第94話 悪魔の所業


「ん、あなたたち……ひょっとしてあの男が誰か知っているのですか?」

「以前、私があなたから取り調べを受けた際、ザールシュテットでの話をしたことを覚えているかしら? あいつこそが当時其処で起きていた事件の元凶よ」

「……なるほど、ではあの男が町の領主を騙りながら妖魔と共謀して、町中の少女を何らかの目的で攫っていたという……」

「ええ。あれがその……クリストハルトよ」


 それはもはや、その名前を口にするのも憚られるほどの咎人とがびと。その姿を目にすることは二度と無いと思っていたものの、まさかこんな場所であの男と再び遭遇することになるとは夢にも思わなかった。


 しかしエセルは本当に、あの男が彼女自身も含めたエフェスたち全員の生みの親だとでも言うつもりなのか、私からすれば甚だ疑問でしかなかった。


「ちょっと見てくださいメル、あの縦長の硝子容器の中に……人のようなものが浮かんでいるように見えませんか?」

「えっ、人ですって……? ええ……どうやら、そのようだわ」


 リゼが言う通り、階下に広がる空間の一帯に敷き詰められるようにして設置されている硝子製と思しき透明な容器の中は、薄い緑色をした何らかの液体で満たされていて、さらにその液体の中には明らかに人の形をした、それもちょうどエフェスたちぐらいの年頃の体つきをした少女が浮かんでいるように見える。


 ただ、それが生きているのか死んでいるのかまでは、ここからでは判別が出来そうに無かった。


「あれは一体……ひょっとして人体の標本か何かなんでしょうか……?」

「さて、どうかしらね……標本なら以前あの男の地下室にも似たようなものがあったけれど、きっとろくなものではないでしょうよ」

「ん……また何か話し始めたみたいです。メルにリゼ、一旦聴覚に意識を集中させましょう」


 エセルの前にはクリストハルトを始めとして計三人の男性が居るようで、その人体標本と思しきものを収めた容器の前に皆で揃って立ち並び、彼女と何らかの言葉を交わし合っている様子だった。そして魔素で強化した聴力を以てその声に再び耳を傾けると、間もなくその会話内容がはっきりと聞き取れるようになった。


「でもさ……本当にこの数を全部思い通りに制御できるっていうの? こんなボクの成り損ないみたいな子たちを?」

「確かに、このミスパルはまだ試作品の段階で一個体の戦闘能力ではお前には遠く及ばないだろう。ただしこいつらは人としての感情を微塵も有していない完全な兵器で、体内に埋め込んだ制御核によってこちらの意のままに操ることが出来る」

「それにこれまでは生きている人間の子宮を流用した培養装置から生体を作り出す必要があった上に、まともに機能するものは数が限られていて機器の耐用限度も短命だったが、技術解析が進んだ今となってはもうその心配も不要となった」

「お前は来るべき時のために、早く原型を始末して来るんだ。何のためにその左腕を治してやったと思っている。いいか……あれの存在が表沙汰になって、それを詳しく調べようとする輩が出てくれば非常に厄介なことになりかねんのだ。そしてお前があれの始末に成功しない限り、次のアンブロシアは渡せんよ」


 彼らの会話内容には理解出来ない部分が多々あったものの、きっと彼らが魔術や錬金術の分野においても永く禁忌とされてきた、生命に纏わる秘法に触れていることは明らかだった。


 特に『生きている人間の子宮』という言葉からは、どうしてクリストハルトが若い女性ばかりを狙って妖魔に攫わせていたのかという謎について、一つの答えを与えてくれているようだった。そしてまたそれが暗に指し示すものは、何処かに連れ去られた彼女たちはきっと既にこの世には居ないという残酷な事実。


 それに、あの容器の中に浮かぶミスパルと呼ばれた少女たちは、おそらくかつて遭遇した合成獣とは方向性こそ違えど、それとほぼ似たような古代の生体兵器にあたる存在なのかもしれない。


 ただ、彼らがそんなものを量産して一体これから何をしようとしているのかについては私にも皆目見当が付かなかった。どうにも、彼らが単純な武力による世界征服を企んでいるような気配は感じられない。


 それから彼らの内の一人がエセルに始末を命じた原型というのは、おそらく彼女が執拗にその命を狙っていたエフェスのことだと感じた。その褒賞として提示されたアンブロシアというものが何なのかまでは判らないものの、エセルにとっては彼女を殺してでも手に入れなければならなかったほど、重要な存在である様子だった。


