幕間 第6幕 鉄の味


 私が漂泊の剣聖――ベアトリクスに師事してから、もう五年もの歳月が流れようとしていた。慢心は油断を生む大敵だというが、今の私の技量を以てすれば、仇の妖魔はおろか何物にも負ける気はしなかった。眼前にいる師匠、その人を除いては。


 しかしそんな師匠も、一所ひとところに長く居過ぎたとのことで、近くこのロイゲンベルクを離れるつもりであることを私に伝え、そしてその別れの日、最後の教導を行うとして、私をいつもの野営地へと招いた。


 それはとても強い雨が降る日の午後のことだった。


「……来たか、メル」

「はい、師匠」

「お前に剣を伝えるのも、きっとこの日が最後になるだろう。外は生憎の天気だが、それもまた一興というやつだ。付いて来い、今日はいつもと違う場所でやろう」


 この五年間で、私は師匠から学んだエーデルベルタの剣術と、リゼと共に通っている学院で磨いた魔導の技術とを融合し、独自の剣技を編み出すことも出来た。

 またそれに加え、修練を始めた当初は全くその動きを捉えることが叶わなかった師匠の剣筋も、今では普通に捉えることが出来ているように感じられる。


 もはや学院で私の相手になれる同学年の生徒はおらず、入学当初から長く陰で私とリゼのことを『時代遅れの能無し貴族様とそのオマケ』と貶していた連中も、今では完全にその鳴りを潜め、私たちと目を合わせることが出来なくなっている様子だった。しかし私は過去は過去として受け留め、心の扉は常に開けておくことにした。


 それ故に私は、自分がこれまで生きて来た中で、今ほど自信で充溢した時間はないと、そう強く感じていた。


「さぁ、着いたぞ」

「ここは、崖のすぐ近く……?」

「今日はお前に足りないものを、私が教えてやろう」

「私に、足りないものって……んんっ!」


 抜剣から突きに移行するまでの、玉響の如き微かさと無駄のない華麗な流れ。

 その剣先は音が伝わるよりも速く、私の心臓を射抜くように放たれていた。


「ふ……随分と速くなったじゃないか。一年前のお前なら今ので終わりだった」

「これは一体、どういうことですか……師匠!」

「今から私は、本気でお前を殺しに行く。この言葉に偽りはない。今までお前に伝えた全ての技術、知識、そして訓えの総てを以て、この場から生き延びてみせろ」

「そんな……師匠! ぐうっ!」

「もはや言葉は不要。生きるか、死ぬかだ!」


 ――目で見てから反応して追いつけるほど、師匠の剣は甘くない。

 しかし間近で見て来たその剣筋と教わった剣術は、この身体に染みついている。

 だからこそ、その剣先がどのようにしてこちらに来るのかが、私には分かる。


「読める……師匠の、次の動きが」


 下手な反撃は、自らに隙を生み出し、それは即座に命取りとなる。

 相手に隙が無い場合は、攻撃を誘うか地形等を利用して隙を作らせる。

 そしていかなる窮地にあっても、知恵を凝らせば必ず活路は見い出せる。

 

 しかしそれは自分だけではなく、相手もまた然り。

 ただでさえその相手が自身の師ともなれば、尚のこと。

 教わったことに自分で何かを付け加えなければ、勝てない。


「それにこの動き、私は動きを読んでいるのではなく……読まされている?」


 いくら相手の動きが読めるといえども、やはりまだ全てにおいて師匠の剣の方がこちらを上回っているのは明らかで。このままでは反攻の契機を探し出すよりも前に、間違いなくこちらが持たなくなるだろう。


 そんな中で私が唯一、勝機を掴む可能性を導く手段があるとすれば、それはきっと魔導の力。とはいえ、身体強化と剣自体の性質変化は既に行っている。他にその力を活かして、この窮地を乗り越える方法は――


「……そうだ、やるしかない」


 一歩、また一歩、大小様々な岩が犇めく崖側へと自ら迫り、そのきわを敢えて定まらない軸足を以て飛び歩く。

 その歩む方向を一度誤れば、途端にこの身は崖下へと向けて滑落し、いかに強化した身体であろうと、まず無事では済まない。

 だが死の傍らに我が身を置くからこそ、相手もまた其処にいざなうことが出来る。


「なるほど、自ら死地に飛び込んだというわけか。だが――」

「ん……ぐふっ!」


 その瞬間。胸骨が軋み、片膝が崩れ、そして口の中に鉄の味が広がった。

 それは、眼前で受け止めた刃が齎したものでは決してない。


 ――飛鞘槌旋牙シャイデ・ブリッツェン


 相手に重い剣撃を受け止めさせると同時に、自らの鞘を回転を加えた状態で前方に射出し、互いの刃の間を縫って相手の身体に鋭い打撃を見舞う奇技。

 たかが鞘といえど、エーデルベルタの剣術は、それすら凶器へと変貌させる。


「終わりだ、メル!」


 今の体勢から師匠に反撃や相打ちを導こうとも、もはやその剣は届かない。

 そして私は、この瞬間のために撒いておいた種を今、一斉に芽吹かせる。


開放アペルタ!」


 足を地に着け潜ませた。やがて芽を出し地を割る種を。

 種を芽吹かせ砕かせた。足が地に着くことなきように。 

 終わりの定めは露と消え、空を流離う風巻しまきに散りゆく。


「お前! 最初からこれを狙って……! だがまだ、私は終わらんぞ!」

「……来る!」


 足場を失って宙に浮いた師匠は、破砕されて舞い上がった岩の残滓を足継ぎとして使い、空中で姿勢を急転向してそのまま反撃へと移る心算。ならば私は――


鷲牙天墜衝ハービヒトカレン!」

醒竜天翔閃ドラッヒェン・バールト!」


 ただそれに応え、抗うのみ。

 師匠あなたがそう、教えてくれたように。

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