第99話 安息を求めて


「はぁ……はぁ……何とか、地上まで戻って……来られたわね、みんな」

「はい、メル……地上へと導く部屋の扉がエフェスたちを以てしても反応しなかった時は、本当に肝を冷やしましたが……結局最後は力技がものをいいましたね」


 刻々と崩壊していく遺跡の地下内部では、破損した壁面や設備の残骸といった大きな障害物が途中の通路を塞いでいたり、幾つかの仕掛け扉がエフェスやアンリの持つ指輪にも反応を示さなかったりして、限られた時間の中で地上までの道のりを遠く思わせる様相を呈していたものの、私たちはその都度障害物を排除したり、あるいは迂回路を見つけだしたりなど各々が生きるための機転を利かせながら不測の事態にも迅速に対処を行い、完全な崩壊に巻き込まれる直前に辛くもその難から逃れることが叶った。

 そして遺跡の出入口から現れた私たちのもとに、月明かりの下でもはっきりとした憂いの色を満面に湛えた表情のレイラが駆け寄ってきた。


「み、皆さん! ご無事でしたか……!」

「ありがとう、レイラ。あなたにはまた心配を掛けてしまったようだけれど、この通り……私たちは皆、大した怪我もなく戻ってこられたわ」

「はぁ……本当に無事で何よりでした……。少し前に地面の奥深くから地鳴りのような音と振動が急に伝わって来て、みなさんに何かとんでもないことが起きているのではないかと、気が気では無くて……」

「ええ……正直に言って、かなり色々なことがあったわ。アンリも仲間との連絡があるでしょうし、一度あの天幕のあるところに皆で行きましょうか。そこで改めてレイラにも説明するわ」


 そうしてアンリの仲間たちが設営していた天幕に移動し、私は地下で起こった一連の出来事を知らないレイラにも、可能な限り解り易く説明を行った。一方アンリはアンリで、あの到底信じられないような情景の連続を出来るだけ噛み砕いた上で、仲間たちにその詳細を克明に伝えている様子だった。


「そうでしたか……エセルが……」

「最初は命を助けられて、その後は殺されかけて、そして今度はみんなのために身を挺してっていう頭の理解と心の整理を置き去りにした流れだけど、この短い間に色々と変わったのはきっと私たちだけでは無かったということなのでしょうね……」

「しかし結局、エセルは無事に脱出できたのでしょうか……? メルの話を聞く限りだと、出入口はあの扉……だったものだけしか無いように思えますが……」

「……正直に言って、判らない。けれど、あの子ならあの状況下でも生き延びられる力は十分にあると思うわ。最後の場所にだって、私たちとは違うところから入って来たようだったし、空間の様子がおかしいと言っていた気がするけれど、彼女には転移法もあるからね……生きていればまた、必ず何処かで会うはずだわ」


 エフェスは未だそんなエセルが最後に見せたあの姿――私たちにエフェスのことを託しながら別れの言葉を放った瞬間の光景が脳裏に焼き付いてしまったようで、その、ここに無いものを見詰めるような虚ろな視線からは、彼女だけにしか解り得ないであろう、ある種の喪失感といったものが零れているように感じられた。

 そして、傍らで寄り添いながらエフェスの肩を抱いていたリゼは、私がレイラに説明をしている間中もずっと、彼女に言葉を掛けていたようだった。


「……そんな悲しそうな顔をしないで、エフェス……エセルがあの時、ああしてくれたおかげで、私たち皆が、今もこうして無事に居られるんだから。だから私たちはこれからをしっかり生きて、あの子の想いに応えられる自分でいなくっちゃ……」

「うん……ねぇ、リゼお姉ちゃん。今日は久しぶりに同じ布団で眠ってもいい? 何だかさっきからずっと……この身体の中が、とっても寒くって……」

「もちろんだよ、エフェス。このあと皆でお屋敷に戻ったら、お風呂に入ってさっぱりしてさ、そのあと暖かいお布団でお姉ちゃんと一緒に眠ろう……。もし真夜中に目を覚ましても、私がずっと傍にいてあげるから、どうか安心してね」

「うん……ありがとう、リゼお姉ちゃん」


 エセルから託されたリコリアは、後日エフェスの気持ちが十分に落ち着いてからその中に秘められた情報を読み取ってもらうべきだと感じた。そこに一体どんな事実が収められているのか判らない以上、まだ不安定な精神状態にある今の彼女にそれを強いるのは、あまりに負担が大き過ぎるように思える。


「お待たせしました、メル。こちらの話も終わったので、今日のところはフィルモワールへと戻って休みましょう。私は後日、可能な限りの人員を投入し、この周辺も含めた上での綿密な調査を行います」

「分かったわアンリ。こちらもまた日を改めて、あのリコリアから情報を取り出してみるから、その時に何か判ったらすぐにあなたにも知らせるわね」


 それから私たちはこちらに来た時と同じ馬車に乗って、シャルの屋敷まで引き返した。視察中の身であるシャルが戻り次第、また彼女にも事の顛末を伝えなくてはいけないものの、今はクリストハルトが何のために、あのようなミスパルたちを創ったのかなどについてあれこれ深く考えることは極力避けて、心身を休ませることに専念するべきだと判断した。



