熱砂の都 アル・ラフィージャ
第33話 久方振りの帰郷
「ここがアル・ラフィージャ、レイラの故郷なのね」
広く運河に面し、古くから交易の要衝としても知られるマタール王国、その首都がこのアル・ラフィージャ。レイラによれば、最近では新たな資源『
国民は商人がその大半を占めており、この熱砂の中にあっても皆が比較的裕福な生活を営んでいるようで、首都の中央には一際豪奢な王宮があり、其処では王族が日々、勢の限りを尽くした暮らしに浸っているらしいとレイラは言っていた。
また彼女が生まれ育ったという下層区には、彼女と同じような
しかしその身分が保証されていない彼女たちのような存在は、他者からいかなる扱いを受けようと誰にも守っては貰えず、時には彼女自身がそうであったように、人さらいによって連れ去られ、何処かへと売られることも珍しくなかったため、
そして貧民街では十分な教育を得る機会もないため、字の読み書きすらも満足に出来ない子がほとんどで、レイラは例外的に、流民であった母からある程度の読み書きは教わったものの、下から這い上がる手段は見い出せずに長く苦しんでいた様子。
「それにしてもレイラ……あなた本当にここへ戻ってきてしまって、良かったの?」
「はい。やはり母を独りで放ってはおけませんから」
レイラは妖魔である父と人間である母との間に生まれた半妖で、彼女の父は数年前からその姿を人間に偽装し、国外でマタール王国の商人であると身分を偽りながら出稼ぎをしていたが、もう長くこちらには戻って来ておらず、その消息は現在も不明であると船上で語っていた。
そして彼女の母は半年程前から急に体調を崩し、半ば寝たきりになってしまったものの、医者に診せるお金も無ければ他に頼るべき人も居ないため、レイラは日ごと衰弱していく母を傍らで見守ることぐらいしかできず、また病には通じない自身の治癒術を、自身の母すらも救えない、取るに足らない力だと嘆いていたという。
「次の寄港地に向けてここを発つまでにはまだ時間があるから、レイラ、あなたさえよければ、私たちを一度あなたの家にまで案内して貰えないかしら」
「メルさんたちが、ですか……? 嬉しいですがそれは止めた方が良いかもしれません。私たちの住む貧民街は治安が良いとはとても言えませんし、そこで何か厄介ごとがおきれば、そのしわ寄せが他の人たちにも及ぶ恐れが高いので……」
「……そうね。なら、私たちが着ているものをそれぞれ工夫して、一目では部外者だと判らないようにすればどうかしら。そうすれば変に目立つことも無いでしょう?」
――町を見渡せば、女性という女性が揃ってその肌を覆い隠すような恰好をしている。レイラによれば宗教的な理由からだそうだけれど、顔をはっきり見せなくて良いというのは、追われている身からしても非常に好都合であると言える。
「……分かりました。メルさんがそこまで仰ってくれるなら、私、案内します」
***
「ここが、貧民街……」
露店が犇めき合う中を忙しく行きかう人々で華やいでいた上層区とは対照的に、こちらの下層区では辺りを往くの人の数は極めて疎らで、強風が吹き付けば途端に瓦解してしまいそうな貧相な小屋が、ぼろの布一枚を屋根としてあちらこちらに孤立しているさまが見て取れる。
仮にその諸々の違いを一言で表せば、まるで空気感が違うと言うに尽きる。まだ陽も高いというのに、その全てが日陰の中にあるように感じられるのだから。
「メルさん、リゼさん、こちらが私の家です。さぁ、どうぞお入りください」
「それではお邪魔させていただくわ……ここが、レイラのお家なのね」
「はい……今戻ったよ、お母さん!」
辺りに散在していた小屋とさほど変わらないその家の中は、何かの残骸と思しきものが方々に雑然と置かれており、また不揃いな木材で造られた家具は、その所々に経年劣化と思しき破損箇所が見られ、その貧しさをより一層深く醸し出していた。
そんな中で唯一、部屋の隅にある弓だけは、違う色を放っているように見える。
「眠っているのかしら……私、ちょっと見てきますね」
「ええ、レイラ。……それにしても、これは正直、思った以上だったわ」
「私も衝撃を受けましたが、メルにとってはもっと大きいかもしれませんね。ロイゲンベルクではもうあまり見られませんが、私の家族が元居た村の近くにも、これと似たような集落があったことを思い出しました」
「そうだったの……ん、どうしたのレイラ? あなた顔色が――」
「居ないんです。お母さんが……お母さんの姿が、どこにも、無くって……」
「居ない? あなたのお母様はほとんど寝たきり状態だったと聞いていたけれど」
「……私ちょっと、周りの人に事情を知っている人が居ないか、聞いて来ます!」
「あっ、レイラ……行ってしまったわね。どうにも少し、嫌な予感がするけれど」
「そうですね……長く寝たきりに近かった母親が、郷里を離れている間に居なくなっていたということは、恐らく……」
――最も想像したくない未来に限って、現実はそれを事実として、私たちの眼前にありのまま突きつけてくるもの。
例えそれが、自分に直接的には関係のないものだったとしても、私にはとてもそれを他人事だと割り切って考えることは出来ない。もしも私の推測が正しければ、それが齎すであろう痛みを、私は誰よりもよく知っているのだから。
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