第98話 今日の運勢


「なんて、数……! クリストハルトがああなってしまったというのに、どうしてあれだけのミスパルたちが……!」

「きっと上から落ちてきた破片がもとで、何人かが自然に目覚めてしまったみたいだね。あの子たちに独立した意識があるのかどうかは判らないけど、どうやらこの現状に危険を感じた子たちがボクたちが攻撃を行ったものと見做して、他の眠っている個体にも何らかの手段で働きかけて、強制的に覚醒させたんじゃないかな」


 今この目に捉えられる範囲にある数を概算しただけでも、ゆうに百体以上のミスパルが動いているのが判る。それは先ほど私たちが相手にしたものの比では無く、またクリストハルトが残した言葉が本当なら個体ごとの戦闘能力も遥かに高いことになり、仮に真正面から衝突するとなれば、とても私たちの戦力だけで捌ききれる量ではないように感じられた。


「如何しますか……メル。ここはまともに相手をしたところで、どうこう出来るようには思えませんが……」

「ええ……だから正面から戦うことはしない。ここは皆であの扉の向こうまで一気に駆けて、出入口そのものを破壊して塞ぐのがいいわ。ただ……」

「……うん、とても難しいよね。きっとあの子たちはメルたちが動いた次の瞬間に、ボクたちに向けて一斉攻撃を仕掛けてくるはずだもの。あれだけの数から放たれる魔現は相当なものだろうし、仮に避けたとしてもこの周りは激しく破壊されるはず。そうなればここに閉じ込められるのはボクたち全員だ」


 エセルが言う通り、ここから扉の前にまで瞬時に到達することは何とか出来るものの、あの分厚い多重構造の扉はすぐには開かないため、人の一人が通れるほどの隙間が生まれるまでには恐らく少しの待ち時間を必要とする。

 そしてその間にあの数から放たれた魔現がこちら側に殺到すれば、扉の周辺は瞬く間に著しく破壊され、それによって発生する大量の破片や瓦礫によって出入口が塞がれてしまうに違いない。


「あの、この指輪を使って何とか制御しきれませんか?」

「アンリ? それは……クリストハルトが嵌めていた制御器、だったわね」

「残念だけど無理だね。ほら、あのおじさんが言ってたじゃない。あの台座にあった巨大な制御装置みたいなものでも、まだ手に余るってね。この遺跡にある扉の開閉とか起動状態にある防衛機構の解除ぐらいなら今でも出来るだろうけど」


 確かにクリストハルトは、ここのミスパルたちの制御に手を焼いているような発言を残していた。未だ彼が何故これほど多くのミスパルを創ったのかその目的自体は判然としないものの、彼もここに居る彼女たちの存在だけは持て余していたのかもしれない。


 ただその一方で、あの指輪に防衛機構を解除出来る能力があるならば、先ほど私たちの道を阻んだあの半透明の隔壁も容易に越えることが叶うはず。


「でもそうなると、他に何か良い手立ては……」

「……ボクに良い考えがある。これから皆で一気にあの扉の前まで移動した後、ボクが空かさず魔導障壁バリアーを全方位に向けて展開する。そうすれば扉が開くまでの間ぐらいなら、何とか時間を稼ぐことが出来るはずだよ」

「なるほど……他に案がない以上、やってみるしかなさそうですね、メル!」

「ええ……けど――」

「考えてる時間なんてないよ、メル。さぁ、みんなで走るよ!」


 私たちはエセルの勢いに突き動かされるかたちで、後を振り返らずに全力で扉の前にまで駆け出し、そして其処に到達するや否や、エフェスが即座に球状の魔導障壁を行い、間もなくそれは私たちのすぐあとを追うようにして襲来した紅い光の波を全て受け止めてみせた。


「すごいわエセル……あれだけの魔現を一手に防ぎきるだなんて……! しかしこの分だときっと長くは持たないはず……どうか早く、早く開いて!」


 間断なく降り注ぐミスパルの攻撃を尻目に、やがてゆっくりと開き始めた扉は次第にその切れ間を広げていき、一人ぐらいであれば何とか通過出来るほどの空間を其処に作り出そうとしていた。


「そうだ、エフェス」

「……なに、エセル?」

「ほらっ」

「わっとっと! これは……さっきの玉?」


 エセルは呼びかけたエフェスの方に顔だけを向けながら、素早くその懐中から取り出したであろうリコリアをエフェスに投げ渡し、彼女は急に自分の方に飛んできたそれを何とか受け止めてみせた。


「リコリアをエフェスに……? けど、あれはあなたでないと――」

「いや、エフェスにも読めるはずだよ。何だって原型なんだから。それとメルにはこれを……っと」


 それから間髪を入れずに、エセルはこの私にも小さな菱形の容器を投げて寄越したようだった。そしてそれを無事に受け取った私は、自分の右手の中に飛び込んできたものの中に、かつてアシュ砂漠で彼女に助けてもらった際に一度見た、あの青い飴玉と全く同じ色をした液体が収められていることに気が付いた。


「この仄かに輝いて見える液体は……」

変若水アムリタだよ。前にボクがあげたアンブロシアをメルたちも食べたことがあったでしょ? あれはその液体を飴状に加工したものさ。何でも古代に不老長寿の霊薬として創られてたっていう、謂わば生命力の塊みたいなものだよ。実際、ボクのあの左腕を一瞬で治すほどの力はあったからね」

