幕間 第9幕 血よりも濃い繋がり
「どうして……こんなことに……」
私が五つの時からメルセデス様にお仕えして、はや四年。
初めてお目にかかった時からずっと、一介の侍女に過ぎない私を実の妹であるように扱ってきて下さったメルセデス様には、本当に感謝の言葉もない。
しかしそんなメルセデス様が、突如として重い病に臥されてしまった。
原因として推定されるのは、先日、母君であられるアルベルティーナ様らと視察に訪れた先で、メルセデス様がお飲みになられた現地の水。そこに不運にも濃い
その病状は、先に私の妹――フローラの命を奪ったそれと、あまりに酷似している。激しい下痢と嘔吐が主な症状ながら、他の病と決定的に違う点として、熱を出すどころか逆にその体温が下がっていくという奇妙な症候がある。
私が妹のもとに呼ばれて、その最期を看取った際には、身体は既に氷のように冷たく、顔は酷く痩せこけ、その手にはおばあちゃんのように皺が寄っていた。
メルセデス様も、もしこのまま病態が快方に向かわなければ、間違いなくフローラと同じ道を辿ることになってしまう。
あの時は成す術が無かったけれど、今ここにいらっしゃる母君様だけは、この病に対し何か有効な手立てをご存知である様子だった。
「畏れながらアルベルティーナ様、この病には何か良いお薬があるのでございましょうか?」
「この病は漏水病と言われるものにとても良く似ているわ。現状、体液に近い補水液を調合して飲ませるほかないけれど、ソフォラ・ロビニアという薬草の根さえあれば、これを引き起こしている悪気そのものの力を弱めることが出来るはず」
「そ、それは、一体どちらに!」
「希少な薬草だけれど、ストラングヴァストの方ならあるいは……ちょうどこんな感じの見た目なの。統計的には山頂部の環境を好んで生えているようだけれど。それとその根だけを早々に刈り取ると、すぐに劣化してしまう厄介な特性もあるのよ」
アルベルティーナ様がお持ちになられている手帳に描かれた、植物の絵。
葉は丸く、白い
しかし私はこの薬草、おぼろげながら過去に一度だけ見たような記憶がある。
「アルベルティーナ様、どうか私めに早馬を出しては頂けませんでしょうか」
「あなた、まさか――」
「ストラングヴァストは……私の故郷です。記憶が定かではありませんが、前にこれと同じ植物を見たような憶えがあるのです」
「しかし、今は雨期よ。あの辺りは元々地盤が脆いと聞いて……はっ」
「……はい。それもよく、存じております」
――かつて私が両親を失ったのも、雨期の時分に近くで起きた山崩れが私の村の大半を呑み込んだのが原因で。恐れが無いと言えば嘘になる。しかし今は――
「なら、僕が馬を出そう」
「エルヴィン様……?」
「僕だって君と気持ちは同じだ。危険を恐れていては得られるものも得られはしない。やってみる価値はきっとあるよ。さぁ、行こう!」
「……はい!」
***
「土壌はかなり脆くなっているみたいだ。リゼ、大丈夫かい?」
「問題、ありません……身体はまだ小さくても、鍛えて、いますから」
「それは頼もしいな。頂上までもう一息だ、あと少し頑張っていこう」
山の斜面はそれほど急ではないものの、長雨が染み込んでいるせいか、ぬかるんだ足場の土を強く踏み込んでいく度に、その脆さが確かに伝わってくる。
――しかし、メルセデス様を救うためなら、こんなものは何でも無い。
私は必ずやあの薬草を見つけ出して、メルセデス様のもとに帰るんだ。
「ふぅ。何とか、山頂には辿り着けたね。ただ問題は……」
「大丈夫です、エルヴィン様。きっとこの何処かに、あの薬草はあります!」
「そうだね。僕たち二人で絶対に探し出して見せるさ」
この山を選んだのに深い理由はない、ただ、其処にあるような気がしたから。
だけど結果的にそうして正解だった。だって今この視線の先にあるものは――
「この白い花と……葉っぱの形、それに棘もある。間違いない、これが探していた薬草だわ! エルヴィン様!」
「リゼ、見つけたのかい! 今そっちへ行くよ!」
「いっ、痛い……ううん、私がもしメルセデス様を失ったら、その痛みは、こんなものじゃ、決してない!」
少し太い茎から一定間隔で二方向に分かれて伸びる棘は、手袋を容易に貫くほどまでに鋭く、その根を引き抜くには多少の痛みと血とが必要だった。しかしこの根さえ無事に持ち帰れば、メルセデス様のお命をきっと救える。
「これがそうか……他にも生えているみたいだね。出来るだけ多く採って帰ろう!」
「あともう一株……これで、メルセデス様の病も……ん、あっ!」
――身体が浮いたような感覚。いえ、ようなではなく、実際に浮いて……いる?
まさか、脆くなっていた足場の土壌が崩れて……そん、な!
「ぐっ!」
「……エ、エルヴィン様!」
「この手は離さないよ……絶対に、ね!」
寸での所で異変を察知したエルヴィン様によって、事なきを得られた。
ほんの一秒違っていれば、私はこの斜面から転げ落ちていたに違いない。
「ありがとう……ございます、エルヴィン様。もし、この手を掴んで貰えていなかったら――」
「いや、君こそ……よく最後までしっかり掴んでいたね」
「え?」
「その手にした薬草を、さ」
無意識ながら、私は崩落に巻き込まれてもなお、手にしていた薬草の束を掴んで離さずにいたみたいで。けれどきっとそれは手から離してしまえば、メルセデス様との繋がりが無くなってしまうように、私が心のどこかで思っていたからかもしれない。
友人や姉妹、あるいはそれ以上にも感じられる、血よりも濃い、大切な絆を。
「よし、これだけあればきっともう十分だ。それじゃあ帰ろうか、リゼ。メルセデスのところに、一刻も早くこれを届けてあげなくてはね!」
「承知しました!」
その後、薬草を携えながら大急ぎで屋敷へと舞い戻り、それを受け取った母君様は間もなく特効薬を調合され、メルセデス様にその薬を投与された。するとそれは見事に奏功し、メルセデス様の病態は峠を越え、徐々に快方へと向かわれた。
私は、今度こそ失わずに済んだ。血を越えたもう一人の
そしてまたこれからもずっと守っていきたい。私たち二人の、その繋がりを。
――もし、メルセデス様も同じ気持ちなら……。
私はどれだけ、幸せになれるのだろう。
いや、もう十分に幸せだと思った。
だって――
「ありがとう、リゼ。あなたのおかげで私は、今でもこうして生きていられる……。あなたが私の傍に居てくれて、本当に、良かった……」
メルセデス様が、また呼んで下さったのだから。
その美しい声で、この……私の名前を。
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