第97話 千の眠りが描く夢


「これは……一体どうなっているの……」

「ざっと見ても優に千は……いえ、きっとそれ以上の数が……」

「この子たちってみんな、私と同じ……なのかな……」

「ミスパル……でしたか。もしもこの全てがさっき戦った相手と同じような戦闘能力を持っていたとしたら……国の一つなんてきっと簡単に滅んでしまいます」

「さっきと同じ? それは、違うな……」

「……クリストハルト!」


 即座にその声のした方に顔を向けると、少し離れたところにクリストハルトが悠揚迫らぬ態度で、半球状の水晶が置かれた台座の傍に佇立しているさまが見て取れた。そしてその右手中指に嵌められた指輪状の制御器は、今もなお赤い光を放っているようだった。


「ここで眠っているものたちは、其処に立っている原型を元にした上で新たに創り出したミスパルだ。先ほどお前たちが戦った奴らよりも遥かに高い戦闘能力を有しているはずだが、まだその制御などに課題が残されていてな。ここにある制御器を使ってもおそらく手に余ることだろう」

「これだけの数を……あなたは一体、何を考えているというの……」

「正直に言って、今こいつらを目覚めさせるにはあまりに時期尚早だ。しかし、お前たちにこの場所が割れてしまった以上、こちらも行動開始を早めるほかあるまい。もっとも、まだ備えはあるがね」


 クリストハルトがそう言いながら、件の指輪を嵌めた右手を彼の近くにあった台座の上に乗せると、その台座にあった半球状の水晶と思しきものが赤く輝き始め、またそれと連動するように私たちの周囲を取り囲むようにして配されていた、硝子容器の中で眠るミスパルたちの身体から仄かに紅い光が一斉に放たれ始めた。


「いけない……こんな数を相手にしては、流石に一たまりもないわ……! 今すぐミスパルを操っているクリストハルトを……!」

「いえ、ここは一旦逃げましょうメル! 仮に今ここで彼を捕えても、この全てが動き出した後では、もう……!」

「……何処にも逃がさんさ、お前たちはここで残らず死――」


 その瞬間、何処からか飛来した紫電の如き光がクリストハルトの右肩を貫き、彼は被弾時に生じた衝撃を受けて後ろ側に大きく仰け反り、間もなくその負傷した右肩を押さえながら片膝を床に着けた。


「今の光は……まさか!」

「待たせたね、メル。いや、大分遅れちゃったよ」


 端々が擦り切れた様子の黒い外套を身に纏い、私たちとクリストハルトのちょうど中間点にあたる位置に降り立ってそうこちらに呼びかけた少女は、確かに少し前まで行動を共にしていたあのエセルに違いなかった。


「エセル……! あなたはあの時、確かにミスパルの一斉攻撃を受けて……!」

「いくら不意打ちって言っても、あんなのでボクがやられるわけないじゃない。ただこの遺跡の中は空間がいびつなようで、転移したら変なところに出ちゃってさ。そっちの反応を捉えて追いかけるのもかなり大変だったよ。さて……」


 するとエセルはクリストハルトが居る方へと身体を向けて、ゆっくりと歩き出した。また時折、ミスパルたちが眠る硝子容器の群れに顔を傾けながら彼女が何か独り言を呟いているようにも感じられたため、私が強化した聴力でエセルの声を拾おうとすると、果たしてこの耳に彼女の言葉が入り込んできた。


「――にしてもおじさん、まぁだこんなの隠してたんだね。一体何と戦うつもりだったんだろ。まさか本当に武力で世界を征服しようとでもしてたのかな?」


 そうしてやがてクリストハルトのすぐ目の前にまで辿り着いたエセルは、恐らく彼をそのまま殺すつもりであるように感じられたため、私たちはすぐさま二人のもとに向かって駆け出した。


「ま……待ってエセル! まだそいつを殺しては駄目よ!」

「……だってさ。良かったねおじさん、まだ想ってくれる人たちがいてさ。ふ……何だかまたちょっと、悔しく思えてきたけど」

「もはやここで私を殺そうと殺すまいと、お前自身の死期に変わりはないだろうさ。あとはお前の好きにするが良い。最後に……せめてもの餞別としてこいつをお前にくれてやる」

「これはアンブロシアと……何だろ? 爆弾じゃあないみたいだけど……」


 やっとのことで私たちがエセルのもとに駆け付けると、彼女が自身の右手に青い飴玉のようなものと掌で握れば収まってしまうほどに小さな水晶球らしきものを持っているのが見えた。


「そいつは……レコリア。録念珠ろくねんじゅとも言われる、持つ者の想いを収める玉だ。本来はお前のように……アールヴの血を持つ存在でなければ使えんが、この指輪にもあるその血晶体を用いれば私にも扱うことが出来た」

