第95話 震える心を修羅にして


「ふざけるな……エセル! お前、こんなことをしてまさかただで済むとでも思っているのか? 我々が提供しているアンブロシアが無ければ、お前もそう遠くないうちに死ぬことになるのだぞ……?」

「今のボクはね、何て言うのかな……おじさんたちの言う通りにしてまで生き延びたいなって、思わなくなっちゃったんだよね。前にボクがエフェスを殺そうとした時にさ、ある二人組に邪魔をされたことがあったんだけど……」


 エセルが突然見せたそのあまりの行動に、酷く吃驚した私たちが揃って言葉を失ったのも束の間、彼女は以前エフェスを巡って私たちと死闘を繰り広げた際のことを、クリストハルトたちに恬然てんぜんと語り始めたようだった。


「その二人はね、自分たちに全然関係の無いエフェスを、まだ出会って間もないはずなのに自らの命も顧みずにただ守り抜こうとしてた。ボク、その行動が全く理解出来なくって。しかも戦う中でその二人はお互いにお互いを守り合おうともしてたの。それを見てたら何だか急に……悔しいっていうのかな? そういう感情が湧いてきてさ。ボクなんて命令に従わなければそのまま死ぬだけの存在で、誰もそんな風に大事にはしてくれないもの。だから誰かを守ろうとしたり、誰かに守られたりするって気持ちがどうしても解らなくて、頭が変になりそうだったよ」

「何が言いたい……?」

「それでね、これからはボクも限られた時間を好きに生きてみようって思ったの。そうしたらもっと何かが掴めるような気がしてさ。まぁつまり簡単に言うと、おじさんたちとはここでお別れってこと。それから最後に、好きなように使われたボクたちの気持ちを、おじさんたちにも教えてあげようと思って……ね」

「お前は一体、さっきから何を言っ――」


 エセルは眉の一つすらも動かさず、至極淡々とした調子でクリストハルトの右手側に立っていた男性の眉間みけんを紫電の如き光で貫き、瞬時に絶命させた。


「これでボクとエフェスの分は終わりかな? あ、でもおじさんに言われるがままに殺した九人の子たちの分もまだ残ってたよ。だから九発分……? うぅんと、最後の一発で殺すとして、最初はどこから撃ち抜こうかな」

「ま、待て……エセル。そうだ、お前にありったけのアンブロシアをやろう。それがあれば百年は追加の補給なしで生きられるはずだ。悪い話では、無いだろう?」

「……おじさんさぁ、ボクの話ちゃんと聞いてた? ボクはね、無駄に生き延びることに興味が無くなったって言ってるの。あと他に何か言いたいことはある?」

「あぁ……あるさ」

「ん、あるんだ? それは何?」

「……対象を殲滅」


 次の瞬間、クリストハルトの右手中指に嵌められていた指輪が赤く発光し始め、辺りに林立していた硝子容器が一気に砕け散り、エセルと瓜二つの姿をした少女たちが其処から現れ、その両手から紅い光を矢庭に発するや否や、エセルが居る一点に目掛けてその光を一切の躊躇なく斉射した。


「な……!」


 そしてエセルが立っていた場所は瞬く間に紅い光の渦と轟音とに呑み込まれ、やがて白煙の切れ間から覗いたものは彼女が纏っていた黒い外套の切れ端、ただそれのみで、辺りには他に何一つ認めることは出来なかった。


「は……はは、はっはっは……! 優秀じゃないかお前たちは……そうだ、感情という要らぬ不具合を抱えた失敗作であるお前が、生みの親であるこの私をどうこう出来るはずがあるまい。来たるべき死期が少々前倒しになっただけのことだ」

「エセル……!」

「ん……? なっ……! お、お前たちは……!」


 思わずエセルの名を叫んだエフェスの声によって、私たちの存在にようやく気が付いたクリストハルトは明らかに狼狽した様子を見せ、次に継ぐべき二の句を完全に失っているようだった。


「……久しぶりね、クリストハルト。まさかこんなところで会うとは夢にも思わなかったけれど、ここまでの所業は全て聞かせてもらったわ。エセルが最期までエセルとしてあったように、あなたにも人としての責務と償いを果たしてもらうわよ」

「あなたに作られたエフェスは言うまでも無く、あのエセルでさえ心や感情らしきものをちゃんと持っていた。けど、あなたには……人の心なんてかけらほども無い。あなたは人の皮だけを被った悪魔にして獣……そして、鬼、そのものです」