「真意こそは汲み取れませんが、彼らがこれから何かとんでもないことをしようとしていることだけは火を見るよりも明らかですね……ここは一刻も早くあの男たちを捕縛して、この中も詳しく調査をしなくては」

「そうね……ではアンリ、他の皆も。彼らの話に耳を傾けながら、その背後へとゆっくり移動しましょう。念のためにエフェスは私とリゼの間に」

「う、うん……分かった」

「お任せを」


 四人で揃って極力音を立てないようにして階段を降りた後、周囲に並んでいる例の容器を隠れ蓑にしながら、彼らの背後に位置取るために姿勢を低くしてひっそりと移動した。しかし当然ながらその間にも、彼らが行っているやり取りはこちらの耳に次々と入り込んでくる。


「……時に失敗作共が担っていた用済み連中の排除だが、あれはもう放置しておけばいい。自力で人間の姿に戻れる奴らを始末し終えた以上、妖魔の姿をした奴らが何とのたまおうとそれを信じる人間など何処にもいないし、諸王や諸侯の討伐命令によって駆逐されるのが関の山だ。もはやこちらから干渉するまでも無い」

「それに、こちらは関連施設や各地を繋ぐ地下隧道を大方破壊した後だ。ザールシュテットの近くにあった施設だけはクリストハルトの馬鹿がしくじったおかげでそのままだが、あそこから何かが露見するようなことはあるまい」

「全く……それを言われるとかなわないな。何しろ厄介な小娘たちが居たものでね。だが其処にも屋敷の中にも、ここに繋がるようなものは何一つ残してはいない。地下実験室にも屍と標本の山があるだけで、普通の人間には何だか判らんさ」


 休み無く繋がっていく点と点とが一つの長い線となり、彼らの赦されざる罪がありありと描かれてゆく。もし彼らの肉声を克明に記録出来る法具があったなら……今すぐそれを白日の下に晒して、然るべき裁きを受けさせたい。彼らはきっと人間の皮を被った、妖魔よりも遥かに恐ろしく最も忌むべきもの――悪魔に違いない。


「それと……前から気になってたんだけど、おじさんたちはこんなものをたくさん作って一体どうするつもりなのさ? 単純に世界を武力で征服するってわけでもなさそうだし、そもそもボクたちを作った技術はどこから手にいれたの?」

「ん……? 今日は随分とおしゃべりだなエセル。だがそれはお前が知るべきことではない。お前はただ言われた通り、原型をさっさと始末してくればいいのだよ。まぁ今日はこの後、試作型の評価試験相手になってもらうがね」

「エセル、焦らずとも来たるべき時が来ればお前にも我々の考えが自ずと理解出来るようになるだろう。それまではただ、時を待てばいい。お前の存在意義はその時にこそ一際強い光を放つだろうさ」

「しかし原型が誕生したこの日に、あれと同じ血が流れた姉妹たちが一斉に産声をあげることになるとは、何ともおめでたいことじゃないか。あとでどうか存分に祝ってやるといいさ、エセル」

「おめでたい、か……ふ、ふふふっ。確かに、そうかもね」


 そうしてその心中が全く見通せない表情を浮かべたまま、何処か自嘲的な印象を受ける笑いを零したエセルの姿がちょうど私たちの正面に見えたその時、つい先ほどまで彼女が纏っていたはずの穏やかな雰囲気のようなものが、このほんの短い間にすっかり一変してしまったように感じられた。


 そしてその気配は、以前彼女が私たちの前に立ち塞がった際に、私がこの肌に感じたものと非常によく似ていた。


「何をそんなに笑っている? まさかお前でもめでたく感じるものなのか?」

「ふ……まぁね。だって今日は、おじさんたちの命日にもなるんだから」

「何、だと……? ぐふぉっ!」


 その瞬間、エセルの右手人差し指から眩い紫色の閃光が煌いて、クリストハルトの左隣に立っていた男性の左胸――心臓の辺りを容赦なく貫き、間もなく撃たれた彼はその場に仰向けになって倒れたままぴくりとも動かなくなった。


「き……貴様! これは一体何の真似だ!」

「ボクからのお祝いだよ。うぅんと、こういうの何て言うんだっけ……あ、そうだ。祝砲ってやつだ。ふふ……お誕生日おめでとう、エフェス」


 エセルはそう言いながら、視線だけはクリストハルトたちの方に向けたまま、エフェスが居るこちら側に向けて、右手だけを軽く掲げて見せた。私にはそれがエセルがエフェスに対して初めて見せる、殺意とは全く別の豊かな感情、即ち彼女が持つ想いのかたちそのものであるように感じられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る