第105話 紡ぎ手と癒し手
「……ふぅ、何とか上手く出来たわ。これなら攻防一体の装具になるわね」
今日は急遽、私の店を休業にした上でリゼが使えるような装備の調合を屋敷の敷地内にある練金工房で朝から行っていた。私のリベラディウスの刃をも弾き返した規格外の硬度を持つあの巨大サソリの外殻破片を素材にし、さらに私の魔導とシャルの協力によって導入出来た最新式の設備を用いて特殊な加工を行い、身体の動きを阻害しないほどの柔軟性と、ありとあらゆる金属の斬撃をものともしないほどの強靭な耐久性を併せ持った、腕から手の甲の辺りまでを覆う手甲を創り出した。
また、素材の性質の一部を変化させたことで、魔導抵抗度も極めて低くなり、装着者となるリゼ自身の魔素にもよく馴染んで、彼女の持つ破壊力を減ずることなく、むしろ倍加させることが出来るはず。
「あとはレイラたちの武具も作ってあげなくっちゃ。素材だけは前もって仕入れてもらったものが倉庫にあるから、シャルに頼んでおいて正解だったわね」
リベラディウスの鞘にも使われている
「しかし……これは、最新式の設備を使っても丸一日は掛かる仕事になりそうだわ。とはいえ古式だったら二週間はかかるところだろうけどね。さて次は……」
お母様の家に代々伝わっていた錬金術の秘伝や自然素材の利用方法などを纏めた手帳の類は全部で六冊。その内で今の私が十分に理解出来ている範囲はまだその三分の一ほどに過ぎない。しかしそれでも既存の装備品と比べれば遥かに強大な力を持ったものを新たに創り出すことが出来る。
そして調合作業は触媒の用法用量などに細心の注意を払う一方で、時には無心の中から生み出される自分の感覚や閃きを頼りに行う工程もあるため、頭の中は静と動とが常時目まぐるしく入れ替わる状態となり、そのまま寝食をも忘れて作業に没頭してしまうこともしばしば。そんな時は、人から大きく呼びかけられない限り、私の意識は常にその調合作業の側にあるようだった。
「――すか、メル……!」
「よし。あとはここから三時間ほど寝かせれば――」
「メル! ちょっと!」
「わっ、リゼ……? 急に大きな声でどうしたの?」
「どうしたの? じゃないですよ! しかも急にって、さっきからずっと夕食の時間だとお伝えしていたじゃないですか……もう。作業に没頭されるのは構いませんが、休憩は適度にとっていただかないと、今にくらくらってきちゃいますよ?」
「あら、ごめんなさい……いつもの癖でつい、ね。けど予想以上にいいものが出来上がったわ。明日になったら見せてあげるわね」
「おぉ、そうでしたか……! 私たちのために本当にありがとうございます、メル。さぞやお疲れでしょう。今日、お風呂の時に肩ぐらいは揉ませてくださいね」
「ふふ、ありがとう。ではそのお言葉に甘えさせてもらうわ」
それから食事を終えた後、エフェスが学院で風の陣術の発動にうっかり失敗して、他の生徒の所持品などを片っ端から吹き飛ばしてしまったという話を聞きながら皆で一頻り談笑していると、ついさっきまで傍らで一緒に話を聞いていたはずのリゼの姿が、いつの間にか見えなくなっていることにふと気が付いた。
「ん……? ねぇシャル、そういえばリゼは何処に? お手洗いかしら」
「あぁ、リゼならステラのところに行ったみたいよ。何でも彼女から個人的に教わりたいことがあったみたいでね」
「ステラって……エステールさんのことよね? 教わるって何をかしら……?」
「ん……よくは判らないけれど、ステラも料理はかなり出来る方だからそっち方面かもね? まぁ外に出たわけじゃないでしょうし、すぐに戻って来るわよ」
そうして再びエフェスやレイラたちと取り留めも無い会話を続けている途中で、私はふと練金工房で寝かせたままだった調合品のことを思い出した。
