第122話 かつての面差し
「んっ……! こ、ここは……?」
「どうやらさっきの場所からは脱出することが出来たようですが……」
マリオンを撃破した私たち二人は、件の光が漏れ出ていた穴のようなものを潜って、崩壊寸前だった空間から何とか其処から無事に抜け出すことが叶った。そしてその穴の先はまた別の空間と繋がっていたようで、私とリゼはお互いに今居る場所が元の空間なのかどうかを確かめていた。
「とても豪奢で壮麗な内装で、向こうには大きな扉が……あれ? 何だかここ、玉座の前にあった部屋とよく似ていませんか?」
「確かに私もそう感じるけれど……私たちの後ろにある出口は何だか白い靄のようなもので閉ざされているようだわ。これは通り抜けられるのかしら?」
私がそう言って、扉とは反対側にあったその厚い靄のような空間に自ら触れてみたものの、まるで其処から先が見えない壁によって阻まれているようで、それ以上先に進むことはどうにも出来なかった。
「くっ、駄目ですね……こちらは通行出来そうにありません。やはりここもまた別の空間の続き、なのでしょうか?」
「それはまだ判らないけれど……あっ、そうだわ。ここが本当に元の空間なら水晶竜の鱗を通して、レイラたちと連絡が取れるはずよ!」
「なるほど……では早速試してみましょう。私もやってみます」
水晶竜の鱗を使えば、先ほどのような別空間でない限り、離れていても相互に意思疎通を行うことが可能となる。つまり今からレイラたちに呼び掛けて誰かから反応を得ることが出来れば、少なくともここが元の空間であることの証明となる。
(レイラ……私の声が、聞こえる?)
(……んっ、この声は、メル?)
(良かった、ちゃんと聞こえているのね! 私たちさっきまで別の空間に飛ばされていたのだけれど、何とか戻って来ることが出来たわ)
(それは何よりです……けど、今こちらは大変なことになっていて……!)
(大変なこと? どうしたのレイラ、今そちらで何が起きているの?)
(私たち、メルたちの姿が急に見えなくなってから、その後を追うことが叶わず、しばらくその場で待機をしていたのですが――)
レイラによると、私たちが光に呑まれて消えた後、すぐにその後を追って同じように二人であの水晶のような球に触れてみたものの、それは誰がやっても全くの無反応を示すばかりで、成す術が無かった彼女たちは、ひとまず警戒態勢を維持しながらその場での待機を余儀なくされたという。
しかし待機状態になってしばらくした後、皆のうちで最も後方で待機していたシャルとエステールの二人が周辺の異変を感知し、外や別の通路へと通じる空間が白い靄のようなもので包まれたかと思うと、程なく其処から突如として現れた妖魔の集団と交戦状態に陥ったとのことだった。
(何ですって……! それで今、あなたたちは大丈夫なの⁉)
(ええ、こちらにはメルのお師匠さんやエフェス、それにシャルたちも居ますから今のところは皆無事ですが、何せ次から次へと湧いてくるもので……!)
(……きっと落胤の仕業だわ。私たちをこの白い靄のような結界の中に閉じ込めて、皆殺しにするつもりね……レイラ、もう少し耐え忍んで頂戴。私とリゼとが必ず、その元凶を討ち破ってくるから!)
(は……はい! こちらは何とか踏ん張っていますから、メルたちはメルたちにしか出来ないことを成し遂げて、絶対に無事で帰ってきてください!)
(ええ、約束するわレイラ。どうかそれまで、あなたたちも頑張って……!)
