に沁み入るというか、心が喜んでいるような感じさえしてきませんか、メル?」

「ええ、フィルモワールで頂いた秋刀魚さんまも美味だったけれど、この極めて香り高い松茸というきのこを贅沢に使ったお料理も、またそれとは趣きが違って実に見事な味わいだわ」

「ここは海から少し遠い分、特に足が早いものは難しいけれど、その代わりに山の幸にはとても恵まれている場所だから、秋の恵みを存分に楽しむことが出来るのよ」

「ふむ、松茸とやらも非常にうまいが……この牛肉も口の中で溶けていくようだな。正直、うま過ぎて笑いが出て来るぞ」

「分かりますよ、ベアトリクスさん。よく頬が落ちると言いますが、私もさっきからあまりの美味しさで頬が緩みっぱなしですもの」

「ねぇエセル、またこのお茶碗にご飯をよそってもらってもいい?」

「エフェス、ボクついさっきよそってあげた気がするんだけど……気のせいかな?」

「気のせい気のせい、ほらほら早く!」


 実に豪華な夕餉に舌鼓を打った私たちは大きな幸福感に満たされて、皆でその余韻に耽りながらお互いにこれからの話に花を咲かせていた。その中で私がふと自分の生まれ故郷であるロイゲンベルクで過ごしていた頃の話を語ったことがきっかけになって、近くフィルモワールが本格的な冬季を迎える際、それとは正反対の夏に入るロイゲンベルクに一度皆で訪れてみようという話が持ち上がった。


 それは、先に皆で向かった時には状況が状況であっただけに、その街をゆっくり見て回ることが叶わなかった分、今度は心にゆとりを持った状態で私とリゼとが生まれ育った場所を見てみたいという意見が出てきたからだった。


 変な話、自分の生まれ故郷であるにもかかわらず、通学やお母様たちの視察に同行した時を除いて長らく満足に街へ出ることがままならなかった私にとっても、ロイゲンベルクでの観光というのは実に興味深い話であったため、可能であれば私の生家である屋敷を宿として、皆でしばらく滞在したいと考えていた。


 それにロイゲンベルクの東には、避暑地として知られるユンガーフェルンというとても大きな湖があり、ラウシェンバッハ家が所有する別荘もある。私自身は幼い頃に其処で一度溺れかけてからは足が遠のいていたものの、水浴びや釣りなどが楽しめる場所であったため、皆で行けばきっとまた楽しい想い出になると思った。


 その後も、夜が深まり始める頃まで取り留めのない会話に興じていた私たちは、やがて睡魔に襲われて船を漕ぎ出したエフェスの姿を見るまですっかり時間の流れを忘れていたほどで、時間も時間だということでその場をお開きにし、それぞれに割り当てられていた寝室へと移動し、私とリゼとはその中にあった大きな寝台に二人しては入り、お互いの身を寄り添わせながら、言葉を交わしていた。


「しかしあれほど贅沢なお料理だけでなく、それぞれの寝室まであるだなんて、ここは一体、一泊するのにお幾らぐらいするところだったのでしょうね?」

「シャルの屋敷に住んでいるとつい感覚が麻痺してしまうけれど、非常に高級なお宿であることには違いないでしょうし、シャルには本当に感謝しなくてはね。それと、いずれは自分たちの稼ぎでこういったところに泊まってみたいものだわ」

「そうですね。これからは平穏な時間の中でも絶えず自分たちを律しながら己の力を磨き続けて、一角ひとかどの人物になれるよう頑張らなくては!」

「ふふ、相変わらず真面目よね、リゼは。けど、私は常に高みを目指して励んでいるそんなあなたのことを誇りに思うわ。私にとっては誰よりも一番素敵よ、リゼ」

「メル……私にとっては、メルにそう言ってもらえることこそが、何よりも嬉しいです。私はメルの隣で、その笑顔をずっと見ることが叶うのなら、どんな困難や途方もない目標だって乗り越えてみせます。この私にとっては、メルとこうして一緒に居られることこそが、一番の幸せですから」

「私もよ……リゼ。ね、今日は冷えるから、私が眠るまでずっと抱き締めていてくれる? 前にしてくれたみたいに、ぎゅって」

「もちろんですよ……メル。メルが眠っていたあとも、そしてその夢の中でさえも、この私がメルのことをずっと離しはしませんから……」

「ありがとう……リゼ。大好きよ……んっ」


 リゼの優しくも力強い腕の中に抱かれながら、私はこの唇をリゼの唇と重ね合わせ、彼女のことをもっと強く感じようとした。密着した身体を通して伝わってくるリゼの胸の高鳴りが私の鼓動と一つに溶け合っていく中で、リゼはそんな私の気持ちに応えるようにもう一度、私よりも一層力強く唇を触れ合わせてきた。


 そうして私たちは間もなく炎のように立ち昇った熱を全身に迸らせながら、お互いの想いを確かめ合い、またその存在を求め合うようにして、何度も何度もその唇を強く深く交わし続け、誰よりも大切な人の名前を呼び合った。


 そしてやがて、極めて心地の良い感覚と太陽に包まれているような安心感とに身を委ねた私は、次第に遠のいていく意識の中で、これまでにないほど強く大きく、リゼの存在を全身に感じた後、そのまま安らかな眠りへと誘われていった。



 ***



 次に私が目を開いた時、その眼前には静かに寝息を立てるリゼの穏やかな顔があり、さらにその両腕が私の背中へと回されていたままであったことから、彼女は私が眠っている間中もずっと、この私を抱き締め続けていてくれていたことが判った。


「リゼ……ふふ、あなたは眠りに落ちたあとでも、本当にずっと私のことを抱き締めていてくれたのね。どうかこれからもずっと、私のことを離さないでいてね……」


 窓から差し込めた朝の光が広がっていく部屋の中、私は明日も明後日も、そのまた次の日の朝もずっと、このリゼの優しい寝顔を見続けていたいと感じた。それは私にとっての一番の幸せであり、きっとまたリゼにとってもそうであるはずで、私と彼女の二人がこれからお互いに歩んでいく道、そのものだと私は強くそう思った。

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