第106話 忍び寄るもの


「わぁ……ありがとうございます、メル! これってあのサソリの外殻を使ったんですよね? それなのにこんなに柔らかくて動きの邪魔にならないのは不思議……」

「この弓も初めて触るのに、もの凄く手に馴染むような感じがします……! メル、私のためにこんな素敵なものを作ってくださって、本当に嬉しいです!」

「この杖もお姉ちゃんが作ったの⁉ これすごいよ、この石を通して魔現を発動させたら術がいつもの何倍も強力になりそう……! 早速学院で使ってみようっと」

「ふふ……皆、喜んでくれているみたいで何よりだわ。苦労して創った甲斐があったというものね」


 皆で朝食を終えた後、これからそれぞれが始業や登校の時間を迎える少し前に、私は自分が創った武具を皆に手渡した。リゼは元々私が工房に籠って知っていたものの、レイラとエフェスにとっては初耳だったためか、彼女たちはとても驚いた表情を浮かべると共に、喜びに満ちた笑顔を私に見せてくれた。


 次に彼女たちに何かを創って贈るとしたら、それは戦いのための道具ではなく、見ても身に着けても楽しめるような、とても可愛らしい装飾品にしたい。


「あら……皆いいわね。私も何かメルに作って欲しかったわ……」

「ごめんなさいね、シャル……忘れていたわけではないのだけれど、今回はこれが精一杯で。次の機会にはあなたのためにも必ず何か創るから、どうか待っていて頂戴」

「まぁ私にはこの愛剣、エペ・イリゼがあるからいいけれど……その次の機会とやらを心待ちにしているわ」

「ふふっ。では今日のところは、私から後で何か甘いものを御馳走しますよ」

「ん、気が利くわねステラ。そちらもよろしくお願いするわ」


 そうしていつも通りの和やかなやり取りを終えてから、私たちが屋敷をあとにしとうとしたその時、アンリがおそらく私を訪ねに、ちょうど門のところまで来ていたことに気が付いた。


「あら、アンリじゃない。おはよう。こんな時間に会うだなんて初めてよね?」

「おはようございます、メル。それからみなさんも。実は新たに判ったことがありましたので、一早くあなたにお伝えしようと……」

「分かったわ。では立ち話もなんだから馬車の中で聞きましょうか」


 それから私たちは、皆を毎朝それぞれの目的地まで送り届けている馬車の中で、アンリが新たに得たという情報に耳を傾けることにした。


「メルの話だと、当時お父上様の討伐隊は結局一度も例の妖魔と接触したことはないと仰っていましたが、それはどうやら事実とは異なるようです」

「事実と異なるって……どういうことかしら?」

「これは当時、こちら側の諜報部員が現地で得たという情報なのですが、その記録によると……どうやらお父上様が直接指揮していた部隊が、それらしきものと接触していたようなのです」

「何ですって……? 父が直接指揮を行った部隊って……黒き獅子隊シュヴァルツルーヴェン?」


 私が当時聞いた限りでは、父が指揮する討伐部隊の総数はかなりの数に上り、方々で異常発生し始めた妖獣の類を片っ端から討滅していったと聞いていたものの、私が目撃したあの妖魔と特徴が一致するような存在との遭遇報告は、どの部隊からも得られなかったという話だった。もちろん、父が直接指揮する直属部隊も含めて。


 それ故に、もし父が直接その妖魔と遭遇したのであれば、生きて戻ってきた彼からそのことに関して何も報告がなかったというのは、とても理解に苦しむ話になる。


「そんなわけ……ないわ。だって父は生きて戻ってきたのよ? 現地で遭遇して全滅したというのならまだしも、そのような報告は一切受けていないわ。ただ、妖獣からの奇襲を受けて、討伐隊にも何人かの死者が出たのは確かみたいだけれど」