レイラとのやり取りを終えた私は、同じくあちら側と交信していた様子のリゼからも話を聞いた。リゼの方はエフェスと繋がったらしく、私がレイラと話していた時に感じたのと同様に、あちら側の極めて慌ただしい状況が手に取るようにありありと伝わってきたようだった。
「メル……」
「もちろん解っているわ、リゼ。私たちがここでぐずぐずしていたら、きっといずれ皆がやられてしまう。師匠たちがいくら強いとはいえ、無限の如く現れる敵に対して、無尽蔵の活力を以て対抗出来るわけでは無いからね……」
「はい……こうなった以上、私たちが一刻も早く、その落胤とやらを撃破しなくてはなりませんね……」
「ええ。そしてそれはきっと、あの扉の向こうに居るわ。リゼ、心の準備は大丈夫かしら?」
「私なら問題ありません、いつでも行けます! 何といっても私の隣にはこうしてメルが居るんですから……何が来ても、絶対に大丈夫ですよ!」
「ん……私もよ、リゼ。それでは、行きましょうか……!」
そうして覚悟を決めた私たちが、奥にある縦に長く伸びた、黄金の扉を二人で押し開けると、やがてその扉は重々しい音を立てながら静かに動き出した。するとその扉の切れ間から、思わず
「……うっ! これは、本当に妖気、なの……? 何て
「それにこの凄まじい圧……気を強く持っていないと今にも吹き飛ばされてしまいそうで。こんな所に長く居たら、頭がどうにかなってしまいそうですよ……!」
辺りに
そしてしばらくそうしていると、私たちの歩みに合わせて、その左右に青白い炎のような灯りが一歩先の道を指し示すように煌々と宙に燈り、やがてその不気味な光に照らし出された階段の上に、一際黒い影のような存在があることに私は気が付いた。
「あの最上段、おそらくは玉座にある者が……落胤」
「ようこそ、我が城へ……さぁ、近くに来て顔を見せるが良いぞ」
「ん……この、声は……! 嘘……そん、な……」
私にはその声に確かな聞き覚えがあった。私はその声の持ち主に、生まれてこの方一度も誉められたことが無く、特にお母様たちが天上の星々となられてからは貴族の生まれであることを快く思わない周囲からの蔑みにも耐え、人の十倍の努力を継続し、学院ではずっと優秀な成績を収めてきたものの、終ぞ最後までそれを評するような言葉を得ることは叶わなかった。
何より悲しかったのは、私の存在を貴族の家を永らえさせるための道具として扱おうとしたことだった。実の娘であり、愛すべき妻が産んだはずの、この私を。以降、私はその声の持ち主に対して、こう考えていた。
あなたはもう、私のお父様ではない、と。
「えっ……? あれってその……メルの……お父上様、なのでは……」
「リゼ、私には……父と呼べる存在など、もうこの世には居ない。私の知っている厳格ながらもまだどこか人としての温かさがあったお父様は、あの日から……この世界の何処にも居なくなってしまったのだから」
私たちが階段の中頃からかつて父だったものと全く同じ声を響かせる相手の様子を窺っていると、最上段に座していたその相手は自ら立ち上がり、私たちの居る方へと静かに歩み寄ってきた。そして仄かな青の光に照らされて映し出されたその面差したるや、果たして私の記憶にあったものと寸分たりとも違わなかった。
「……ふっ、久しいなメルセデスよ。侍女のリーゼロッテも一緒なのだな。二人ともよく無事にこちらへと戻ってきたな」
「はっ、私たちのことを抹殺しようとしておきながら、よくもまぁそんな言葉が出たものだわ……それで? 感動の再会とでも言うつもりなのかしら?」
「この世界は間もなく、これまでにないほどの大きな変貌を遂げる。お前たちもせっかく生きて戻ったのだ。これからこの地を統べる者の一翼として私の力になると言うのであれば、今までのことは全て水に流し、再び我が一族に迎えてやろう」
「あなたは……何? 落胤と結託してこの世界の創造主にでもなるつもりなのかしら? それにこの地を統べる者ですって? 笑わせないで。自らの家を生かすために自身の血を分けた娘を売ろうとしていたあなたに、そんなことが出来るわけがないでしょう? あなたがやったのは、せいぜい悪魔に魂を売ったことぐらいよ!」
