第110話 古の翼
「そう……監視所からの連絡が長く得られなかったのは、伝書鳩が上手く機能していなかったからなのね」
公衆浴場で身を清めた私たちが、併設されていた食堂で朝昼兼用の食事を取っていると、監視所に向かっていたアンリがこちらを見つけて合流することとなった。
彼女の話によると、大陸各地から寄せられた妖魔の出現報告を受けて以降、伝書鳩も何らかの影響を受けたようで、現在はそれを通じた情報の送受信が大陸の広範囲に渡ってほとんど機能不全状態に陥っていることが判明したとのことだった。
「ふむ……となると、これ以降は情報に頼らずに全てを自ら確かめるほかないということになりますね、メル」
「ええ。それでアンリ、ここからはどう動くの?」
「はい。現在はご存知の通り、閘門の閉鎖によって運河は利用出来ないため、陸路を使うことになりますが、ここからマタール王国へと通じる公路は封鎖中であるらしく、相当な遠回りをする必要があります……」
「相当な遠回り、か……移動だけで疲弊しそうな上に、補給地点となり得る町が既に妖魔によって破壊されていたら目も当てられないわね」
「全く、儘ならないものだわ。いっそ鳥のように空を飛んでいければいいのにね、アンリ?」
「…………」
シャルが少しおどけた調子でそう言った瞬間、急にアンリが何とも言えない表情を浮かべたまま押し黙ってしまった。
「ん、アンリ? どうしたの……?」
「ひょっとすると私が下らないことを言ったせいで、少し気分を害してしまったのかしらね……? もしそうなら――」
「い、いえ、決してそんなことは……ただ……」
「ん……?」
「空を、飛んでいくというのは……ありかもしれません」
「……えっ?」
「あらあら、今度はあなたが冗談? それとも何かしら、まさかとは思うけれど、私たちを乗せて運べるような巨大な鳥がいて、あなたがそれを操れるとでも?」
「その……ここではちょっと話し辛いことですので、皆さんの食事が終わったら、宿の方でお話しましょう」
私たちはそのアンリの言葉の真意が全く掴めないまま宿屋へと戻り、皆で彼女の話を聞くことにした。
「それで……話というのは?」
「はい。皆さん、あちらに小高い山が見えますよね?」
「山……? あぁ、あの地下から出てきたところよりもうちょっと東のほうに見えるあれね?」
「ええ。実はあの山の山頂付近にもこれまでずっと開かずの扉がありまして。例の隧道がこれ以上進めないと判った後に、そこも調査したのですが、その先にはこれまでには見たことのない、不思議な形をした船がありました」
「船……? でもそれがあるのは山でしょう? 一体何故そんなところに……もしやまた不思議な移動機構があって、地下水路と繋がっていたとでも?」
「いえ、そうではないのですが、私が地下列車を動かした時のように指輪でその船の中に入り込み、一番奥にあった制御盤らしきものに触れた途端……それは、確かに宙へと浮かび揚がりました」
「宙に、浮かんだ……? まさかそれって……旧時代に飛んでいたっていう
旧時代の練金術について触れた古文書には、空を移動することが出来るという空中船なるものが確かに登場する。そこには流線形の形をした船や蛾のような形をした奇妙な乗り物の記述があったものの、そういったものが実際に発掘されたためしは一度も無く、私自身も後世の人間が創作した眉唾ものの話だと考えていた。
「ちょっと待ちなさいよあなたたち。空を飛ぶ船ですって? 大昔の錬金術が幾ら発展していたからって、その発想は流石に飛躍し過ぎよ? その宙に浮いたというものも、全然違う目的で造られた機関かも知れないじゃないの」
「仰る通りですが……実際に起動させた際の所見からして、操船者の意思に従って空を移動する飛行機関である可能性が高いと考えられます。よって、発見した当日からその遺物の存在は最重要機密として指定されました。空を飛べる技術があると判れば、世界の軍事均衡などにも計り知れない影響を与えるので……」
「ねぇねぇリゼお姉ちゃん、空を飛べる乗り物なんて本当かな?」
「うぅん……私はちょっと信じられないかな……ただ、アンリの言っていることがもし本当だとしたら、世界がひっくり返るくらいものすごいことだよ」
「でもアンリ、仮に今から其処へ行って本当に飛べるかどうかを試してみるとして、その機密指定になっている遺物を勝手に動かして大丈夫なの?」
「それなら、こちらを……」
アンリから手渡された紙には、非常時に際してアンリ個人の判断で行使可能な権利について触れられているようで、其処には確かに古代遺物の起動に纏わる項目もあり、列車などの移動機関に関しては非常時に限ってそれらの使用を認める旨が、女王陛下の名のもとに保障されているようだった。
「なるほど……女王陛下からの許可があるのなら、怖いものなしだわ」
「本当のことをいうと、乗り物かどうかすらも定かではありませんが……そこは内緒です。実を言うと、あの地下列車の存在も機密情報の一つでしたから」