「……禁じられた秘法を用いて生命を弄んだ罪は、あなたの命一つで到底あがないきれるものではありませんが、あなたにはこれまでの経緯を説明する義務がまだ残っています。これからあなたを捕縛し、どんな手段を用いてでもこれまでのことを洗いざらい話していただきますから、そのつもりで」

「自分で勝手に作って、都合が悪くなったらまた勝手に壊して……私は、私は……! あなたを、あなただけは絶対に、許さない……から!」


 クリストハルトは一頻り度を失った後、ふと我に返ったのか、急に落ち着きを取り戻した様子で、私たちに不敵な笑みを浮かべながら言葉を返した。


「ふ……お前たちには到底理解など出来まい。この私がこれから成し遂げようとしている崇高なる目的をな。やがてこの世界中の人間は、私に深い感謝の意を示さなければならなくなるというのに。無知というものは本当に罪だよ」

「理解なんて、出来るわけがないでしょう……! リゼ、エフェス、アンリ、出来ればあいつだけは殺さずに、生かしたままで捕えるわよ」

「果たしてこれだけの数を一度に相手にして、お前たちにそんな余裕があるのかな? この施設を見られた以上、一人たりとも生かしては返さんよ……ただエフェス、お前だけはエセルのあとを継いでこちら側に付くと言うのなら、その命を拾ってやらんこともないが……どうだ?」

「馬鹿にしないで……私にはもう、帰るところがあるんだから! ……あなたの分まで、必ず生きてみせるよ……エセル」

「あくまでそちらに付くと言うのか……まぁ、それもいいだろう。最後の機会を棒に振った自分の愚かしさを、あの世で存分に悔いるがいいさ」


 辺りの一帯を埋め尽くすようにふわりと宙空に浮かぶ、ミスパルと呼ばれたものたちは、その体内から凄まじい魔素を発しながら恰もクリストハルトの意思に呼応しているかのように、一糸乱れぬ集団行動を見せている様子だった。

 それから間もなく彼がその口を開き、

「……皆殺しだ」

 と短く発した次の瞬間、紅い光に全身を包んだ彼女たちが、一斉に私たちに向かって襲い掛かってきた。


「ふっ……! 空刃衝裂破ルフト・シェーレ弐式ツヴァイター!」


 相手側の初撃を躱すと同時に、魔素を含んだ剣圧による衝撃波を打ち出した後、間髪を入れず初撃よりも高速の追撃波を射出し、双方を衝突させることで、広範囲に渡って飛散する真空の刃を相手側に浴びせる。散開した衝撃波の一つ一つは致命的でこそはないものの、三か月間に渡るシャルたちとの修練を経て、その威力と命中精度は以前の比ではなくなっている。それ故に当たりさえすれば複数の相手に対しても大きな損害を一度に与えられるはず。


 あとは、あちら側の隊列が乱れた一瞬の隙を突いて、こちらの行く手を阻む者たちだけを素早く斬り伏せた後、そのままクリストハルトの手にある指輪の形をした制御装置らしきものをその指を切断してでも瞬時に破壊すれば、きっと彼女たちを操作する能力も失われ、無意味な戦いを避けることが出来るに違いない。


「よし! 当たっ……な、何……?」


 私が放った真空の刃は確かに相手側に命中し、防具を一切付けていないその生身の身体を深く斬り裂いていた。しかし、驚くべきことにその傷はみるみるうちに再生していき、ものの数秒で傷跡の一つすらも残さずに復元されてしまった。


「そいつらには失敗作には無い、非常に高い自己治癒能力も備わっていてな。完全に致命的な損害を与えない限り、何度でもお前たちに立ち向かってくるだろう。……さぁ、行けお前たち! 邪魔者共を残らず殺し尽くせ!」

「くっ、実に厄介な相手ね……いいことみんな、手加減は無しよ! こちらに向かって来る相手を全力で打ち破って!」

「承知しました!」

「分かった!」

「了解!」


 相手も本気でこちらを殺しにかかってきているこの状況にあっては、慈悲の心などを見せている余裕は微塵も無い。


 もちろんエフェスと全く同じ見目かたちをした相手を手に掛けることになる以上、全く躊躇が無いといえば嘘になるものの、この今だけはたとえ心の内を修羅に変えてでも、私に襲い掛かってくる火の粉を全て打ち払い、あの男――クリストハルトを捕えなくてはならない。


 もう二度と、決して、絶対に、何処にも逃さないように。

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