第111話 遅れて届いた贈り物
「それにしても驚いたわね……まさか、本当に空を飛べるだなんて。旧時代の錬金術って一体何処まで進んでいたのかしら」
アンリが操縦する空中船から見える眺めに終始圧倒されていた私たちは、しばらくしてスプーラの町から比較的近い木々の茂る場所と降り立ち、引き続き船の飛行試験を行うというアンリと別れ、先に宿へと戻っていた。
アンリは、山頂付近での飛行は人目に付き易いとの懸念から、一旦船を近くの砂漠地帯にまで移動させ、そこで夕方頃まで操船の練習を行うとのことで、万が一操船中に不測の事態が起きた際には、私たちにも手渡したあの水晶竜の鱗なるものを使って、必ず連絡をすると告げていた。
なお、私たちも実際に体験した空中船での移動は、船の舵輪そのものとなっていたアンリの意思が忠実に反映されているようであったものの、彼女による不慣れな操船も手伝って、船体が地上に激突しそうになるほど急接近したかと思えば、次の瞬間には雲に届きそうな高さにまで急上昇し、それに伴って周囲の光景も常に目まぐるしく変化していたので、途中からは皆のほとんどが恐怖感を露わにし、さらにエフェスに至っては船酔いとも言える症状に襲われてしまったことで、アンリが皆に配慮を見せたかたちになった。
「う……まだ目がぐるぐるする……」
「大丈夫、エフェス? ほら、メルがくれた酔い止めだよ」
「ありがと……でも、出来ればあれにはもう乗りたくないかも……」
「はは……エフェスの気持ちも分かりますけど、慣れたらもうちょっとこう、優しく動かせるはずですよね、メル?」
「そうね。アンリも不慣れな環境への順応速度はきっともの凄いはずだから、期待して待っていましょうよ。それにしても……あの船、本当に不思議だったわ」
本来、自分たちが乗っている乗り物が高速での移動中に急停止、あるいはその逆の状況を迎えた際のことを考えると、私たちにもそれ相応の反動が来るのが常であるものの、あの船に限ってはそういった現象が全く見られず、船内は奇妙なぐらいの静穏を保ったままで、座席に座っている私たちが床に投げ出されることも無かった。
「まぁ何といっても空を飛ぶ船ですからね……私にはあんな金属の塊のようなものが空に浮かぶことからしてまず理解が出来ませんが」
「それにしても……転移法は万人が易々と使えるものでは無い以上、あの飛行技術が再現出来れば、物品や人間の遠地輸送にも新たな革命が起こりそうだわ」
「いずれにせよ、あの奇妙な船があれば前に言っていたアシュ砂漠とやらも軽々と越えることが叶うわ。エフェスちゃんには悪いけれど、やはり空を飛ぶことが出来るというのは、何物にも代えがたい利点よね、ステラ」
「ええ。このあとアンリさんが空中船をあの無茶な操舵で壊すことなく、船共々無事に戻って来ることを祈りましょう」
「……それはきっと、大丈夫よ。それで、問題がなければ出発は明日の朝になるようだから、各自必要なもののうちで不足しているものが無いかもう一度確認して、それを町の商店から入手できそうなら早めに確保しておかなくてはね」
そうして私が自分の持ち物に不備がないかどうかをリゼたちと一緒に点検していると、その様子をしばらく静観していた様子の師匠が、こちらに声を掛けてきた。
「ちょっといいか、メル。このあと、もし時間が空いていれば、何処かで共に身体を動かさないか? こうただじっとしているのは何とも性に合わないようでな」
「師匠……ふふ、そう感じるのも無理もありません。私の知る師匠は日々厳しい鍛錬に明け暮れていたお方でしたから。私で良ければ、お付き合いいたしますよ。ただ現状が現状なだけに、お互いに無理のない範囲で、ということになりますが」
「無論、それで構わないさ。ちょっとした散歩のようなものだからな。ではまた後ほど、よろしく頼むぞ」
――これまでの記憶を振り返る限り、師匠からすればただの散歩程度でも、私からすればその実は岩山の間に繋がれた綱を渡るほどに厳しいものだったことがほとんどだった。しかし、久々に師匠と剣を交えることが出来るというのは願っても無いこと。それに、無理のない範囲でと先んじて釘も刺しておいたから、きっと以前のような激しい手合わせにはならないはずだわ。
