第49話 砂上の霹靂


「う……うぅ、かはっ! げほっごほっ!」


 暗闇の中にあった光の泡沫が全て弾けた瞬間、私は口内と鼻腔とに押し寄せてきた強烈な異物感に激しくせ返った。そしてまばたきをしたと同時に、眼球にも細かな粒のようなものが一度に多く入り込んだのか、両目共にごろごろとした感覚があり、涙が止めどなく溢れてくる。


「ぷはっ、ぺっ……はぁ、こ、これは砂……? そうだわ、確か私は急に意識を失って――」


 涙で酷く霞んだ視界の中でも、この肌をあぶるかの如き猛烈な日差しも相まって、ここが砂漠の只中であることぐらいは判別が出来る。それからややあって、身体の随所にかかっていた砂粒を払いのけながら辺りを見回すと、乗ってきた駱駝車と砂上に倒れ込んだ二人の姿が、自分のすぐ近くにあるのが判った。


「そういえばリゼとレイラは私より先に意識を失って……とにかく、こんな所で眠ったままでは大変なことになるわ。早く二人を起こさなくては」


 間もなく二人を駱駝車の陰になっていた場所まで運び、その顔面の砂埃を手で払って、各々の名前を呼びかけると共に、大きくその身体を揺さぶった。すると二人は程なくして揃ってその目を覚まし、私は水筒を取り出して彼女たちに水を飲ませた。


「んぐっ、んぐっ……はぁ、も、もう大丈夫です。ありがとうございます、メル」

「ふぅ……意識が戻ったようで何よりよ。レイラも大丈夫かしら?」

「は、はい。私……急に眠気が襲ってきて、すぐに意識が遠のいた後、何だかずっと不思議な夢をみていたような……そこには確か、お父さんやお母さんも居て――」

「ちょっと待ってください。私もレイラと全く同じで……ずっと昔に見た光景を見ていた気がします。一体これは、どういうことなのでしょう……?」

「……二人もそうだったとはね。全く、三人が一様に意識を失って夢を見るだなんて、どう考えても普通のことではないわ」


 そういえば、私たちが意識を失う直前、奇妙なものを見たことを思い出した。

 それは何処からか風に乗って流れてきた、きらきらと輝く砂子のようなもの。

 この地に長く居たあのレイラでさえも、目にするのは初めてだと言っていた。


 ――けれど私は知っている。こんな風に集団が一度に意識を失って夢を見るという不可思議な現象を招き得るものを。そう、これはおそらく――


「……幻覚物質だわ」

「げんかくぶっしつ、ですか?」

「ええ。文字通り人に幻覚作用をもたらす物質よ。一部の菌類や植物などは、それを自ら産生するというわ。その昔、祈祷師などが神秘体験を得るためにそれを用いていたこともあるらしくてね。錬金術でも鎮痛薬の材料として使うことがあるわ」

「あれ……でもここって砂漠、ですよね……? こんな所にきのこや植物なんて、そうそうあるとは思えないんですが」

「いえ、一つだけ思い当たるものがあるわ……仙人掌サボテンよ。ちょっと待っていて、今お母様の手帳を確認してみるから」


 お母様が遺した手帳には、法具の製法だけでは無く、錬金術に纏わる様々な調合素材についても、挿絵を交えた詳細とその採取地が記されている。そしてその中には砂漠地帯に多く存在する、仙人掌という多肉植物についての記述もあった。


「確かこの辺りに……あったわ。ロフォテ・ペヨルテ」


 記述によると、この仙人掌は内部の柔組織内に幻覚物質を持つ極めて稀な種で、同植物には多く見られる棘が全く無く、またその形状と色味から、砂漠の翠玉エメラルドの異名を持つとあった。


「へぇ……こんな手鞠みたいに丸い見た目なんですね。ひょっとしてさっき流れてきたものは、これの花粉だったのでしょうか?」

「いえ、手帳にはあくまで内部組織に幻覚物質を蓄えているとしか。花粉にその物質が含まれているといった記述は特に見られないわね」

「では一体、どうして……」

「まぁ、それはあとで考えるとして、とにかく御者の人も倒れているだろうから、一旦皆で様子を見に行きましょう。必要であれば介抱もしなくてはね」


 駱駝車から少し離れた所には、御者が設営していた天幕テントが見える。

 私たちと同じように、きっと彼もまだ意識を失った状態であるはず。


「あれ……居ないわ。周りにはこれから設営しようとしていた天幕の跡しかないし、彼は一体どこに――」

「メル! レイラが遠くにあの御者らしき人影が見えると言っています!」

「何ですって……! ねぇレイラ、彼はどの辺りに?」

「あそこです! 目を凝らしてよく見てみてください!」


 レイラが指差した方向へと視線を飛ばし、魔素を以てその視力を強化すれば、果たして其処には、砂上を独りでふらふらと歩いている御者の後ろ姿があった。


「本当だわ……しかし、何故独りで何も無い、あんなところまで?」

「よくは分かりませんけど、私たち以上に強い幻覚を見ているのかもしれません。早く追いついて、正気を取り戻させないと」

「そうね。とにかく今は彼を……ん?」


 その瞬間、地響きのような轟音と大きな振動をこの身に感じた。

 どうやらそれは、地面の奥底から伝播してきている様子で、その強さが刻々と増していくのが分かる。


「えっ、何ですかこの音と揺れは……⁉」

「これは地震……? けど何だか音が段々と離れていくような……?」

「リゼ、レイラ、とにかく揺れが鎮まるまではここでじっとして様子を――」


 絶句した。遠くで御者が歩いていた辺りの地面が、火山が噴火したかの如く凄絶な勢いで瞬く間に多量の砂と共に上空へ巻き上げられ、そして再び砂嵐が起きたかのような大規模な砂塵の切れ間からは、何か途轍もなく巨大なものが蠢いているさまが見て取れた。こうなればもはや、あの御者の安否は絶望的であるに違いない。


「なっ……あ、あれは何……なの?」


 すると、傍らで私と同じように事の一部始終を見ていたレイラがその身をわなわなと震わせ、その極めて異様なものを指差しながら、私の疑問に答えた。


「あ、あれは……砂蠕蟲ラムル・ドゥーダ!」

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