「私にも事実こそは判りませんが、特に優秀であったとされる諜報部員が現地から持ち帰った記録ですので、信憑性は高いかと……」


 父が例の妖魔と遭遇したのが仮に事実だとすると、討伐作戦から戻った父が無傷であった事実からして、恐らく接触後間もなく相手に逃げられてしまった可能性が高い。


 ただ最大の疑問として残るのは、何故父はその件をこれまで何処にも報告しなかったのかということ。接触した場所が判っていたのならば、すぐその周辺を重点的に捜索すれば何らかの足跡ぐらいは発見出来たかもしれないのだから。


「ふむ……何とも腑に落ちない話だわ」

「こちらでも引き続き調べてみますが、もし何か新たに思い出したことがあったら、些細なことでも構いませんので、またこちらにお知らせください」


 それから私たちの店の前でレイラと共に馬車から降りた私たちは、アンリやリゼたちと別れて、程なくそれぞれの店を開ける準備を始めた。しかし私はアンリから聞いた話がどうにも気になって、そのことがずっと頭の中を駆け回っていた。


「あの時……取り立てて言うほどのことって、他に何かあったかしら……?」


 自分が持つ当時の記憶はあの妖魔の姿以外は極めて鮮明なままで。必ず多少の痛みこそは伴うものの、その光景を脳裏に描き出すことは私にとって容易だった。とはいえ、改めてその記憶を掘り返して見ても、やはりアンリに話したこと以外の新情報は得られそうに無かった。


「やっぱり何もないわよね……妙なところなんて……ん、妙なところ?」


 その時私は、当時の自分からしても常とは違う何か違和感のようなものを感じた瞬間があったことを思い出した。しかしそれを思い出してすぐ、あの時が異常時だったことを鑑みて、それほどおかしいことではないと考え、また胸の奥にしまった。

 そしてそうこうしているうちに、お客様の来店を知らせる鈴の音が耳に届き、私はまたいつも通りの私として振る舞うことにした。


「いらっしゃいませ」

「こんにちは、このお店に聖肌水スミュルナというものがあると聞いたのですが……」

「はい。ご用命の商品は確かにこちらで取り扱っております。ただいまご案内いたしますね……では、どうぞこちらへ」


 その後も特に滞りなく接客を行い、常と変わりがないまま一日の業務を終えようとしていたまさにその時、あの来店を告げる鈴が激しい音を鳴らして、入り口の戸が勢いよく開かれた。


「いらっしゃ……あら、アンリじゃないの。 そんなに慌ててどうしたの……? ひょっとして何か新しいことが判ったのかしら」

「大変です、メル……今しがた得られた未確認情報なのですが、どうやらメルの故国ロイゲンベルクで大規模な暴動が発生したとの報告があり、そのまま内戦に発展しようとしている模様です……!」

「な、内戦……ですって⁉ どういうこと……ロイゲンベルクの中でその引き金となりそうな対立勢力は存在しなかったはずよ……?」

「まだ情報が錯綜していて詳細を確認中なのですが……何でも都市の中から突如として妖魔の大群が現れたようで、さらにその妖魔たちの行動を一部の人間が操っているらしいとの報告が入っています……ひょっとしたら妖魔と結託した一部の国民たちが、何かをきっかけに一斉蜂起したのかもしれません」

「妖魔と結託……? まるで以前のクリストハルトのような……でも彼が遺したリコリアには確か……」


 ――エフェスの力を通じて見たリコリアの中で、クリストハルトは確かに人間を件の落胤とやらに捧げる供物として妖魔化させるつもりだと語っていた。

 そう考えると、もし彼が以前結託していた妖魔たちの中に元人間が混じっていて、さらにそういった妖魔たちが用済みになった際、その後始末をエフェスたちに担わせてたとしたら、これまでの疑問にも全て説明がつくわ……。