 ***



 翌日、私はいつもと同じように窓から漏れ伝わる柔らかな光に瞼をなぞられながら、清々しい空気に頬を撫でられて朝の訪れを感じた。本来なら一日の始まりはリゼの寝顔を眺めるところから始まるものの、今日ばかりはエフェスにリゼが持つあの慈愛に満ちた温かさを、身体と心の両面から感じてもらいたかった。


「ふふ……何というか、一人きりでの目覚めがこんなにも寂しく感じるだなんて、私もすっかり変わってしまったわね」

「あら……寂しいなら、私の隣がいつだって空いているわよ、メル」

「え……この声は……シャル?」

「おはよう、メル。こうしてあなたと一緒に夜を共にしたのは、初めてね。ふふ……あなた、常は凛然と振る舞っているけれど、服の下にはいつもこんなに可愛らしい下着を着けていたのね」


 あまりのことに驚きながら、声のした方に身体を向けると、其処にはすぐ手で触れられるほど近くに、私と同様に上下共に下着だけになったシャルの姿があった。もちろんこの私には、眠る直前まで彼女が傍に居た記憶は何処にも無い。


「あ……あなた、いつの間に……! というかいつ、から……?」

「んんっと、まだ辺りが常闇に覆われていた頃から、かしら。これでも視察先から大急ぎでこちらに戻って来て、寂しそうな寝顔を浮かべていたあなたを、後ろから優しく抱き締めてあげていたのだから、少しは感謝して頂戴よ?」

「それはどうも、ありがとう……じゃ、なくって! その……私が寝てるところに勝手に入って来るだなんて……ちょっと、どうなのよ……」

「伝書鳩を介して大体の事情は把握しているつもりだけれど、あれからもさらに色々とあったみたいだからいつも以上に様子が気になってね。寝顔ぐらい見てもいいかなって。そしたらいつも隣に居るはずのリゼが居なかったから、つい……ね」

「全く……リゼは今、エフェスの部屋に居るはずよ。昨日は彼女とエセルに纏わる、とても大きな出来事があってね……」

「……良いわ。ここで聞きましょう」


 この状態のままで話を続けるのには個人的にかなりの抵抗があったものの、頑としてその場から動こうとしないシャルに根負けして、私は彼女に遺跡の地下で起こった一連の出来事をつぶさに説明した。そしてやがて話を聞き終えたシャルは、しばらく目を瞑ったまま何かを思案しているような素振りを見せていたかと思うと、突如その目を見開くと共に言葉を紡いだ。


「……そうだわ! これから皆でイル=ロワーヌ島に出掛けましょうよ」

「えっ? いるろ……それは、何処のこと?」

「ここから東南の沖合に、ちょうど三日月の形をした火山島があってね。其処に一度入れば長く若さを保つことが出来るとうたわれる温泉が幾つかあるの。とっても素敵な場所だから気分転換がてら皆で浸かりに行きましょうよ。エフェスちゃんの冷えてしまった心だってきっと温まるわ」

「へぇ、そんな島が……それって野湯のゆなのかしら?」

「昔はそうだったみたいだけれど、錬金術が発展した今はちゃんと整備されていて宿泊施設もあるし、温泉街だってあるわ。それに実は島の奥まったところに私の家が所有している隠し湯があってね。私も前に何度か訪れたことがあるのよ」


 まだ夏の足跡が多く残る今の時期に温泉というのも、かえって新鮮味があるように感じられる。それに皆で一緒に行けばきっと楽しいし、精神的に落ち込んでいた様子のエフェスにも元気を出してもらえるきっかけになるかもしれない。


「うん、私も良い考えだと思うわ。これから早速他の皆にも話して……んっ? ちょっとシャル、何を……?」


 私が寝台から身を起こそうとすると、傍らで横になっていたシャルが両手で私の身体を自身のもとに引き寄せて、半ば強引に私を寝台に寝かせたのも束の間、後側から包み込むように私の身体を抱き締めてきた。


「リゼは毎朝こうやってメルを独り占めにしているのでしょう? だったら今日ぐらいは……せめてあと少しだけ、こうさせていてはもらえないかしら」

「だ、駄目よシャル……こんな格好のままで……。ただでなくてもリゼは今エフェスのことで気を揉んでいるのだから」

「それは解るけれど、言い表せない寂しさを感じているのはエフェスちゃんだけじゃなくってよ……? お願いメル、本当にあともう少しだけでいいから……」

「……分かったわ、本当にあとちょっとだけだからね。ところで、執事のエステールさんは温泉に誘わないの?」

「ん、そうね……今回はあの子も連れていこうかしら」

「それが良いわ。あと、大きなお世話かも知れないけれど、たまにはあなたにしか掛けられない言葉を彼女に掛けてあげてね。きっととっても喜ぶと思うから」

「ふふ……本当に優しいのね、あなたは。でも、そうね。あちらに着いたらそうしてみるわ」


 そうしてしばらくの間シャルに身を預けた私は、彼女もまた心からの安らぎを求めているように感じられた。しかしそんなシャルの孤独を真に理解し、それを癒すだけの力があるとすればそれはきっとシャルのことを間近でずっと見てきた、彼女の執事であるエステールであるはず。

 シャル曰く、エステールには想い人が居るとの話だったものの、彼女がエステールに向けていた眼差しや言葉の響きからは、以前から私に対するリゼのそれと似たようなものを感じていた。そこで少しお節介ながらも、私がこれから二人のために出来ることがあるのならば、とりあえずはそれをやってみようと思った。

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