第123話 獄炎を喰らうもの
「うぉぉおォオオォオッ!」
「ぐっ……! いよいよ、本性を顕したようね……それにしてもこの妖気、まるで全身が焼かれたように感じるわ……」
「本当、妖気というよりは獄炎そのものに肌を
「ふ……この
「あれで三分ですらないって……はったりでないとしたら実に趣味の悪い冗談としか思えないわね」
「ええ、全く笑えませんよ……けどこちらも、負けるつもりはありません……!」
それまで全身から迸らせていた禍々しい妖気を青紫色に煌々と滾る炎へと転じ、その肉体も凡そ人としての原型を全く留めておらず、まさに獄炎の化身――炎獣とでも呼ぶべき巨怪へと変貌を遂げていた。
「あの感じ、肉体に憑依していた落胤の精神体が己の異能を以て、一時的に本来の姿をそこに顕現させているようね……」
「けどこの状態は私たちにとっては好都合のはずです。あれならお父上様の肉体を傷つけることなく、洗礼を受けた武器で本体のみを叩くことが出来ますから」
「……オシャベリハ、
目の前に峻厳な岩山の如く巍然として立っていた落胤の巨躯が、ほんの一瞬前のめりになったように見えた次の瞬間、十人程が輪にならなければ囲えない巨木にも等しい太く長く分厚い
打ち付けられた場所からは強大な衝撃波が生じると共に魔現と見紛うほどの凄まじい魔炎が四方八方に向けて噴騰し、その余波である火の粉に軽く触れただけでもこの身に纏っている衣服や頭髪が焼け焦げてしまいそうになった。
(それにしてもこれは思った以上、ね……あのただ振り下ろした腕に当たっただけでも致命的な損害は免れ得ない。受けることはおろか弾くことも非常に危険だわ。今は回避に徹しつつ、反撃の機会を窺いましょう!)
(はい……! 必ず何処かに隙はあるはずですからね!)
炎の巨獣と化した落胤は、その並外れた体躯に見合わず非常に俊敏かつ軽快な動きを見せ、まるで木々の合間を易々と飛び移る山猿のように、巨象が駆けるかの如く轟音を響かせながら、時折柱や壁面をも足場にして縦横無尽に地と宙とを動き回り、私たちの命を奪わんと間断無く襲い掛かってきた。
それから私たちが相手の行動を観察するために一定の距離を取ると、その巨躯の周りに幾つもの炎弾が現れたのも束の間、次々とこちら側に飛来し、さらにそれら炎弾を追うように接近してきた落胤を飛び越え、すれ違う際に一撃を加えようと私が高く跳躍すると、それを逃すまいとしてその大きく開かれた顎から高密度の妖気を湛えた魔炎を容赦なく吹き付けてきた。
「くっ、何て熱さなの……! あんなものに触れたら火傷では済まないわね。しかしこれでは反撃に転じる余地を中々見い出せない……ん、そういえば――」
私はヴィーラから炎の洗礼とは別に、あるものを手渡されていたことを思い出した。それは、
しかし斯様な霊水を十分に得られるとなれば、炎獣に対して最も有効であるあの術が使える。
「ん……メル? あれはヴィーラさんから貰った、水が湧き続けるという
(リゼ、私に考えがあるの。不枯の水箪にある霊水に私の魔素を通して魔導化させた後、この剣身にそれを纏わせるわ)
(なるほど……以前巨大サソリとの戦いでも使った、水纏いの剣ですね! では少しの間、そちらに注意がいかないように私があの落胤を引き付けます!)
リゼは相手の意識を自分に向けさせるべく、敢えて相手の間合いへと入り込んでは攻撃を受けないようすぐにその外側へと移動するといった行動を繰り返した。そして私はその間にリベラディウスに私の魔素を通した霊水をたっぷりと浴びせ、一時的に剣と一体化した状態、即ち『水纏い』を付与することに成功した。
(もう十分よ、リゼ! 今度はあなたがこの水箪を使って、その手甲に術を施すといいわ。今度は私があなたと入れ替わって落胤の相手をするから!)
(承知しました!)
水纏いのリベラディウスを手にした私は、こちら側へと退避してきたリゼとすれ違いざまに件の水箪を投げ渡し、暴威を振るう炎獣から伝播する熱が比喩ではなく文字通りに肌を直に炙るほどの距離にこの身を置いた。
「
「ふっ! そうはいかない……わよっ!」
相手の攻撃は地を裂くほどに強大な腕の振り下ろしと、全方位を焼き尽くすかの如き勢いで広範囲に炎を散らしながら瞬時に薙ぎ払うといった行動が多く、下手に後方や横方向に逃げようとするのはそのあまりの攻撃範囲と余波の影響を考慮すると決して得策であるとはいえなかった。
寧ろ危険を承知で相手の至近に寄った方が、攻撃の予備動作などもある程度ながら素早く読み取ることが出来て、結果的に相手の攻撃を回避しつつ反撃の時機を探るための行動として最良であるように感じられた。
ただし相手の攻撃が全て致命となり得る一撃であることはそれこそ、火を見るよりも明白で、もし一度でも判断を誤って直撃を受けようものなら、たちまち窮地どころか下手をすれば瀕死状態にすら陥ってしまうことは想像に難くなかった。
「フハッハッハ、逃ゲルコトシカ出来ナイノカ!」
「果たして……そうかしら?」
「ソノママ死ネィ!」
「ふっ……!
