第93話 開かずの扉が開く時
学院の教職員にクレフ遺跡の位置を訊ねたところ、このフィルモワールから道標が示す通りに従って西の方向に進めば、馬車で一時間ほどの場所にそれはあるとのことだった。
さらにいつから其処に存在しているのか、未だに判別が出来ていないというその古代遺構は、全体が金剛石でも傷一つ付けられない未知の物質で構成されていて、露出している出入口らしき扉も古くから固く閉ざされたままであり、これまでに誰も中にその足を踏み入れたことのない未踏の場所であることが判明した。
なお、昇った月が指定された位置に達するまでにはまだかなりの時間的余裕があったため、私たちはエヴァことアンリが有事の際に訪れるようにと言っていた場所に向かい、ちょうどその場に居合わせた彼女に一連の事情を伝え、それから皆で話し合いをした結果、皆でクレフ遺跡に向かうことに決まった。
その話の途中で、エセルが私たちの店に来訪したという事実だけにとどまらず、さらにその彼女が同遺跡で待っているらしいことまでをも知らされたエフェスは、言うまでも無く自身が遺跡に赴くことに対して相当な難色を示していた。
しかし、エフェス自身の出生に纏わる真実が明らかになる可能性があり、また遺跡に入るためには彼女の存在がどうしても必要不可欠であったため、リゼと私とが危険を承知の上でエフェスに説得を続けた結果、彼女はようやく自分自身を今も苦しめ続けている、過去の悪夢そのものと向き合う決意を固めたようだった。
その一方で、紙に記された内容からその中に入れるのはエフェスを含めた四人と限定されているようだったため、私とリゼに加え、万が一の際にエセルを封じ込める手段を持っているアンリが遺跡の中に入ることに決まった。
レイラも優れた治癒術と弓術とを併せ持ち、ここ三か月の短い間に私たちと共に行った修練によって己の身を守る以上の近接戦闘能力を身に付けたものの、やはりまだ私たちのそれには遠く及ばないため、今回だけはその同行を見送ることになった。
ただしその代わりとして、残されることになるレイラにはアンリの仲間たちと共に遺跡のすぐ近くで待機してもらい、万が一の際の救護処置を予めお願いすることにした。
そしてシャルにも私たちが其処へ向かう旨を記した追加の手紙を伝書鳩を通じて送り、一旦屋敷に皆で戻って可能な限りの準備を済ませた後、時間を見計らってアンリが派遣した馬車に乗り、私たちは一路クレフ遺跡へと向かった。
***
「なるほど。あれが……そうなのね」
目的地に到着した馬車から降りて辺りを見回すと、月明りに照らし出された草花と秋の訪れを想わせる虫の歌声のみが支配する、一見何の変哲もない平原に、一際大きく不自然に隆起した洞窟の開口部と思しき場所が見えた。
果たしてその先には、クレフ遺跡の出入り口とされる通称『開かずの扉』が、その口を固く閉ざしたまま私たちの到着を待っていた。
「ここが扉……? でもこれは一体どうやって開けるというのかしら?」
目の前にあるものは、扉と言うにしては取っ手や鍵穴、そして切れ目の一つすらも全く見られず、まるで分厚い金属製の一枚板であるようで、どのようにして開けるのか皆目見当が付かない代物であるように感じられた。
「エフェス……あなた、この扉を開くことが出来る?」
「んんと、よくは分からないけど、とりあえずやってみるね……」
そう言ったエフェスが扉の前に立ち、そっとその扉に手で触れると、間もなくその表面に見たことも無い魔紋のような紋章が次々と浮かび上がり、扉の中央に縦方向の切れ目が現れたかと思うと同時にそれは左右に分かれるかたちで開かれ、遺跡の奥へと導く通路に私たちを誘った。
「開いたわ……ではリゼ、エフェス、そしてアンリ。行きましょうか」
「はい。周囲にはくれぐれも気を付けながら、慎重に進んで参りましょう」
遺跡内の通路は極めて無機質な造りになっていて、私たちの歩みに合わせて足元を照らす照明もまた移動するという、実に奇妙な仕掛けが施されていた。
また、今のところは一本道が続いているためにまだ使ってはいないものの、もしもの時に備え、私たちの進んできた経路を見失わないように道標となるもの――
そうしてしばらく通路を道なりに進んでいき、やがて私たちがその突き当たりと思しき地点に到達すると、目の前にあった縦長の扉が独りでに開いて、その奥に四人が何とか入れるほどの小部屋が広がっているさまが見て取れた。
「この小さな部屋は何なのかしら……? まずは私が入って――」
