幕間 第5幕 背焔の儀


「そういえば師匠、前から気になっていたことがあるのですけれど……」

「ん、何だ? この魚の上手い焼き方か? それなら前に――」

「ち、違いますよ。その……師匠って、私と同じ女性じゃないですか」

「まぁ性別上はそうだな。で、それがどうした」

「えっと、どうして剣の道に生きようと思ったのかなって。考えたことがあって」


 師匠の年齢は判然としないものの、その外見のみから推察すれば、おそらく一般的には女性としてもっとも人生を謳歌しているであろう年頃に見えた。


 極めて端正な顔貌に、炎のような煌きを燈す明眸と、後側に結わかれた艶やかで流麗な濡羽色の髪。そしてこの縦にすらりと伸びた、無駄のないしなやかな体躯と来れば、同じ女性である私でさえ、心惹かれるものがあるといっても過言ではなかった。


「ふむ……そんなことは考えたことも無かったな。物心というものが萌芽した頃にはもう、棒切れを手にしていたからな。いや、握らされていた……が正しいのか?」

「師匠はお名前にもある通り、エーデルベルタ流の正当な伝承者であられるのですよね。ひょっとして、他にも候補者の方は居たのですか?」

「無論だ。かつてこの剣は、永く一子相伝によって受け継がれてきた古い剣術だったが、疫病が蔓延した時代にその慣例も変容し、まことに心技体を備えた者であれば、然るべき儀式の果てに伝承者として認められ、その奥義を伝授された後、エーデルベルタの家名を継ぐことが許された」

「……なるほど。ということは直系の血筋でなくとも、資質を認められてその儀式というものを終えることが出来れば、流派の正当な後継者となるのですね」

「左様。そして私は前伝承者の娘として生を受けた身だった。私には妹も居て、二人して幼い頃よりその親を師として剣の扱い方を教わってきた。とはいえその時点ではまだ、ごく基本的なものに過ぎなかったがな」

「へぇ、でも師匠に妹さんが居ただなんて初耳ですね。今はどちらにいらっしゃるのですか?」

「もう、この世には居ないさ」


 即答だった。一切の淀みなく発せられたその一言に、私は二の句を失った。

 迂闊なことを訊ねてしまったような気がして、何とも申し訳ない気持ちだった。


「えっ……あっ、その……ごめんなさい。亡くなられているだなんてつゆ知らず」

「構わんさ。何しろその命を奪ったのは、この私、なのだから」

「……え?」


 師匠の言葉がすぐには理解出来なかった。

 言っている意味は解るのに、それを咀嚼することが叶わなかった。

 しかし時間が経つにつれ、それが何故なにゆえのことだったのか、気になった。


「師匠が妹さんの命を奪ったって……何がどうなって、そんな……」

「私も妹も、伝承者になるための儀式に参加したからだ」

「一体その儀式って……」

「伝承者としての資格を見出され、またその者も伝承者への道を志す場合、『背焔の儀』と呼ばれる儀式の中で、伝承者として認められるべく、候補者同士で互いにその雌雄を決することとなる」

「雌雄を決するって……まさか」

「そう。どちらかが死ぬまで闘うのだ」


 師匠の言う『背焔の儀』とは、二人の候補者同士が専用の決戦場に入り、その時点での正統伝承者が、口伝のみで受け継がれてきた呪法を両者の身体にかけると、その決戦場の周囲はたちまち猛火によって包まれ、その内側から外に出ることは叶わなくなるが、唯一其処から出る方法として、呪法の媒体となっている相手の生命を奪えば、その炎熱地獄から生還することが出来るという儀式のことだった。


 仮に相手に止めを刺さなければ、戦いに勝利したとしても、両者が焼き尽くされる結果となるため、候補者らが決戦場に入った瞬間から、そのどちらかの死が確定するのだ、と師匠は語り、そしてまた同儀式は、伝承者候補が最後の一人になるまで続けられるのだ、と続けた。


「まさかそんな儀式が、あるだなんて……」


「私も妹も、伝承者を志すかどうかを訊かれ、そしてその道を志すと決めた時点で、お互いに覚悟を決めている。よってどちらが勝っても、恨みなどというものは無かった。しかし悲しみが無かったのかと訊かれて無いといえば、それは嘘になるがな」

「師匠……」

「頬を熱が伝ったのは、その時が最後だ。おそらく後にもないだろう」


 これまで私が教わって来た剣術には、基本的なものだけではなく、エーデルベルタの秘伝である術技も多分に含まれていたはず。師匠はそんな大変な儀式を経て、その術技を伝授されたというのに、私やお兄様が何故、正当な伝承者である師匠から教えを受けることが出来たのか、その話を聞いた後では不思議で仕方無かった。


「しかし師匠はどうして、その儀式を経ていない私や兄に、技の伝授をして下さったのですか?」

「エーデルベルタ流の訓えは、お前も知っての通りだが、自身の命を最優先に考え、生き抜くための術を凝縮したものだ。故に自分以外の者の命は二の次となる。伝承の際には術技の流出を防ぐために、候補者同士で殺し合いをさせるぐらいだからな」

「自分以外の命は……二の次」

「そこで私は現伝承者となった際に、今までの旧い訓えに新たな訓えを付け加えることにしたのさ。まぁ、伝承者の特権というやつだ」

「新たな訓え、ですか? それは一体……」

「命よりも大事なものはない、とな」


 そう言った師匠は、ほんの少し自嘲的に感じられる笑みを浮かべながら、碧落の彼方へと視線を投げかけていた。そこには常のような鋭さはなく、むしろ何処か暖かいようなそんな気配を漂わせているように私には思えた。


「……だからこそ私は、己の命を活かそうとするお前たちに、剣を教えることにしたんだよ」

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