幕間 漂泊の剣聖

幕間 第4幕 燃える氷刃


「遅い! そんなもので二人の仇を取れると思っているのか!」

「ぐぅ……くうっ、どうして……どうして届かないの!」

「もういい、今日は止めだ」


 ――私がお母様とお兄様とを一度に喪ってから、もう三年の月日が流れた。


 あの日現れた妖魔の一団は、お父様が中心になって組織した大規模な討伐隊の働きもあって、今では妖魔の姿を見たという報告は無い。しかし、二人の命を奪ったあの黒い妖魔を討ち取ったという報せもまた、今日まで私の耳に届くことは無かった。


 現在、あの妖魔の姿を直接その目で見て生きている人間は、私しかいない。

 そして、あの時あの場所で私が感じたあの異様な気配だけは、絶対に忘れることはないでしょう。私自身がその元凶の根を絶たない限り、いつまでもずっと。


 いつか再び、あの妖魔と相見えることがあれば、私は決して逃さない。

 二人の無念は私が必ず晴らして見せる。あの事態を招いた張本人として。

 そのためになら私は、どんな困難や試練だって最後まで乗り越えて見せる。


 たとえ己の身が裂かれ、骨が折れ、全てが朽ち果てようとも。


「ちょっといいか、メル」

「はい、師匠せんせい

「前にも言ったが、お前は兄であるエルヴィンよりも筋が良い。その魔導の素養も併せて高めていけば、やがてどんな妖魔をも滅することが出来る、偉大な剣士の一人に成ることも可能だろう。だが……」

「だが……何でしょう?」

瞋恚しんい――怒りのみに囚われていては、並の妖魔を屠ることは出来ても二人の命を奪ったというその妖魔を制することは、叶わないかもしれない」


 ベアトリクス・フォン・エーデルベルタ。


 漂泊の剣聖にして、大陸最古の秘剣――エーデルベルタ流の正統伝承者。

 彼女は自身の信条にのみ従ってその剣を振い、また自身が教えるに値すると判断した相手以外には、決してその剣術を教導することはないと言われていた。


 そんな中でお兄様はこの地を訪れていた彼女の目と心に留まり、エーデルベルタの剣技を学ぶ機会を得て、また私はそんなお兄様が修練をされている光景を近くでよく眺めていた。

 そして今は私がそれを引き継ぐ形で、彼女を師としてその教えを受けている。


「怒り、ですか……確かに今の私を動かしているのは、お母様とお兄様の命を奪った妖魔に対する恨みと怒りの念がほとんどであるように思えます。そしてあとの残りは……そのきっかけを作った、自分自身に対しての、許せない想いです」

「ふむ。怒りは己の剣先を鋭くもするが、過ぎたそれは逆にその刃を鈍らせる。いいかメル、復讐の炎にその身を焼かれても、相手を引き裂いてやりたい衝動に突き動かされても、常に氷刃の如く冷たく研ぎ澄まされた目で全ての物事を見るのだ」

「……いかなる時でも氷のように冷静に、ですか?」

「そうだ。肉親を殺された恨みを堪えろと言っているのではない。冷静さを欠いてはならないと言っているのだ。お前は燃える氷刃となるのだよ、メル。そうすれば、いかなる死地に在っても、己の目が生き延びるための活路を見出してくれよう」

「燃える、氷刃……」


 以前私も何故剣を振るおうとするのか、師匠にその理由を問われたことがある。

 それは、二人の一周忌を終えた後、命を絶とうとした私をリゼが引き留めた、あの日の夕刻。そしてその時私は、特に多くを考えることもなく師匠にこう答えた。


『三度も救って貰ったこの命、それを活かすことの出来る、本当の強さが欲しい』


 それを聞いた師匠は、全てを射抜くような鋭い眼光で私の両の目を見詰めた後、自身が滞在しているという野営地に私を案内し、そして私はその日から剣の指南を師匠から直に賜ることとなった。


 師匠の教えは、想像の優に二十倍は超えている程の、非常に厳しいものだった。

 生傷の絶えぬ私の身体を見て、ある者は心配し、またある者は陰で笑っていた。

 修練の中で命を落としかけたことも数知れず、両手の指だけでは数が足りない。


 私の身の丈を三つ並べても足りない程の妖獣を複数相手にしたこともあった。

 しかし師匠は私が如何なる窮地に陥ろうと、救いの手は差し伸べなかった。


『生き延びるために、使えるものは何でも使え。己の死のすらも超えてみせろ』

『相手の死を見届けるまでは気を抜くな。死神に魂を抜かれたくなければ、な』


 どんな泥臭い手段だろうと、いかなる卑怯な方法であろうと、最後に生き残ることこそが命のやり取りを行う上では最も重要である、と師匠は教えてくれた。

 そしてまた、最後の瞬間まで決して油断してはならないことも。


『本当の強敵と相見えた時、護れるものは自分の命と、せいぜいあともう一つぐらいの命だ。もしもお前がその中でさらに多くを救おうとするなら、自身の命を天秤に掛ける覚悟と、本来救えるはずの命も失う覚悟が必要になるだろう』


 師匠は常々、死は生の一部であり、それは生きている限り常に自身の背中に立っているものだと口にしていた。故に多くの生を死の運命から救い出そうとするならば、それ相応の対価を支払う覚悟が必要だと、何度も私に言って聞かせた。


『命を落とせば、それまでだ。命よりも大事なものなど、存在しない。ただ一つ、自らを犠牲にするだけの例外があるとすればそれは、自らの全てを託すに値する別の命が、手の届く距離にある時だけだ』


 いつか本当にそんな瞬間が訪れるようなことがあったら、私は一体どんな決断を下すのだろう。あるいは他の誰かが私を救おうとして、またお母様のように自らを犠牲にしたとすれば、再び生き延びた私は、一体何を思うのだろうか。


 そしてもし、互いに互いを救おうとした時には、何が起きるのだろうか。

 考えてみても当然、その答えは出なかった。

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