幕間 第7幕 決断
「――っ!」
異なる方向から閃いたものたちは、やがて互いに一つのものに成らんと限りなく近づき、しかし最後まで交わることはなく各々の終着点へと到達した。
片や的を外れたもの、そして片や正鵠を射たものとに、それぞれ分かれて。
「やはり、私の目は間違ってはいなかった。お前は……お前ならば、いかなる死地にあろうと、その剣を活かし、そしてその命もまた、活かしていけるだろう」
その時、師匠の足元――ひび割れた岩間に流れ込んでいく雨水に、いつしか鈍い紅が
「師匠、あなたは……!」
「もう、お前に伝えることは何もない……あとは己自身で己の想うように、己の道を切り拓いて、生きろ」
そして次の瞬間、師匠を支えていた足場の岩に走っていた幾筋ものひびが大きな亀裂と化し、その身体は激しく傾いて重心を失って、萼から離れた花弁のようにふわりと宙を舞い始めた。
「師匠!」
音もなく限りなく緩やかに流れていく時の歩み、その中で私は、頭で考えるよりも先に身体が動き、気が付いた時には、師匠の右足首の辺りを左手で掴んでいた。
「馬鹿、者が……自分を殺そうとした相手を助けて、どうする」
「……今、引き上げ……ますから! んん……!」
しかしその左腕には上手く力が入らなかった。そしてその時初めて気が付いた。師匠の刃が私の左肩を貫いていたことを。頼りの綱でもあった我が身の魔素は、先に斬り結んだ際にその全てを使い果たし、もはや一欠片すらも残ってはいない。
「ふふ……皮肉なもの、だな。お前の命を奪うに足り得なかったかの一撃が、巡り巡って私の足元を再び
「ぐうっ……! このぐらい、私自身の、力……で!」
「よせ、メル。二つを無理に生かそうとすれば、そのどちらも失うことになるぞ」
「そんな、私……は!」
元々長く降り続いていた雨によって脆くなっていた地盤に、私と師匠の二人による苛烈な剣技の応酬とその余波が加わったことで、私の身を支えているこの岩場にも、いよいよ崩壊の時が迫ろうとしている。
「お前の命も、いずれは尽きる日が来る。だが、それは今日ではない。お前はお前にとって、真に自らの命を懸けるに値するもの……それを見つけるその時まで、その命を何よりも大事に、とっておくがいい」
「あぁ、崖が……崩れる!」
「ではな、メル。その命、正しく活かせよ」
「師匠!! くっ!!」
私はこの手を、放した。師匠と繋がっていた、最後にして唯一のものを。
ただ、自らが生き延びるために。その時私は、初めて生死を、選別した。
「あ……あぁ……あぁぁああぁああ!!」
大量の土砂を伴って崩落した崖の下には、流下した岩石と泥土とが雪崩のように木々を巻き込みながら拡がっていき、師匠の身体もその土石流の一部となってしまった今、その生存はもはや絶望的であった。
その後、私からの要請を受けて編成された捜索隊の力を借り、必死に師匠を捜索したものの、その中で師匠の姿を見つけ出すことは、
そしてあの日師匠が私に足りないといっていたもの、それはきっと、強敵との死闘の中で活路を見出す生の力と、命を選別するに足り得る決断力に違いなかった。
師匠は最期の瞬間まで私の師匠として、私に伝えるべきことをその身を以て伝えてくれた。だから私は決して忘れない。剣を振るうことの重さと、命の尊さとを。
***
「なる、ほど……私、メルさんの振るう剣に、そのようなお話が秘められていただなんて思いもしませんでした」
「私も、メルの剣に纏わる話を聞いたことはこれまでに何度かありましたが、ここまで細かく聞いたのは初めてですね」
「思えば、あれからまだ一年程しか経っていないのだけれど、何だかとても昔のことのように思えるのは一体、どうしてなのかしらね……」
――あの時はまだ、自分が家を飛び出してこんな風に旅をすることになるとは思いもしなかったけれど、私にそうしようと思い至らせたのは、間違いなくその師匠から教わった多くの訓えがあったからに他ならない。
師匠が今の私を見たら何を想うのか少し気になるところだけれど、次に師匠と逢う時が来るまでに、どんな私を見せても恥ずかしくないように、この繋がれた命を活かして今とこれからを精一杯生きていきたい、とそう強く思う。
「ふ……でも、良い退屈しのぎにはなったでしょう? さぁ、今度はレイラのお話でも聞かせて貰おうかしら」
「えっ! わ、私……ですか? 私、メルさんたちに聞かせられるような話なんて全然ありませんよ!」
「ふふ、そんなに構えなくたって。何だって良いのよ。あなたが好きな食べ物だとか歌だとか、あるいは故郷の風景だとか……もし話せるのなら、ご両親やご兄弟のことだって構わないわ。人には生きてきた長さを数字で示すだけでは表せない、たった一つの歴史というものが、誰にだって必ずあるものなのだから」
「そう、ですか? なら、私の故郷のことについて、少し……話そうと思います」
――私とリゼは、ほぼ同じ時を一緒に生きてきたけれど、お互いに見てきたものや其処で感じたことはまるで違う。人の歴史を聞くというのは、その人を深く知る貴重な機会。そしてこうして緩やかに流れる時間の中に生まれた心のゆとりを、最も活かすことのできる方法の一つだと、私は思うのだわ。
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