 かつてレイラが監禁されていた、ザールシュテット近郊の極秘施設に私を騙して連れてきた妖魔は、最初から純粋な妖魔とは何かが違う妙な気配を纏っていた。そして私があの妖魔を斬り伏せた後、その屍が程なく人間の身体に変化していったことを私はこれまでずっと疑問に感じると共に、静かな恐怖もまた感じていた。


 確かに妖魔だったとはいえ、元は人間だった相手を斬ってしまったのではと。


「あれはやはり、人間だったの……? だとしたら、私は……いえ、仮にそうだったとしても、もう事実は変えられない。それに今は刻々と変化する現実に対して、対処をしていかないと……」

「大丈夫ですか、メル? 顔色が……」

「……私なら、大丈夫よ。それで、今ロイゲンベルクで起きていることだけれど、他の国や都市で同じようなことが起きていないかどうか、確かめられるかしら?」

「ええ。この国の諜報組織は伊達に長い歴史を持っているわけではありませんから、こうしている間にも新たな情報が入ってきているかもしれません。それをこちらでつぶさに確認してみましょう」

「よろしくお願いするわ……私はまたみんなに伝えておくから。少し前のことを考えると、ちょっと気が重いけれどね……」

「解りました。それでは今はこれで……緊急の際にはすぐにお知らせします」


 そしてレイラと共に屋敷に戻った私は、皆が帰ってきたのを確認してからアンリを通して伝え聞いたロイゲンベルクでの異変を包み隠さずに全て話した。ようやく皆がクリストハルトが遺したあのリコリアによって齎された底知れぬ恐怖と戦う心構えを持てたばかりだというのに、そこでさらなる不安を煽るかたちになってしまったことは何とも心苦しかった。


「しかし……どうして、ロイゲンベルクの中から妖魔が……?」

「確かなことはまだ分からないわ、リゼ。だけど、あのリコリアが示していたように何らかの手段を使って、普通の人間を妖魔に変えた可能性が非常に高い。そしてさらに何者かがその妖魔の大群を操っているようで……」

「人を妖魔に変えることが、誰かの手によって既に行われていたとしたら……しかもそれを操るなんてことまでもが本当に出来るのなら、大変なことに……」

「私、怖いよ……だって、みんな妖魔に変えられちゃうってことでしょ……? それならいつかはお姉ちゃんたちも……嫌だよ私、お姉ちゃんたちと戦うことになるなんて、絶対に嫌だ……嫌だよ……うっ……ううっ!」

「落ち着いてエフェス……! 大丈夫、大丈夫だから……くっ……!」


 ロイゲンベルクが異変の始まりの地だとすると、其処を起点にして徐々に拡がりを見せるか、あるいは先に懸念した通り、各地で同様の異変が同時多発的に起こるかもしれない。いずれにせよ私たちが今、出来ることは――


「シャル……お客様がお見えです……」

「こんな時間に客人ですって……? まさか……」

「ええ。きっと、アンリだわ。何か緊急の連絡があるのよ。エステールさん、今すぐに彼女をここまで通してあげてください」

「承知いたしました」


 果たして、私たちの目の前に現れた客人の正体はアンリだった。そして彼女はこれまでに見たことがないほど青ざめた面持ちで、私たちの一人一人に視線を配った。


「アンリ……! また何か新たな情報が……?」

「皆さん、どうか落ち着いて聞いてください……これは今しがた得た情報ですが、大陸の各都市が妖魔による攻撃を受けているとの報告がありました……妖魔の遭遇報告があったうち、ここから最も近い場所は、フランベネルの南東にあるデミュールという場所です……!」

「何……ですって……」


 デミュールとは本来、グラウ運河を通った私たちがその終点として最後に辿り着くはずだった場所。其処はフィルモワールから伸びる空間結界の僅かに外側にあったようで、不幸にもその庇護を受けられずに妖魔からの襲撃を受けた様子だった。

 加えて、それが私たちに指し示しているものは、魔の手がもうすぐ其処にまで迫って来ているというあまりにも受け容れ難い現実だった。

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