「グウッ!」
相手の一撃を回避すると共にリベラディウスから放たれた高圧の水刃は至近距離に居た落胤へと殺到し、反射的に盾としたであろう相手の腕に直撃した瞬間、水蒸気が爆発的に発生し、そのあまりの衝撃に相手の巨躯が俄かに怯んだのが判った。そしてもちろん私は、その隙を見逃すことなどしない。
「今が、好機だわ……!」
「チッ、小癪ナ真似ヲ……! ン、何処ニイッタ!」
白煙と化した水蒸気に視界を部分的に遮られていても、落胤はその懐中や背後に潜り込ませんと周囲に向かって腕を振り回す一方で、私は猛火を撒き散らす落胤にすぐに攻撃を加えることはせず、こちらの姿が捉えられていないことを利用して一定間隔で並んでいる柱を何度も蹴りながら天井に手が届く辺りにまで瞬時に移動し、次の一手に出るための行動を即座に起こすことにした。
「フ……ソコカ!」
落胤の背後から少し離れた辺りに、欺瞞攻撃として剣圧を飛ばし、その着弾地点に衝撃音を轟かせることで一時的に相手の注意をそちら側に逸らせ、こちらの存在を
「……
「ン……ナッ!」
私が頭上から振り下ろした刃は確実に相手の身体を捉え、回避が間に合わなかった様子の落胤はその攻撃をまともに受けたようだった。それから私は即座に反撃態勢に移行した相手の動きを察知して、そのまま追撃を加えることなくすぐさま後方へと大きく跳躍し、距離を取った。
「グ……ヤルナ、小娘」
「上手く、いったわね」
私は相手の頭から身体を一気に両断する勢いで斬り付け、剣身からは確かにその身を刻んだような手応えが伝わってきた。しかし落胤が直撃を受ける瞬間、危険を察知したのか微かに横方向へと動いたらしく、その刃は彼の左肩の辺りから先を切断したに留まった。それでも相手の攻撃力を減じたという点においては、非常に大きな意味を持っているように思える。
「メル……! やりましたね!」
「ええリゼ。今のうちに水箪をこちらに……すぐに次の攻撃へと移るわ。ここからはあなたも一緒に仕掛けるわよ」
「フフ、コレデ攻撃シタ心算ナノカ……? フンッ!」
「な……! メル、腕が……!」
「腕を一瞬で再生させた……? 精神体の姿でも可能とはね。けど、失われたものを無償で復元することなんて出来やしないわ。確実に負担は掛かったはずよ」
おそらく同じ攻撃は二度とは通用しない。故に数的有利も活かした上で確実に相手に損害を与える一撃を見舞う必要がある。私とリゼはこの短い間に回避に徹しながら相手の挙動や癖を注意深く観察してきた。あとはその間に得たものを思念による交信で共有すれば、必ず有効な攻撃を加えるための道が自ずと見えてくるはず。
(リゼ、ここまでの間に、あいつの動きは大方掴めたかしら?)
(大体は。確かに凄まじい攻撃ですが、あの姿で戦った経験はきっとまだ少ないのではと感じます。尤も本人曰く、三分の一の力も出せていないようですが……)
(憑代が人間である以上、純粋な妖魔と違って本当の力を出せば器が持たないのでしょうね。けどそれは好都合だわ。たとえ今まで見た以上の攻撃を隠し持っていたとしても、相手がそれを出す前に仕留めてしまえばこちらのものよ)
(ええ。とにかく相手に隙が生まれるように私が至近距離から可能な限り高速で移動して攻撃を誘発しますので、どうかメルは攻撃の時機を見計らって確実に一撃をお願いします!)
(了解よ、リゼ。必ず元の肉体からあの精神体だけを引き剥がしてみせるわ!)
別方向から少し異なる間隔で飛び出した私たちは左右に分かれ、落胤の両側面に位置取り、私はリゼがさらにその至近へと移動したのを確認して、攻撃のための準備に入った。
リゼは時折牽制のための衝撃波も打ち込みながら、最小限の動きで最も効率的であろう身のこなしをみせ、その巧みな体捌きを以て相手の注意を引くと共にその攻撃を寸でのところで完璧に回避してみせた。ただあれほど俊敏に動き続けることは、彼女自身の肉体にも相当な負荷を強いるが故に、その状態は決して長くは持たない。
「皆で修練を続けてきた甲斐もあるのでしょうけれど、流石はリゼだわ……まるで落胤を翻弄しているよう。私も、私の仕事をきっちりとこなさなくてはね……!」
落胤がその巨躯には似つかわしくない、圧倒的な敏捷性を以て高速移動を行っている秘訣は、さながら猿や
そしてリゼが危険な陽動を継続している最中に、その下に潜り込める絶好の機会を見い出した私は意を決し、その懐へと向かって一気に滑り込んだ。
「ン……キ、貴様ッ!」
隙を見計らって見事にその懐中へと潜り込んだ私は、手にしていた剣を即座に深く構え、静止状態から両足に持ちうる限りの魔素を込め、全身の瞬発力を以て身体を大きく捻りながら垂直に上昇し、相手の腹部に向けてその切っ先を突き立てた。
「
「ムゴオォオッ!」
激しく回転しながら頭上に突き立てたリベラディウスは、咄嗟のことで判断が遅れた落胤の腹部を容赦なく切り裂き、私は逆巻く炎を受けながらもその身体を穿つと共に、相手の頭上へと抜け出した直後に、さらなる一撃を加える。
両足に残存する高密度の魔素を用いて一時的に足元の空気を固化し、それを足場代わりに強く蹴ることで瞬発力を得た直後に、眼下に居る落胤の身体を目掛けて、再びその身体を大きく捻りながら手にした剣をただ無心で振り下ろす。これは謂わば、先の技で相手に与えた苦痛を終わらせるための一撃。
「
「――ッ……!」
果たして、私が一息に振り下ろしたリベラディウスが縦一文字に切り裂いたのは、先に喰らわせた技の影響によって回避することもままならず悶えていた、落胤の精神体とその耳を劈くような呻き声だった。
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