「あ……そろそろ頃合いかしら。ごめんなさい、二人とも。ちょっと調合品の様子を見に工房の方に出てくるわ。少し長くなるかも知れないから、良ければ先にお風呂に入っていて頂戴」
「あっ、はぁい。リゼが戻ったらそう伝えておきますね」
工房に移動した私は、調合品の仕上げ作業に取り掛かるため、再び神経を集中させた。もしこの最後の工程で気を抜いてしまうと、これまでの頑張りに自ら泥塗ってしまう結果に成り兼ねない。故に全ての感覚を研ぎ澄ませ、素材そのものと語り合うぐらいの心持ちで、慎重に慎重を重ねながら作業を進めていく必要がある。
他に人手があれば楽になりそうなものの、魔導による物質変性の微調整は錬金術の知識だけではなく、私のように魔導の扱いに相当習熟した人間でなければ行えないため、この仕上げ作業だけは中々他人には任せられないところ。
しかし実際に使う人のことを想えば、その作業も苦には感じなかった。
「ふむ……こんな、ところかしらね」
これでリゼの力を攻防両面に活かせる手甲に加え、最近魔導の力を磨き始めたレイラの力を最大限に輝かせることが出来る弓、そしてエフェスが描く規格外の魔現資質を余すところなく表現し得る魔杖が無事に仕上がった。あとは明日にでも彼女たちの一人一人に手渡して、実際にその使い心地を確かめてもらうしかない。
「ん……んんっ……さすがに、疲れたわね。いつもの調合に比べれば何倍も神経を遣ったから仕方ないけれど、その分良いものになったはずだわ。あら?」
すると工房にある出入口の一つが開かれて、間もなくリゼの姿が其処に現れた。
「あっ、お疲れさまです、メル。作業の方はもう区切りがついたのですか?」
「ええ、リゼ。ちょうど今終わったところよ。出来上がったものは明日渡すから、どうか引き続き楽しみにしていて頂戴」
「ふふ、そうでしたか。大変な作業だったでしょうに、終始お一人でさせてしまって本当に申し訳ないです。それに、あれからまた作業を続けられていたとなると、相当お疲れになったのではありませんか?」
「そうね……ちょっと根を詰めて作業をしていたから、もう肩だけじゃなくて全身が凝ってしまったぐらいよ。身体のあちこちが今にもぎしぎし鳴り出しそうだもの」
「ですよね? 良かったぁ……」
「ん、良かった?」
「あ……いえいえ、何でも! そのですね、今日はメルがとってもお疲れのご様子なので、もし私でよければ、これから浴場で全身の按摩などをさせてもらおうかと思ったのですが……如何でしょうか?」
「えっ、全身の按摩を? けどあなた一体いつそんな……ん? さっき途中で急に居なくなっていたのって、もしかして……」
その時私は、どうやらさっきリゼの姿が一時見えなかったのは、エステールから按摩の手解きを屋敷の何処かで習っていたからだろうと悟った。それは、先に滞在していたイル=ロワーヌ島でエステールがシャルに施術しているのを見て、自分もやってみたいと零していたことが実際にあったことからも窺える。
「はい、エステールさんから少しばかりその指南を。もちろん完璧にはほど遠いと思いますが、何より大事なのは相手を想う気持ちだと仰っていたので……それなら、私にも自信がありましたから」
「なるほど……それは一理ありそうね。じゃあ……お言葉に甘えようかしら?」
「あっ……はい! それじゃえっと、一応水着を持ってきてもらってもいいですか? さすがに直接全身に触れるのは、まだ色々とあれなので……」
「私は別にそれでも構わないけれど……分かったわ。じゃ、行きましょうか」
それから私は自室に戻って適当な水着を持ち出し、脱衣所で着替えを終えると、そのまま浴場の中へと足を踏み入れた。すると一足先に水着に着替えて私を中で待っていた様子のリゼが、その傍らに設置された白い長椅子に私を導いて、其処にうつ伏せなるようにと私に指示した。