「アールヴ……? それって何のこと?」

「そいつを見ればおのずと判るだろう。この私がこれから為そうとしていたことも全て、含めてな」


 その時、傍らで二人のやり取りを見ていたアンリが、エセルとクリストハルトの間にゆっくりと割って入り、エセルの前に立ち塞がりながら、一方でクリストハルトに双剣の刃を差し向け、そのまま彼を捕縛しようとしていた様子だった。


「……あなたの話は、あとで全て聞かせてもらいます。何か言い分があるのなら、またその時に。今はその指輪を外した上で、大人しくこちらの言う通りに……」

「ふ、もはやこうなった以上、お前たちの思い通りにはならんさ……んっ!」


 クリストハルトが徐に自身の左手をその口元に宛がった次の瞬間、彼は突如として意識の糸が断たれたかのようにだらりと項垂れ、その場にうずくまるようにして倒れ込んだ。


「……何? 一体どうしたというの?」

「ん……この男、まさか死毒を口に……!」

「なっ……!」


 間もなくアンリが倒れ込んだ彼の身体を起こし、彼女と共に私がその口元を確認すると、左右の口角からは紅いものが伝わっていて、その唇に何か薄い容器の破片のようなものが貼り付いているのが見えた。どうやらクリストハルトは自身でもはやここまでと観念したのか、何処かに仕込んでいた猛毒を用いて自殺を図ったようで、彼は既に虫の息になっていた。


「駄目です、メル……これでは、もう……」

「……ねぇ答えて、クリストハルト……! あなたはこれから何をしようとしていたの……?」

「…………」


 すると彼は無言のまま、エセルの右手にあったレコリアなるものを震える指で差し示し、程なくその手を再び床へと落としたと共に、その息を引き取った。恐らく彼の真なる目的は遺されたレコリアの中に秘められているようで、またそれを読み取ることが出来るのは、アールヴの血というものを持つエセルだけだった。


「答えはあの玉の中……ね。エセル、あなたになら――」


 その時、私の言葉を遮るようにして、突然この地下の全体に立って居られないほどの非常に大きな揺れが伝わり、辺りを埋め尽くすほどに林立している硝子容器も、その振動を受けてガタガタと大きな音を立てているのが判った。


「これは……地震?」

「私の知る限り……ここ百年、このフィルモワールの周りで大きな地震など記録されていなかったはずですが……」

「私には何だか、この遺跡そのものが揺れているような気が……エフェス、危ないからこっちに――」

「奇遇だねリゼ。ボクもこれは遺跡全体が揺れているように感じるよ。どうやらこのおじさん、さっきこの台座に手を乗せてたみたいだけど、多分その時に指令を出していたんじゃないかな?」

「指令……って?」

「あくまで想像だけど、ここで自分が死んだらこの遺跡地下にある施設を放棄……もしくは爆破して全部無かったことにしちゃうとか、ね」

「ば、爆破……? くっ、また揺れが大きく!」


 施設全体に伝わる揺れはそれからも刻々とその大きさを増していき、やがて天井から板のようなものが剥がれ落ち、それが下にある硝子容器や通路の上に降り注ぎ始め、破損した幾つかの容器からはその内容物であった液体とミスパルが一度に流出すると共に、方々にある何らかの装置らしきものからも火花が散り始め、其処からたちまち灰色の煙が立ち昇り始めた。


「この感じ……本当にエセルの想像通りの事態が起きているのかも知れない……きっとここはもう危ないわ。今すぐ皆でこの遺跡から脱出しましょう!」

「はい……! ほらエフェス、立てる? 行くよ!」

「この男から詳しい事情を訊き出せなかったのは心残りですが、致し方ありません……この指輪だけは念のために押収しておきます」

「ここで眠っている子たちは、覚めることのない眠りの中で、一体どんな夢を見るのかしら……救うことが出来なくて、本当にごめんなさいね……」


 千の眠りを背に、彼女たちが描く夢に思いを馳せる。

 願わくばどうかそのまま、苦しみを知ることなく……安らかに。


 そして先ほど渡ってきた通路を逆行し、出口となる扉まであと少しという時、右隣に居たエセルが急に何かに気が付いたようだった。


「ねぇ……メル、まだお客さんが残っているみたいだよ」

「えっ? ……ミス、パル……!」


 エセルが示した方――ちょうど私たちの背後となる方向に視線を向けると、扉と台座とを連絡するこの通路上ではなく、その宙空に隊列を成すようにして浮揚しながら紅い光を全身から発し、今にも私たちに襲い掛からんとしているミスパルたちの大群が其処にあった。

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