「メル……」
今この目の前に居て、かつての父と同じ声と姿をした者は、おそらくは落胤から力を得て、その眷属たる純粋な妖魔たちと共にロイゲンベルクの住人を妖魔へと変え、その難から逃れた者は排除するなりしてこの国を乗っ取ったに違いない。
「メルセデス、そしてリーゼロッテ。私が真に受肉した暁には、お前たちにその血肉を分け与えてやろう。さすればお前たちは今の若さと美しさとを常しえに保ち、老いの宿命からも解放されることであろう。あとは永劫にも等しい時の中を、お前たちの二人で、果てしない快楽に身を浸せばいいではないか」
「私が……って、あなた……落胤から力を授かった身なんじゃ……?」
「それは聊か事実とは異なる推察だな。何故ならこの私こそがお前たちのいうその、落とし胤だからさ」
「な……!」
私はずっと目の前の人物が、落胤の力を受けた影響からこのような強大な妖気を放っているものとばかり考えていた。しかし現実はどうやらそうではなかったようで、私たち二人のことを知っていた様子からして、元の記憶は持ったまま、落胤の精神体と同化することで人の身では決して持ちえない異能を手にしたことが窺えた。
「あなたが、落胤……」
「いかにも。当初は偶然にも遭遇したこやつに対し、こちらから一方的に憑依しただけに過ぎなかったが、直前に妻子を失ったことによって生まれていたその心の隙間に入り込み、密かに降ろした我が根を時間を掛けて広く深く伸ばしていったのだ」
「……あの日から、父の様子が次第におかしくなっていったのは、お母様とお兄様とを喪失した悲しみからだけじゃなく……まさかあなた、の……」
「こやつはこやつで私の影響から日に日に抑制出来なくなっていく黒き欲望と、お前を想う父としての気持ちとの狭間で長く葛藤していたぞ。私にはお前たち人間特有の、親が子を愛する感情というものがどうにも理解に苦しんだがな」
「あの父が……私のこと、を……」
「私の居た元の世界にはそんな情など存在しない。己が欲望を達するためには対するものが我が子であろうと自身の親であろうと、互いが滅するまで容赦なく潰し合う。私もこの世界で力を蓄えた後は再び故郷へと舞い戻り、かつてこの私を放逐した者どもを例外無く殲滅するつもりだ」
「……親から賜る愛情という想いは、それを受ける子にとって無くてはならない、極めて尊いものよ。あなたたちは、長い歴史の中においてそういったものに触れることが叶わず、その負の連鎖を断ち切ることが出来なかった種族、なのね……」
「そんなものなど必要ない。必要なものは何物をも屈服させる圧倒的な力そのものだけだ。信じるものなど自身をおいて他にはないのだから。他に快楽を欲するのであればその感情を煽るものをただ貪り尽くせばいい。それこそが我々妖魔だ」
「私は……この世界を、そんなあなたたちの好きにさせるわけにはいかない。そして今、あなたが私から奪った全てのうちで、まだ取り返せるものがあると知ったから……私はそれを、必ずこの手に取り戻してみせる」
「メル……お父上様を……」
「ええ……記憶が残っているというのなら、望みはまだ、あるようだわ」
「せっかくの好機を棒に振るとはな。やはり人間という種はつくづく解せないものよ。己の浅はかな誤断を、あの世で存分に悔い続けるがいい」
「あの世で己を悔いるのは私ではなく、あなたよ……そしてこれから私たちが、そのあなたにとって最も相応しい場所、奈落へと導いてあげるわ……!」
「はっ……世話の焼ける、小娘だなァ……!」
そうして私とリゼは眼前に立つ悪意の化身に向けて、それぞれ剣と拳とを力強く構えた。私には一縷の望みがある。それは心を支配されてしまった父の身体から、あの落胤のみを打ち払い、かつての父を取り戻すということに他ならない。
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