第101話 楽しい時間は矢の如く
「くぅ……」
お風呂から上がったあと、リゼに捕まったエフェスは、別荘の居間でしばらく正座をさせられながら、自身の不品行をリゼから
私はすっかり以前の元気を取り戻した様子のエフェスが、その元気を持て余した故のことだと感じたために、リゼにそこまでする必要はないのではと告げたものの、エフェスには今の内からこういったことをちゃんと理解してもらわなくてはいけない、というリゼの考えから、その反省を促すかたちになっていた。
「……いい、エフェス? もう一度言うけど、同じ女の子といっても、人のお胸を勝手に掴むだなんてことは絶対にやっちゃ駄目なの。ここはね、女の子にとって本当に大事なところの一つなんだから、決して乱暴に扱ったりしちゃいけないんだよ? これまでにも何度か同じようなことを言ってきたから、もう解るよね、エフェス」
「うん……ごめんなさい、リゼお姉ちゃん。こんな風に皆とお風呂に入れるのが何だか嬉しくって、ついふざけちゃった……もう、絶対にしないようにする」
「ん……ちゃんと解ったなら、最後にメルにもう一度ごめんなさいをしてから、許してもらおう?」
「あ、うん……えっとその……勝手にお胸を掴んだりしてごめんなさい、メルお姉ちゃん。許して……くれる?」
「ええ、エフェス。私はもう気にしていないから全然大丈夫よ。さぁ、脚も痛いでしょうからどうか楽にして頂戴ね」
「うん、ありがとうお姉ちゃん。あいたった……うぅ、しびれる……」
近くで一連のやり取りを見ていたシャルは、傍らのエステールと顔を向き合わせながら『エフェスちゃんも、そういったものに興味が出てくるお年頃なのね。前もって言ってくれれば私が……ねぇ?』とだけ言って、微笑ましいものを見たと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「ふふ。これに懲りてもうあんなことはしないようにね、エフェス。ほら、立てる?」
「う……ありがと、リゼお姉ちゃん。まだちょっと足がびりびりする……」
「さぁて、お説教はもうお終いのようだし、エフェスちゃんのびりびりが治まったら皆で温泉街の方にお土産でも探しがてら遊びにいきましょ。ついでに夕食の食材も其処で調達するから」
「そういえばシャル、夕食ってどちらで頂くんです? 何でもばぁべきゅう? とかいう名前のお料理なんですよね?」
「ええそうよ、リゼ。正確にはお料理というかそういう食べ方があるといった感じね。詳しいことは道すがら追々説明してあげるわ」
それから一旦別荘をあとにした私たちは、最初に来た坂道を下ったところにある温泉街に皆で移動し、商店が立ち並ぶ石畳で整備された街路を散策した。
そして私は今回一緒に来ることが出来なかったアンリのために、何か良さそうなお土産はないものかと探していた。なおシャルとエステールは今の内に食材を購入してくるということで途中から私たちとは別行動を取り、あとで街の中央にある広場で合流する予定になっている。
「うわっ、リゼお姉ちゃんこれって何なの? とっげとげなんだけど!」
「これは……はりせんぼんっていうお魚なんだって。へぇ、上から吊るして提灯みたいにするみたいだよ。名前もそうだけど、この形が独特で面白いよね」
「……あっメル、この瓶詰を見て下さい。可愛くありませんか?」
「あら、青い砂の上に貝殻や珊瑚が……それにこれはヒトデかしら。ふふっ、この小さな瓶の中に海を閉じ込めたようで何だか素敵ね」
他にも同じように可愛らしい貝殻や使った耳飾りに加え、赤珊瑚や真珠で彩られた美しい首輪、そして玉虫色の光沢を放つ
この島はフィルモワールからそれ程遠く離れてはいないものの、あの周辺とはまた異なる豊かな生物圏を持っていることが窺える。
「装飾品も良いけれど、何かここでしか買えないようなものは……ん? これは……湯の……花?」
それは湯の花という、山中にある源泉付近で不溶成分が沈殿したものなどを、専用の場所で
「へぇ……これがあれば手軽に温泉のお持ち帰りが出来るわけね。今日ここに来られなかったアンリにはちょうど良いかも知れないわ」
それからふとリゼたちの方に目を向けると、彼女が併設されていたお店で売られていた温泉卵なるものをエフェスと二人で楽しげに食しているのが見えた。
「わぁ、とろとろしてておいしいねこれ……何だか飲み物みたいにするするっていけちゃわない?」
「そうだね。それにこれならちょっとした小腹の足しにもなって良い感じ……もう一個ぐらいもらっちゃおうかな……? あ、でも他にも美味しい温泉饅頭っていうのがあるみたいだからどうしよう。そっちもどんなものか一度試しに……」
「……はは、あの二人は途中からお土産そっちのけで食べているのね……気づいたら夕食前にお腹が一杯になっていそうだわ」
「ふふっ、二人とも美味しそうなものには目が無いですからね。ああしているとやっぱり親子というよりも少し年の離れた姉妹みたいです」
「そうね。ふふ、でもきっとそのどちらなのかもしれないわ」