「これでいいのかしら……ではよろしくお願いね、リゼ」
「はい! 少しでもメルの疲れが取れるように、頑張りますから!」
そう言ったリゼから、何か粘性のある液体をこねるような音が聞こえてきた直後、私の首の付け根の辺りに暖かでとろりとした感触が伝わり始めた。
「うわっ、メル……がっちがちじゃないですか」
「しょうがないでしょう? 今日は一日中あの工房で作業をしていたのだから」
「ではよく揉んで、
リゼの手指が伝える圧は強すぎず弱すぎず、とても調和が取れているように感じられ、その凝りを柔らかく
「わっ……!」
「あっ、ごめんなさい。痛かったですか?」
「い、いえ。そういうわけではないのだけれど、そんなところまで揉むのかと思って、ちょっと驚いてしまって」
「ん……でも、今日は結構座って作業する時間も長かったんじゃないですか? 実際このお尻の辺りも、かなり凝り固まっているような感じがしますよ」
「そうかしら……? まぁ、今はリゼに任せるわ」
そうしてしばらく臀部のあたりを揉み解してもらったあと、太ももの裏からふくらはぎの辺りを優しさで包み込むように、暖かな熱を持った手と手が何とも心地よい圧を間断なく伝えてきた。
「ふわぁ……これは……すごく気持ちが良いわね。脚が蕩けてしまいそうだわ」
「ふふ。調合の時は立って作業されていましたものね。そんな感じで長時間立ったり座ったりを繰り返している間に大分疲労が溜まっていたのかもしれません。こちらも念入りに解しておきますね」
こうやってリゼに全身を解してもらっていると、私は思わずこのまま眠ってしまいそうになるほど、安らかな気分になっている自分が居ることに気が付いた。それにリゼもあの短い間によくここまで出来るものだと感心してしまう。
それからややあってリゼは私に、今度は仰向けになるようにと指示してきた。
「じゃあ今度は前側ですね……うんと、この辺りから上に向かって……」
「ん……ふぁ……」
リゼは仰向けになった私の脚に手を宛がい、膝下から足の付け根あたりまでの辺りにその手を何度も往来させ始めた。
その手つきは、本当はきっとまだぎこちないものでありながらも、肌を通して伝わってくるこの蕩けるような感覚は、まるで柔らかな羽根で何度も撫でられているようにとても優しく、また極めて心地が良いものだった。
しかし唯一の難点だったのは、間もなくその感覚が霞んでしまうほどの、凄まじいくすぐたっさが私の下半身に止めどなく押し寄せて来たことだった。
「あっ、ちょっとリゼ、これは駄目かも……いえ駄目だわ、ふっふふふふ!」
「ええっ、くすぐったいんですか? シャルはこれが一番好きだそうで、ものすごく気持ちが良いから、メルにも念入りにと……」
「あっ! だ、駄目……あっはははは! ちょ、リゼ! 止めて止めて!」
「む……そんなにくすぐったかったです? うぅん、やっぱり付け焼刃じゃ駄目なのかな……? あ、何ならもっとゆっくりやりましょうか?」
「き、今日のところはこれでもう十分よ。ありがとう、リゼ。とっても気持ちが良かったわ。また今度、やって頂戴ね」
「ええ、任せてください。次回までにはもっと上手くなっておきますから!」
リゼの厚意は非常にありがたく、私自身もまた近いうちに体験してみたいと思ったものの、シャルはよくこんなにくすぐったい感覚を受けて、よく身動き一つすらもせず、ただ身を任せていられるものだなと感じた。
ひょっとしたらエステールの施術自体があまりに見事だっただけかも知れないものの、それはいずれ上達したリゼが教えてくれるだろうと思った。
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