「ということは、これこそがあのクリストハルトの言っていた……」

「そう。ボクが生き長らえるための秘薬の素さ。エフェスと違って、ボクとエフェスの近くに居た複製体の子たちはそれが無いといずれ魔核ヌクレウス……メルたちで言うところの心臓が止まってしまうんだよ。そして、魔核は一度止まれば二度とは動かないんだ」


 エセルがこちらを背にしたまま事も無げに言ってみせたのは、かつてエフェスの傍に居たという姉妹のような子たちの正体と、エセルと同様に彼女たちもまた、この秘薬無しでは生きられなかったという衝撃的な事実だった。おそらく彼女たちは皆、クリストハルトらによっていいように使われていたに違いなかった。


「待ちなさいエセル……どうして今こんなものを私に?」

「ボクにはもう必要ないものだからさ。だから……せんべつっていうんだっけかな? メルにはこのあいだいじわるしちゃったから、お詫びのつもりだよ」

「餞別って、あなた……まさか――」

「メル! 人が通れるだけの隙間が出来ましたよ! 早くこちらへ!」

「え、ええ……!」


 私はそう告げたリゼに導かれるまま、扉に出来た隙間から向こう側の通路に渡るべく速やかに移動を開始した。そうして私とリゼ、アンリと間を開けずに続いて向こう側に移り、リゼはエセルの方を向いたまま動こうとしないエフェスに向かって大きな声で呼びかけた。


「エフェス! 早くこっちに来て!」

「ほら、リゼが呼んでるよ? ……それにしてもこの短い間に、何だかすっかり姉妹みたいになったんだね、エフェスたちって」

「……エセルも、エセルもこっちに来ちゃえばいいんだよ……! お姉ちゃんたちなら必ず力になってくれるし、きっと今のエセルが抱えてる問題だって、何とかしてくれるよ! これまでのことだって、ちゃんと話をすればきっと――」

「うん……きっとそうなんだろうな。ふふっ、本当にいい人たちに出会えたね、エフェス。これからも多分色々あるだろうけど、メルたちと力を合わせて上手く乗り越えていくんだよ」

「何言ってるの、エセル……! ほら、早くこっちに……うわっ!」


 そうしてエフェスがエセルと言葉を交わしている最中に、エフェスが展開していた障壁に大きな亀裂が入り、その裂け目から一気に漏れ出た魔現の衝撃によってエフェスはこちら側に吹き飛ばされたようだった。


「くっ……! もう障壁が限界みたいだ。……アンリ! その指輪を掲げて、扉を今すぐに閉じるよう念じて! ボクがここで最後まで堪えてみせる」

「だ、駄目だよエセル! 早くこっちに……くっ!」

「危ないよエフェス! そっちに行っちゃ駄目!」

「は、離して……リゼお姉ちゃん! まだエセルが! エセルがあっちに!」

「ばいばい……エフェス! どうかいつまでも、元気でね」

「エセル……! きっと、きっとまた会えるよね?」

「ふふっ、そうだといいな……メルにリゼ、それまでエフェスのこと、頼んだよ」


 次の瞬間、大きな爆風がこちらに吹き付けると共に扉が閉まり、そのまま扉の裏側にミスパルたちの放った魔現が着弾したのか、苛烈な衝撃を一度に受けた扉は破壊こそされなかったものの、醜く拉げるように変形した。

 こうなってしまった以上、この扉が開くことはもう、二度とは無い。


「……エセル……ええ、あなたの想い、確かに受け取ったわ」

「エフェス……ん、何かが……飛んで……」


 今しがた到来した爆風によって飛ばされてきたのか、人差し指ほどの大きさを持った一片の紙が、ひらりひらりと宙を滑るような軌道を描きながら、やがて両膝を床に着けたまま呆然とした様子を見せるエフェスの懐へと舞い落ちていった。


「……これ……は」

「それって……もしかして」


 エフェスの掌の上には黒く煤けた一枚の紙があり、そこには、

『今日の運勢は最高です。全てがあなたの思い通りに行くでしょう』

 と、書かれてあった。他でもないリゼと思しき筆跡で。


「えっ、これは私が作った焼き菓子に挟んだ……どうして今、これが……?」

「……ここに来る前、エセルが私の店を訪れたと言っていたでしょう? その時にエセルが一つ店の中で食べて、そのくじのようなものの内容に納得がいかなかったようで、確かもう一つ持って行ったのよ……」

「……うっ……どこが最高なの……全然、当たってないよ……こんなの……!」


 そう言ったエフェスはその紙を胸に抱くようにして握り締めると共に、抑えきれなかった嗚咽を漏らしながら大きく震え出した。そしてそんなエフェスの姿を見たリゼが空かさず彼女の両肩を優しげに抱きながら、そっとその耳元に顔を近付けた。


「……エセルを信じようよ、エフェス。あの子はあんなことでやられちゃうような子じゃないし、きっとまたひょっこり私たちの前に姿を現すはずだから。今はそんなあの子の想いを無駄にしないように……必ず生きて、ここから脱出しよう」

「うぐっ……う、うん……!」


 そうして私たちは既に崩壊の兆しを見せているこの遺跡から一刻も脱出するべく、私が一定間隔で設置した魔食石を目印にして、これまで進んできた道程を辿って地上へと引き返し始めた。過去がどうあれ、自らの身を挺して私たちを生かしてくれた、あのエセルの無事を願いながら。

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