現在は正式に家族となっているリゼとエフェスは、この短い間に以前にも増してその仲を深めたようで、同じような笑顔を浮かべて歓談しているその様子は、レイラの言う通り姉妹であるようにも感じられる。
「家族、か……」
――もしいつか、この私とリゼとが真に連れ添うことになったなら……私たち皆の関係はどんな風に変わっていくのかしら。私がエフェスのお母さんで、リゼがお父さん……もしくはその逆? 今はまだ想像が付かないけれど、現実にそうなったなら、いつだって優しさと愛情とで満ち溢れているような家族で……ありたいわね。
そういえば今頃、父はどうしているのかしら……。結局父にとって私の存在は最後まで、あの家が貴族として生き残るための道具でしか無かったのかしらね……。まぁ、今や家と国とを棄ててお尋ね者となった私には関係の無い話だわ。
だって今の私には、私のことを誰より深く想ってくれる人がいつだって其処に居る……帰る場所があるのだから。
「あの……大丈夫ですか、メル? 何だか少しお顔の色が優れないような……」
「あぁ、ちょっとくだらないことを考えてしまって。全然大丈夫よ、レイラ。さ、お土産を選んで、いつでもシャルたちと合流出来るようにしておきましょ」
そしてやがて別行動を取っていたシャルたちと合流した私たちは、シャルの家が所有しているという砂浜があるところに導かれ、ばあべきゅうなる夕食を作るための準備をすることになった。砂浜の近くに建てられた白い小屋が二つ並んだ施設には、その調理に必要な各種器具などが既に揃えられているとのことで、シャルたちがここに持ってきたものはあくまで食材と調味料のみだった。
シャルからの指示を受けたエステールは、手際よく調理を行うためにお肉を始めとした具材の下準備に入った。それには少しの時間を要するとのことで、私たちはその間、半透明の手鞠のようなものを使った
先の小屋にはそのための道具も含めて入っていたようで、シャルに教えられた通りにそれらを設置し、彼女から簡単な説明だけを受けた後、私とレイラ、リゼとエフェスの二組に分かれ、さらに審判役をシャルが務めるというかたちで、早速その球技を実際に体験してみることにした。
またどういうわけか、水着姿で遊ぶのも規則の一つだとのことで、道具小屋の隣に併設されていた着替え用の空間で、私たちはシャルからいつでも海で遊べるように持ち歩くよう言われていた水着へと着替えた。
「……遊び方は、大体解ったわよね? 本当はもっと厳密な規則もあるのだけれど、今回はお試しだからその辺りは柔らかくしておいたわ」
「ふふ。砂の上に描いた相手の陣地に球を入れれば良いだけなんて簡単だわ。あとはあの網に触れず、またあの線を越えないよう注意すれば問題ないのよね……」
「あとこちら側に打ち込まれた球は受け止めずに腕で弾いて、三回以内のやり取りであちらに打ち返す……でしたよね。大丈夫、やれますよ!」
「メル! こっちにはエフェスがいるんですからね! ゆっくりでお願いしますよ、ゆっくりで!」
「あっ、小さいからって馬鹿にしないでよリゼお姉ちゃん!」
ややあってそれぞれの位置に付いた私たちは、シャルから受けた説明を頭の中で確認しながら、リゼたちと交互に球を打ち合った。極力公平を期すために魔素による身体能力の強化は行わなかったため、身体的に未熟なエフェスを抱えるリゼ側が不利であるように思えたものの、リゼが持つ素の運動能力が明らかに頭一つ抜き出ていて、普通に拮抗した勝負を繰り広げていた。
中でも驚いたのは、普段はおっとりとした雰囲気を纏っているレイラが、最近は私たちと一緒に屋敷の地下にある修練場やよく訪れる砂浜で体術を始めとした鍛錬に励んでいたせいか、この球技の中においても非常に積極的に攻撃を行っていたことだった。元々半妖であるレイラは、それまで秘めていた身体能力の扱い方を徐々に掴んできたのかも知れない。
そして結局勝負は延長戦にまでもつれ込み、僅かに総合的な能力で勝っていたリゼ側が、僅差ながらも私たちから勝利をもぎ取った。
「やったぁエフェス! 私たちの勝ちだよ!」
「さっすがリゼお姉ちゃん! ふふ、当然の勝利だよね!」
「ふぅ、さすがにちょっと、疲れたわ……しかしレイラ、あなた……いつの間にかこんなにも動けるようになっていたのね」
「はぁ……そん……なこと、ないですよ……ただリゼの体力がお化け過ぎて……」
「みなさぁん、準備が完了しましたのでそろそろこちらに来てくださいね」
「あら、ちょうどいい頃合いね。じゃあ皆でエステールのところに行きましょうか」
ふと目に入って来た水平線上には、既に大きく傾いていた太陽が今にもその身を海に浸さんとする勢いで刻々と落ちてゆき、俄かに深みを増し始めた空の世界にしばしの別れを告げているように見える。楽しい時間というものは、本当にあっという間に過ぎ去ってしまうものだと改めて感じた。
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