「いえ、メル。ここは私が先に入って調べます……ん?」
「どうしたの? リゼ」
「この部屋、特に何もありませんが……一体何のための空間なんでしょう?」
「……ひょっとして四人で入れ、ということなのかしら」
それからリゼに続くかたちで私が入り、さらに間を挟んでアンリが後を追って中に入ってきたものの変化は無かった。しかし最後にエフェスが部屋に足を踏み入れた途端、彼女の背後にあった扉が勝手に締まり、部屋の中が急に明るくなった。
「何……これは? ひょっとして何かの罠……!」
恐る恐る狭い部屋の中を見渡すと、先ほどまでは確かに無かった透明な硝子板のようなものが扉近くにある右手側の壁面に突如として現れ、先にエセルから手渡された紙に記され、エフェスにしか読むことが出来なかったあの奇妙な文字にとても良く似た字体を持つものが其処に表示され始めた。
「エフェス、これは何て書いてあるの?」
「行き先を教えてくださいって……でも一番下って、どうやったら伝わるのかな」
エフェスがそう言うや否や、透明な板が何らかの反応を示し、部屋に僅かな振動が生じた後、ややあってから目の前の扉が再び開かれ、その通路の先に見知った人影があることに私はすぐさま気が付いた。
「……エセル!」
「エフェス……私の後ろに。お姉ちゃんたちが付いているから」
「う、うん……!」
「来たね。……あれ、あのレイラって人の代わりにあなたが来たんだ?」
「妙な真似を少しでも見せたら、即座にそれ相応の行動に移るのでそのつもりで」
「ふふ、信用されてないなぁ……まぁいいけど。じゃ、行こっか」
するとエセルは最も無防備である背中をこちらに見せながら、私たちを先導するかのようにゆっくりと、熱が感じられない無機質な通路を歩き始めた。そしてそれは一応彼女なりに、敵意はないことを表しているかのように私には感じられた。
「……それで、ここは一体何のための遺跡なの?」
「さぁね。けど、きっとそれについて詳しく知っている人たちがこの先に居るよ。今回呼ばれたのはボクだけだったけど、エフェスと……ボクたちに深く関わったメルたちにもそれを知る権利があると思ってね」
「呼ばれた……ですって? 一体誰に?」
「ボクたちの、生みの親だよ」
ボクたちという言葉から、それは間違いなく彼女とほぼ同じ見目かたちをしたエフェスも含めての話なのだと容易に察しがついた。そうしてしばらくエセルの後に付いたまま十数分ほど歩いたところで、彼女の足がようやく止まった。
「ん、ここだね」
短くそう呟いたエセルが扉と思しきものに触れた瞬間、それは遺跡の入り口にあった扉と同様の反応を示し、間もなくその内部を露わにした。
「この感じだと……奴らは下かな。ちょうど良い、まずボクだけが先に入るから、メルたちはちょっと後ろから付いて来てよ。話だけなら聞こえると思うから」
エセルは臆することなく開かれた暗がりの中へと歩みを進めていき、私たちも彼女に続くかたちでその後に付いていった。少し距離は離れていたものの、魔素で強化した聴力を以てすれば、十二分に聞き取ることが出来る範囲だった。
「……やぁ、来たよ。それで、ボクに見せたいものって、一体何さ? もしつまんないものだったら、ボクはすぐに帰るからね」
「遅いじゃないか、エセル。せっかく手助けをしてやったというのに、一体何処で油を売っていたんだ。さぁお前も早く下に降りて来てこいつらを間近で見てみろ」
――今、微かに聞こえた声は……何処かで聞き覚えがあるような……?
どうやらエセルは誰かに呼ばれてすぐ下に降りて行ったようだけれど、さっき彼女が立っていた辺りにまで行けば、上から全てを見渡せるのかしら……。
「さぁ、他の皆も奥に進みましょう……出来るだけ音を立てず、静かにね」
金属で作られた網目状の床をゆっくりと歩きながら、やがて手摺りがある場所にまで進んで先ほど声がした方を見下ろした時、最初にエセルに対して聞き覚えのある声で返事をした者の正体が、私にははっきりと判った。
「あ、あいつ……は……!」
それはかつてザールシュテットにおいて、領主であった実の父親を自身の屋敷の地下深くに長く監禁し、妖魔らと結託して若い女性たちを攫っては彼女たちを何処かへと輸送していただけでなく、その地下で存在しないはずの合成獣を私たちに
クリストハルト・ツー・ザールシュテット、その人だった。
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