第46話 蜃気楼の先へ


「それでは、行きますぁ」

「ええ、どうかよろしくお願いしますわ」


 王陛下から派遣された御者ぎょしゃが駆る二頭の駱駝、その背が牽く変温器テルモスを備えた四輪車に乗って、南方公路を渡り一路フランベネルへ。話によれば、公路上にある目印に加え、周囲にある岩山や砂丘、そして夜間に見える星々に従いながら進み、道中での野営も挟みつつ、明後日には目的地に到着出来るとのこと。


 また、目的地への移動は基本的に夜間に行い、公路上には一定間隔で設けられた専用の野営地があるため、休息は其処でとることになっている。


「ふぁ……あぁ……っくん」

「リゼ、まだ随分と眠そうね。昨日からあまり眠れていなかったのかしら?」

「え、ええ。ちょっと寝付けなくて……」

「そう。出発が夜というのは、私にとっては屋敷を出て以来のことだけれど、早めに寝るというのは中々難しいものよね」


 ――寝付けなかったのは私も同じ。そしてその理由もきっとまた然り。

 私たちを取り巻いている現在の状況が落ち着いたら、正面からちゃんと向き合わなければいけないことだけれど……今は、まだ。


「まぁ、今日の移動は人に任せていられるから、お互いにゆっくり出来るわね。それにしても、当初は自分たちで駱駝の綱を引いて、フランベネルへと向かうつもりだったから、こうして運んでもらえるのは望外の喜びといったところだわ」

「……本当、願っても無いことです。ところでメル、昨日は屋敷の近くにあった工房にいらっしゃったようですが、一体何をされていたのですか?」

「あぁ、実はこれを作っていたのよ。ほら、レイラ」

「ん……鉄の玉のようなものと、筒のようなものがたくさん……これは何です?」

「ふふ、それはね――」


 昨日、私の部屋で偶然目に入った光景がずっと頭から離れずに、気分転換も兼ねて屋外へと出たところ、とある工房を見つけた。


 其処には専用ではないといえ錬金術にも使えそうな大釜があり、今はもう使い手がいないということで、私はその釜を借りて、リゼたちが市場から買い集めた物資も利用することで、弓以外の自己防衛手段を持たないレイラにも使えるような、即席の法具を複数調合した。


 そしてそんな中で私が作成した法具は、全部で四種。


 一つ、爆発効果を持った、小型の手投げ弾。

 二つ、周囲の空間を一定時間炎上させる、火炎玉。

 三つ、煙幕を発生させて辺りから視界を奪う、発煙筒。

 四つ、強烈な閃光と音響とを発し、相手の昏倒を誘う閃光球。


 ――これらの法具を上手く使えば、例え私たちの手が追い付かず、レイラが危険な状況に陥っても、彼女一人ぐらいならその場所から逃げることは出来るはず。


「専用の施設と材料とがあれば、あなたの力を最大限に引き出すための装備も作れたけれど、それはまた今度ね」

「ありがとうございます、メル。えっと、このレモンのような形をした玉は……きっとこれを引いて使うん――」

「待って! その金具を引き抜いたら最後、数秒後には爆発するから」

「ええっ⁉ あぶ、危なかった……ご、ごめんなさい」

「大丈夫よ。今から一つずつ、その使い方を説明するから――」



 ***



「……なるほど、私に上手く使いこなせるかどうかは分かりませんけど、その時が来たら使ってみますね」

「特に最初に渡した手投げ弾だけは、金具を引き抜いた瞬間からあなたの味方ではなくなるから、注意して使ってね。まぁ、それを使わなくて済むように私たちが頑張るから、万が一の時の備えぐらいに思っていて頂戴」

「それにしてもメル、よくこんなものを一気に作れましたね。私たちが買って来た物資の中に、こんな風に使えるものがあったとは……」

「ふふ。それはね、これがあるおかげよ」


 お母様が遺した、錬金術を用いた様々な道具の製法を伝える、羊皮紙で綴じられた手帳。これを参考にすれば、身近なものを含む限られた材料からでも、大きな効果を持った道具を新たに作り出すことが出来る。