「それを私たちに知らせるのもその権限のうちってことなのね……」
「ええ。ですので、ひとまず今日はその遺物のところに行って、実際に継続して飛行可能かどうかを試験してみたいのですが、如何でしょう?」
「……そうね。一応やるだけやってみましょう。皆もそれで良いわよね?」
間もなく皆からの同意を得たアンリは、その規格外の遺物があるという、町からほど近い場所に位置する小高い山の山頂付近にまで私たちを導いた。山頂付近にある洞窟の奥にはあのクレフ遺跡で見たような扉があり、これまでの歴史の中で侵入を試みたであろう数多のものたちを、悉く門前払いにしてきたことが窺える。
「それにしても大陸中にこういった扉が一体幾つあるのかしら?」
「現在確認出来ているだけでも十三箇所ありますが、ここを含めて実際に私たちが足を踏み入れた場所はまだ四か所ほどに過ぎませんね。さ、こちらです」
アンリに追随するかたちで倉庫のような場所に足を踏み入れた私たちが、薄暗い闇の中に浮かぶ、大きな影のような物体の近くに歩み寄った瞬間、こちらの存在を感知して自動的に点灯したであろう魔光灯によって、その外観が明らかになった。
それは、全体的に細長い柳の葉のような流線型の胴体を持ちながら、後方が尾の無いエイのような菱形の輪郭を象っていて、一見した限りではとても空を飛ぶような代物だとは思えなかった。しかもその船体全体が黒々とした光沢を纏った金属で構成されている様子で、相当な重量があるように見受けられた。
「これが、そうなの……?」
「ふふ、
「……はい。俄かには信じ難いでしょうが、ここからは実際に体感してもらった方が早いでしょう。では中に……」
側面に設置されていた
アンリが操縦席に着いて、手の輪郭線を象った窪みのようなところにその手を置くや否や、私たちの周りにあった装置が一斉に起動したらしく、何も無かったはずの台座の上に、仄かに青白く光る半透明の球体が突如として出現した。
「わっ、なにこれ? きれいな球だけど……浮いてる!」
「ん、これって……シャルのお屋敷にあった地球儀に似てませんか? メル」
「確かに、こうして見るとあそこに描かれていた大陸の形とよく似ているわね……細かいところは違うようだけれど、これはおそらく世界地図だと思うわ」
「この赤く点滅しているところは……何でしょう? ひょっとして……私たちが今居る場所……なのでしょうか?」
レイラの言う通り、この球体が地球儀と同様に世界の地図を表しているとなれば、この赤い点が指し示している辺りは、砂漠と運河からほど近いこの地域を指し示しているように感じられる。
「皆さん、お好きな座席に着いてください。今、動かしてみますから」
アンリの言葉に従って私たちがそれぞれ座席に着くと、間もなく周囲にあった壁が硝子窓のようなものに変形し、この船の姿を照らし出したあの魔光灯からの光が見えた。そしてやがてその光源が、俄かに下方へと緩やかに移動したのが判った時、私は今乗っているこの船が上方に向かって浮上し始めていることに気が付いた。
「わ、これって今本当に浮き上がってる?」
「……何だかちょっと怖いわね。けど、この山の中からどうやって空にまで上がるというのかしら? 天井を突き破るわけにはいかないでしょう?」
「それなら心配ご無用です。先ほどは暗くて見えなかったと思いますが、船の上には上方に伸びる長い空間があり、そこをある程度まで上昇していけば、自動的に天井部の扉が開くようになっていましたので。ただ前回乗船した時は、そこまでで終わりだったので、本当に空の上にまで昇れるのかは、判りませんが……」
アンリの正面には、彼女の意思に応じてその視点が変化し、周囲の状況を肉眼で実際に見ているようにそのまま映し出すという、長方形の硝子板のようなものがあり、どうやら彼女は其処に描かれるその視覚的な情報を頼りに、船を操作しているようだった。
そうこうしているうちに船は天井近くへと差し掛かったのか、周囲には上方から差し伸べてくる光に包まれ、程なくその窓の向こうには青い空が広がり始めた。
「うわっ、見て見て、リゼお姉ちゃん! お空が見えてきたよ! あの窓の近くに行ったら、もっと広く見渡せるかな?」
「あっ、エフェス! ちゃんと座っていないと危ないよ!」
「……ちょっと待ちなさいよ、今私たちが乗っているこれが本当に空に浮いているとでもいうの?」
「シャルさんたちも窓際に近づいて辺りを確認してもらっても構いませんよ。今この船は空中に留まっていますから」
「それなら私たちも見に行ってみましょうか、メル?」
「そうね……この目で実際に確かめて、みないと」
真っ先に飛び出したエフェスの後を追うかたちで窓際に立った私たちは、その眼下に広がっていた光景に揃って言葉を失った。なぜならつい先ほどまで私たちが居たあの小高い山が、今ではよりいっそう小さく、あろうことかこの船の真下に見えていたからである。
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