第45話 走り出した想いと衝動
戦いの後、再び空気の流れを読みながら長く彷徨い続けた末に、ようやく外界からの光が岩同士の切れ間から差し伸べている場所を見つけ出し、人一人が何とか通り抜けられるその合間を通って、ついに皆で再び地上へと戻ることが出来た。
「はぁ、流石に……疲れたわね。ローザが灯りを持っていてくれて助かったけれど、手持ちの水もないし、正直に言ってもうへとへとだわ」
「私もです……それでナディア、ここがどの辺りか大体の見当は付きますか?」
「ここは……恐らく、遺跡の近くにあるサラターン狭谷の何処かだと思います。太陽の方向からするとあちらが北ですから……こちらの方に移動していけば、いずれあの遺跡群がある方に出られるかと思います。それほど遠くはないはずですよ」
「仕方ないわね……ここからまた歩きましょう。あっ、ローザ大丈夫?」
「あっ、はい。すみませんエミリー」
そうして再度、ナディアが指し示した方向にしばらく歩いていると、果たして見覚えのある遺跡群が目に入って来た。あとは私たちが待機させていた駱駝に乗れば、体力が尽きる前に何とかアル・ラフィージャの方へと帰還することが出来る。
「ふぅ、やっとラムル・ワルドだったかしら、あの遺跡が見えてきたわね。ここまで来れば何とか、町までは気力を保っていられそうだわ」
その後、私がレイラを、リゼはナディアを、それぞれ手綱を引いている駱駝の後ろ側へと乗せ、私たちはアル・ラフィージャへの帰路についた。
***
王陛下は帰還した私たちに対して、ナディアを保護し、先の巨大サソリからも彼女を守り抜いて無事に戻って来たことを大儀だと褒め称え、正式な南方面公路への移動許可だけでなく、人や物資の運搬が可能で、変温器まで備えた箱型の四輪車も
そしてそのフランベネルへの出発を明日に控え、リゼとレイラは、体内の魔素が枯渇し、酷く消耗していた私を気遣ってか、二人で町に買い物へと出掛け、私は一足先にサルマンの屋敷にある浴場で、最後の湯を一人で堪能していた。けど――
「ごぶごぶぁ……ぷはっ! わ、私……お風呂で、眠ってしまっていたのかしら?」
――自分自身で思っていた以上に、私は疲弊していたのかもしれない。
どうりで……買い物に同行しようとしていた私を半ば置いていくほどの勢いで、リゼたちが足早に出掛けていったわけね。
「何にしても長湯は良くないわ。この浴場も名残惜しいけれど、また……ね」
――リゼたちが戻ってくる前に、着替えまで済ませておきたかったのに。
屋敷内には女性の使用人しかいないというものの、湯上りに着る絹地の外衣だけで通路を闊歩するのはあまりにはしたないのだわ。ここは早く自室に戻らないと。
「リゼたちはまだ……帰ってきていないようね。なら好都合……あら?」
私に割り当てられた部屋の扉が僅かに空いている。確かに閉めたはずだと思っていたものの、疲れていて全ての行動が
「ふぅ、どうにもやはり気が弛んでいて――」
開いていた扉の隙間から、リゼの後ろ姿がちらりと見えた。
どうやら彼女は私の
――あら……? リゼ、何かを手にして……え?
リゼがその手にしながら、ものも言わずに見入っていたものは、私の、下着。
それは、お風呂から上がった後の着替えとして、私が予め寝台の上に置いておいたものに違いない。
私の下着を手にしたリゼは、しばらく指先でその感触を確かめるような素振りを見せていたかと思うと、やがてそれを自分の顔に目一杯のところまで近づけ、そしてその顔を、其処に埋めた。
「――っ!」
その瞬間。
身体が、その奥が、自ら異様な脈動を全身に伝えながら、その全てが突如として猛炎に包みこまれたかのように、燃え滾るような熱を以て私を内側から支配した。
視界の色は失われ、目に映るリゼの姿は次第に遠く、ぼやけたものになっていく。
しかしまたそれと同時に、得も言われぬ高揚感と思しき感覚が、蕩けるように柔らかくも、激しく突き上げるかの如く、身体の奥底から一気に込み上げて来て――
「あれメル、そんな所で何を?」
「いっ! レ、レイ……ラ! そ、その……」
「メル、顔が真っ赤ですよ? そんなのぼせるほど長く入っていたんです?」
突然背後からレイラに声を掛けられて、頭の中が真っ白になった。
でも耳の穴から火が出そうなぐらい顔が火照っているのは、私にも分かる。
「い、良いお風呂……そう、とても良いお風呂だったのよ! だからあなたも、は、早く入っていらっしゃいな」
「ありがとうございます。そういえばさっき干してた洗濯物を取り込んだところで、リゼがメルの部屋に乾いた衣類を運んでおくって言ってましたよ」
「そ……そう。知らせてくれてありがとうレイラ。じゃあ私は着替えて、くるわね」
「はい。ではまた後で!」
――心臓が、口から飛び出るかと思った。本当にそう、感じた。
そして今のやり取りは、リゼにも間違いなく漏れ聞こえていたはず。
リゼに私の動揺が伝わってしまわないよう、努めて平然を装わないと。
「……ふぅ。あら、リゼ。ここに居たのね」
「……っ、メル。その……ひょっとして今の、ご覧になって――」
「えっと……何のことかしら? それよりあなた、後ろに何か持っているの?」
「あっ! ぅえっと、あのこれは……その」
「ちょっと見せてご覧なさい」
「…………はい」
リゼはさっきの私と同様、背後から急に飛び込んできた声を受けて、完全に気が動転していたのか、すぐ元の場所に戻せばいいはずだった私の下着を、咄嗟に自分の後ろ手に隠してしまったようだった。
「それ……着けてみたかったんでしょう?」
「……え?」
「ほら……その、リゼが可愛いもの好きなの、知っているから。そういうフリルやレースで彩られた下着、一度は着けてみたかったんじゃないかなって思って」
「えっと、それは……」
「だから、それはあなたにあげるわ。希少な金色の絹糸に錬金術で一手間を加えた布が使われているから、手触りも最高だし、まるで着けていないような感覚すら覚えるはずよ」
「でも、その!」
「いいから。あなたに使ってもらうのなら、私は全然構わないわ。まぁ少しばかり、布地が足りない部分があるかもしれないけれど、ね」
「メル……ありがとう、ございます」
――リゼにとって、さっきああしていた理由の少しは、本当にそうであるはず。
でもあとの残りは、まだ私にも受け留める勇気が少し足りないかもしれない。
けれどあなたからの想いなら、私はどんなものだって受け容れてみせたい。
だからリゼ、今はもう少しだけ、心の波を整える時間を私に頂戴。
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