「なるほど、アルベルティーナ様の……ん、何ですかこの文字? こんな不思議な形をした文字は、今までに見たことがありませんが……異国の旧語でしょうか」

「それは独自に創られた文字で書かれてあるの。暗号だと解読される可能性があるけれど、これならもし第三者の手に渡っても、悪用されるようなことはまずないだろうから」


 私たちが現在使っている統一言語パリグラットが大陸のほぼ全土に普及してからというもの、各地に根差していたふるい言語は急速に衰退し、人名などにはその名残が今も色濃く残っているものの、その他では一部のものを表す名称や借用語に加え、歴史の研究や魔術アルカナの分野においてのみ、その足跡を遺す状態になっている。


 統一言語のもとになったものは、かつて存在したというヤパルタなる国家で使用されていた言葉であるらしく、私が以前に母が遺した異邦見聞録なる書物から得た情報によれば、同国は古代錬金術の一端を世界でいち早く再現することに成功し、化相学といわれる学問をおこして飛躍的に生活水準を高めていったようだった。


 他国も当然、その恩恵に与ろうと皆でこぞってヤパルタとの接触を試み、言葉の壁が存在した中で当時の貿易商人や技術者らによって、文法上の正確性よりも相互間の意思疎通を第一にした接触言語が各地に広まっていき、やがてそれが統一言語の礎になったという。


 ある時、ヤパルタは黄龍石なる新たな資源の利用方法を見い出し、新式の動力機関を生み出したことを皮切りに、それまでの対外政策を転換させて鎖国を宣言。以後、他国との文化交流は極めて限定的なものに留まり、各国による諜報活動も厳重な情報封鎖の前に芳しい成果を得られなかったようだった。


 しかしその後、ヤパルタの方向で未曾有の大災害が発生したらしく、同国はそれによって壊滅的な打撃を被った様子で、その周辺は間もなく『界蝕イロード』という未知の現象による影響を受けて不毛の大地と化し、国の周辺は立ち入り禁止区域となり、いつしか城塞都市のように高い壁が領域を覆うようにして築かれ、その内情を窺い知ることは出来なくなったという。


 その後、同国で起きた何らかの惨事から逃げ延びた者たちが各地に流れたことによって、広い地域に種々の革新的な技術が齎され、昨今目覚ましい進歩を遂げている新式錬金術の前身となる学問が開花することとなった。現在ある変温器などは、その際に得られた知識がもとになって生み出されたものとされている。


 そして世界的な錬金術の再興と統一言語の普及に伴い、各国の術師らは独自に編み出した技術の拡散防止のため、旧語を参考にして各々の一門にしか理解できないような独立言語を創りだした。お母様の手帳にある文字も、それによって記されていて、小さい頃から読み方を教わっていた私には使うことが出来る。


「確かに、悪用されればとても怖い力ですものね。大昔には国の一つが消し飛ぶほどのものがあったとか……前にメルが話しているのを聞いて、驚きましたよ」

「そうね。しかし正しく使えば、水送管や変温器のように人の生活に役立つものを生み出すことだって出来る。ようは使い方自体が、最も大事なのだと思うわ」


 ――ザールシュテットでは、クリストハルトがそれを良いようにも悪いようにも使っていた。彼がどのようにして、あの合成獣を創り出していたのかは、未だに定かではないけれど、あの時に私たちが逃してしまったのは、本当に失態だった。

 

 今でも残っている疑問として、共謀関係にあったはずの妖魔を、何故私たちに探らせようとしたのかが謎だけれど、ひょっとすると両者の関係に何らかの歪みが生じたのかもしれない。落命した後に人の姿になったあの妖魔が遺した言葉の真意も含めて、考えても答えが出ないのは実にもどかしい。


「それにしてもフランベネルまで約二日ですか……それまでどうしましょう」

「今後について細かい話をするのもいいけれど、せっかく時間があるのだから、何か別のことにも使いたいわね」

「あっ、なら私にメルとリゼ、お二人の話を聞かせて下さい。私まだ、どちらのことも全然よく分かっていない、から……」

「ふ……良いわよ。さて、どこから話しましょうか……」

「へ、変な話は、しなくていいですからね!」

「変な話といえば……そうそう、私たちがまだずっと小さい頃にね――」

「駄、目、で、す!」


 これは、レイラに私とリゼのことを多く知って貰える、良い機会。

 誰かに私たちのことを話すのは初めてだけれど、彼女には聞いて欲しい。

 私がリゼと共に過ごしてきた、穏やかで、時には苦々しかった時間の記憶を。

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