「う……何だか話が違う、ような……」
しかしそれはあくまで、私の希望的な観測でしか無かったことがすぐにこの身を以て解った。師匠は実際に軽い運動のつもりなのかもしれないものの、その動きは私が修行を受けていた時のそれよりも遥かに素早く、そして剣の一振り一振りが、記憶の中のそれよりもずっと速い上に凄まじいほどの重さを誇っていた。
「どうした、メル。無理のない範囲といっても、流石にそこまで手を抜く必要はないと思うぞ。以前はもっと厳しい修練を日々耐えていたのだろう?」
「手なんて抜いていません……ただ、師匠が以前よりもさらに強くなっているように感じられて……」
「ふむ……そんなはずはないのだがな。何せ今の私は自分に纏わる記憶のほとんどが失われているのだぞ?」
師匠の話からすると、私との戦いであの崖から落ちたあと、次にはっきりと気が付いた時には既に記憶の大半が霧に包まれていて、あとは着の身着のまま、武器は腰に帯びていた剣のみで、身体が覚えていた生き抜くための知恵や技術だけを頼りにここまで生き抜いてきたらしかった。しかしそれは私と出会う以前から続いていた、師匠の漂泊生活ともさして変わりがないように思えた。
「強いて言うなら……何故か異様に身体が軽く感じるぐらいのものだ。どういうわけかは判らんが、以前はもっと何かで抑えつけられていたような気がする」
「そういえば師匠、改めて見ると何だか以前よりも一段と細身になられたような……けど筋力が衰えているような様子が全く無いのはもしかして、以前は何か自身の動きを敢えて制限するような装具を服の下に着けていたということ……?」
今となっては記憶を失ってしまった本人に確認のしようがないものの、かつて全身を戒める拘束具として使用されていたものを改変した肉体鍛錬用の装具――
それは、身体が発達途上にある未成年者には正常な成長を妨げ得ることからその使用は禁忌とされていたほど、肉体に与える負荷が極めて高いものであったらしく、実際に得られる恩恵よりも危険性の方が遥かに高かったことから、一般的には出回らなかった様子だった。
ただし師匠のように常日頃から己の身体を虐め抜いてきた人たちならば、更なる高みを目指すために取ることが出来る手段は全て試している可能性が当然あり、そしてそれが、件の落下時の衝撃によって破壊、もしくはその機能を維持出来なくなったと仮定すれば、己の身体を戒めていた拘束から解かれたであろう師匠が今、本来の力を遺憾なく発揮しているだけとも考えられる。
「まぁそんなことはどうでもいい。ほら、続きをやるぞ」
「ふっ……ふふふ、これじゃあまるで昔と同じじゃないの……全く!」
師匠の身体は話に聞いていた通り、本当にエーデルベルタの剣技とそれを最大限に輝かせるために必要な動きを克明に覚えているようで、こちらが見せるほんの僅かな隙を一切の容赦なく的確に突いてくる。私もこれまでに死を明確に感じるほどの実戦を何度も経て以前の自分よりも遥かに強くなっているに違いないものの、師匠はやはり私の師匠なのだという事実を、ここに来て酷く痛感させられた。
「こうして刃を交えるまでは確証が持てなかったが、どうやらメルは本当にこの私からそのエーデルベルタとやらの剣技を教わったらしいな。その動きから次にどう攻撃を繰り出してくるのかが手に取るように分かる」
「それは……そうでしょう。私は師匠から全てを教わったのですから。無論、あなたと離れてからも鍛錬は極力怠らずに続けてきましたが、それでもまだまだ甘かったのかもしれません」
「ふむ。では果たして本当に甘かったのかどうか……試してみるとしよう」
「試して……? ぐっ!」
師匠の振るう剣がまた一段とその速度と圧と威力とを増した。そしてかつて私を本気で殺しにかかって来た時と同様に、躊躇のない一撃の連続が怒涛のように絶え間なく押し寄せてきた。時折この身を掠めた剣技の影響からか、近くにあった岩や木が、木っ端微塵に砕け散ったり、真っ二つに切断されていたりしたのが判った。
