幕間 第12幕 その時 後編


「ふふふっ、今の一撃で逃げ場はもう無くなったわよ。その目障りな粉塵諸共、私の魔炎で消し炭にしてくれるわ! はあぁぁぁ……!」


 床面はもうそのほぼ全てが捲り上がり、防御壁として用いることは叶わない。

 次にあの炎雨がこちらに降り注げば、もはや直撃は免れ得ないと言える。

 しかし、直撃しても構いはしない。こちらの狙いは別にあるのだから。


「終わりよ、メルセデス……!」


 確かにこのままイングリートに突撃しても、常に具現化された状態で彼女を守護している猛炎の陣に阻まれて、この剣を届かせることは限りなく不可能に近い。

 だから私は、私ではない別のものにあの炎陣への突撃を命じることにした。


開放アペルタ!」

「なっ! 粉塵と瓦礫が凍って、白魔のように変貌した……?」

旋風絶衝撃シュタウブトイフェル!」


 凍てついた粉塵と巻き上げられた瓦礫とを、魔導を通した強烈な衝撃波に乗せて相手の炎陣へと一気に叩き付ける。いかに堅牢な炎の防護壁といえど、これほどの一撃を受けては、その形をこれまでのように保持することは出来ないはず。例えその全てを退けることは叶わなくても、突破口を開くにはこれで十分。


「ぐうっ……え、炎陣が! まさか煙霧の中に身を潜めながら、あの短時間でこの準備をしたとでも⁉ おのれメルセデス! けど炎陣を崩したところで、こちらはまだ多くの炎弾を一度に放てるわ。あなたを倒すには十分過ぎるほどにね!」

「言っていなさい……倒されるのは、あなたなのだから!」

「はっ、結局は捨て身で来るつもり? ならこの炎弾をその身に受けるがいいわ、一つ残らずねぇ!」


 夥しい数の炎弾が連なって、怒濤の如き勢いでこちらへ殺到するのが判る。

 無論それは、とても独りで捌いたり避け切れる量ではない。しかし先にイングリートを、こちらの刃圏レンジに入れさえすれば、勝機を掴めるはず。

 そしてそれを可能にするための術を、私は知っている。


「この距離なら……いける!」

「……剣を鞘に収めた? 一体どういうつもり……?」


 仙脚アオゲンブリック

 師匠から教わったエーデルベルタ流独自の走術。両脚にかかる負担は極めて重いものの、ほんの短い距離なら、まさに神速とも呼べるほどの速度が出せる。

 この速さがあれば、炎弾が全てこの身に降りかかろうとも、その被害は置き去りに出来る。あとは相手の懐中にさえ潜り込めば、王手チェックメイト

 

「っ⁉ 姿が消え――」

刃鳴ツァイト・クレッフェン

「メルセ――」


 鞘からほんの僅かに露出させた状態の鍔を瞬時に鞘へと当て、その際に生じる反動の力を全て利用し、神速で抜き放たれた刃は弾指の内にイングリートの右脇腹から左肩へと流れ、その体内に流れる魔素の根源も見事に斬り裂いた様子で、彼女は神経の糸が断たれたかのように、瓦礫が散在する床面へと力無く崩れ落ちた。


「この私……が……そん、な」

「はぁ……はぁ、勝負、あったわね。ん……イングリート、あなた泣いて……」

「ごめんなさい……お父様、私、一族の雪辱を、果たせません、でした」

「一族の雪辱……?」

「私の、一族は――」


 八方から湧き上がる大歓声に圧し潰されたかのように、地に臥したままのイングリートは、その頬に紅涙を伝わせながら、私に語り始めた。


 自身の一族が長く、貴族による謀略や巧詐により辛酸を嘗め続け、彼女の祖父は謀殺され、残された家族の家にも火を放たれた過去があることを。そしてまたその時から連綿と繋がってきた、貴族の存在そのものに対する底知れぬ怨恨の炎が、幼い頃から彼女自身を突き動かす、原動力であったことも。


「どれだけ努力しても認められず、出る杭はあらゆる手段を使って叩かれた。私はあなた達のように、貴族たるものが己の責務も果たそうともせず、自らの地位を脅かし得ると見るや、その権力と地位を笠に着て、寄ってたかって潰しにくる……それがとても辛くて悲しくて悔しくて……貴族だけには絶対、負けたくはなかった」

「イングリート……私もね、貴族の家名だなんてものは今やお飾りも同然だと思っているわ。私自身、生まれた家がたまたま貴族であっただけで、他に誇れるものなんて何もなかった。それどころか私は、自分の失態でお父様を除く肉親の命を奪ってしまったの。以来お父様からは疎んじられ、一度はこの命も自ら絶とうとしたわ」

「なっ…………」

「けれど、あなたも知っているあのリゼが、私にもう一度生きるための光を与えてくれたの。そしてその時に私は思ったのよ。人に何を言われても、どう思われても、自分が自分を信じることを諦めず、生きてさえいれば、あとは自分次第でどんな風にも輝けるはずだって」

「…………あの、子が」

「そうして私は、私を想ってくれているリゼのためにも、剣と魔導だけは誰にも負けないよう修練を重ねたの。あなたも私も生まれてきた家は違えど、幼い頃から見えない何かと戦い続けてきたのはきっと同じ。ねぇイングリート、もしいつか私がただのメルセデスになったなら、その時にもう一度、私とお話をしてくれるかしら?」

「…………!」

「その時が来たら……待っているわね」

「くっ……うぅぅ……!」



 ***



 その日を境に、私とリゼを罵る声や陰口は一斉に鳴りを潜め、イングリートを筆頭として、貴族出身者に対して吹き付けていた強い風当たりも、まるで台風一過の晴天を迎えたかのように極めて穏やかなものとなっていった。


「私、メルセデス様がイングリートを破った瞬間は、目に物見たかと思いましたが……その話を聞いた後では、少し考えが変わりました」

「そう……ね。私達が受けた屈辱はこれでもう十分に果たせたわ。だから、ここからまた始めましょうよ、リゼ。これまで周囲に流されるがまま、私達を疎んじてきた人達にも、礼を以て接していけば、きっといつかは互いに歩み寄れるわ」

「はい、メルセデス様。時間をかけながらでも、焦らずゆっくり参りましょう。そこで、ちょうど良い景気付けといっては何ですが……実は今日のお昼は……」

「あっ……リゼ、あなたお昼を作って来たのね! 全く、どうしてもっと早く言ってくれなかったのかしら。ほら、早く屋上に昇って頂きましょう」


 人の気持ちも思い出も、そしてこれから流れていく時間も、今日の青空のように穏やかなものばかりでは決してないはず。風の日もあれば雨が長く続く日だってある。けれど、それも全て含めて、生きていくことなのだと、私はそう強く感じた。


 そして生きてさえいれば必ず、自分次第で道は切り拓けるものだと信じている。

 いつかリゼが私にくれた言葉の真意が、今やっと理解出来たのかもしれない。

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