それを目の当たりにした私は、予め無理のない範囲での手合わせをと釘を刺しておいた意味は一体何だったのかと、今すぐにでも師匠に問い詰めたいぐらいだった。
「ふ……やるじゃないか、メル。しかし次の一撃を全て防ぐことは出来るかな」
「ここからが本題ってことね……あの人、本当に記憶を失っているのかしら」
「では、いくぞ!」
「……来る!」
次の瞬間、剣を濃い魔素で包み込んだ師匠が動き出したと共にその姿を消し、瞬きをする間もなくこの私の至近距離にその身を移したのも束の間、私が視線の先に捉えるよりも先に既にこちらへと攻撃を放った気配をこの肌に感じ取った。
「ふっ!」
初撃を受け留めたと同時に二撃目、それを受け留めれば三撃目と、空間を切り裂くほどの苛烈な斬撃がありとあらゆる角度から刹那のうちに私を襲い、そのまま十二撃目に訪れた途轍もなく怜悧な刺突を、回避が間に合わない中で辛うじて受け留めることが叶った。
そのあまりの鋭さに、前撃とは異なり横方向から弾いて軌道を逸らすことは出来そうも無く、あくまでその切っ先が襲来する地点を自らの経験と勘とを頼りに手繰り寄せた結果、半ば偶然にそれを防げたに過ぎなかった。
しかし私が防ぎきったかと思ったその切っ先が突如として回転し、私の剣をするりとすり抜けると同時にこちらに向かって、文字通りに飛び出してきた。
「くはっ!」
自ら意思を持ったかの如き勢いでこちらに飛び出してきた切っ先は、私の左胸、すなわち心臓の辺りに強烈な衝撃を与えると共に、この身体を後方へと軽く吹き飛ばして、その後ろ側にあった木の幹へと叩き付けた。
「油断をしたな、メル。魔素で剣身を厚く覆っていなければ心臓を貫いていたぞ」
「……ぐっ、こんな技は、これまでに一度も……」
「私も思い出したわけではないが、身体がどうしてもお前にこれを叩き込めとうるさくてな。ただ技を出し切った瞬間に、名前だけは思い出したぞ。
「はぁ……はぁ……本当、師匠はいつも、この身に直接叩き込んでくるのだから……この味、久々だわ……」
そうして口内に広がった鉄の味を噛み締めていると、予め大体の居場所を伝えておいたリゼが、私たちの二人のことがどうにも気がかりだったのか、その顔に憂いの色を湛えながら姿を現した。
「ちょ……メル、ベアトリクスさん! これは一体どういう……」
「……あぁ、リゼ。さっきちょうど、師匠との……その、散歩が終わったところよ」
「ふむ、久々に良い運動をしたような気がする。身体が満足しているのが解るぞ」
「あの……この辺りの光景を見た上で、散歩だとか運動だとかいう言葉を聞かされても、はいそうですかとは誰もなりませんからね……絶対に……」
リゼの言うことはごもっともだと感じた。何せ私たちの周りに林立していた木々が激しい剣技の応酬の余波を受け、まるで大量の爆薬が一度に暴発した後であるかのように薙ぎ倒されているこの有様を見れば、当然そういった感想が出てきて然るべきだった。これを無理のない範囲での手合わせだと語るのは大分苦しい。
しかし久々に師匠と剣を交えたことによって、私の身体が再び火が熾ったかのように熱くなってしまったのは本当のことで、それはきっと師匠も同じだと思った。
「全くもう……メルもぼろぼろじゃないですか。戦いがあるとすればこれからなんですから、もう無茶はしないでくださいよ? 受けた傷はあとでレイラにお願いして治してもらわないと……」
「ごめんなさいね、リゼ。けど……久々に良い体験をさせてもらったわ」
「ふぅ……二人共、宿に戻ったらきついお灸が必要ですね」
私がこの身に受けたものは、恐らくあの日に師匠が私に伝えようとしていたもの。当時は私の奇策によって崖から落下することになり、披露することが叶わなかったであろうものの、こうして今それを受け取ることが出来たのは、まさに僥倖だと感じた。ただこの後、リゼからの厳しい説教が待っているかもしれないと思うと、段々とこの足取りが重くなってきた。
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