第102話 夏を見送る光の花たち


 球技を終えた私たちは各々が前もって用意していた外衣だけを羽織って、エステールに手招かれるまま、彼女が設置した専用の調理器具の周りを囲んだ。


 間もなくエステールは同器具の中でおこした炭火だけを頼りに、その熱を蓄えた鉄板の上で敢えて味付けを行わずにそのままの姿で出した野菜を始めとして、近海で獲れたばかりだという新鮮な海老や貝、そして烏賊いかといった魚介類に加え、さらに予め下拵えを済ませた上質なお肉の調理を一手に担い、私たちはその実に野性味溢れるお料理に、しばし舌鼓を打つことになった。


「こっちのお肉、もういけますよ! どんどん頂いちゃってください」

「ふふっ、じゃあまたもぉらいっと!」

「あっエフェス、さっきからお肉ばっかり食べてる! ちゃんとお野菜も一緒に食べなくちゃ駄目だよ?」

「この焼いた烏賊も美味しいですね、メル。私こんな風にして頂くのは初めてです」

「私もよ、レイラ。この野菜なんてただ焼いただけだというのに、どうしてこんなに美味しく感じるのか不思議だわ。それに、この不思議なタレに浸けるとまた別の美味しさがあって、全然飽きが来ないわよね」


 そうこうしているうちに、海の彼方に太陽を奪われた空は刻々とその姿を変容させ、揺らめく水影の中にその残照を湛えながら、この両手には抱えきれないほどに広大なこの穹窿きゅうりゅうの一面を壮麗な茜色に染め上げて行った。


「最近は陽が落ちるのも日ごとに早くなってきているように感じるわね……でも、この空に茜色が差し始めてから宵に向かうまでの移り変わりは、昔から好きなのよ。メルもそうは思わないかしら?」

「ええ、それって何だか解るがするわ。上手くは言い表せないけれど……このちょっともの寂しいところがかえって良く感じられるのよね」


 それからすっかり宵の時を迎えた砂浜には、夜の帳が次第に下り始め、太陽がくれた残照の全てを呑み込んでしまった海の色は急速にその濃さを増していき、肌を過る潮風の感触も徐々にその熱を失い始めて、食後の余韻に浸っている私たちにも一風ごとに冷たく感じられるようになってきた。


「あれ、ちょっぴり寒くなってきたかな……?」

「そうだねエフェス。メル、そろそろ私たちは着替えて来ましょうか」

「そうね。あとちょうど暗くなってきたから……とっておきのものを持っていくわ」


 それは少し前から使おうと考えていたもの。歩むことを止めない季節が夏から秋へと完全に移り変わってしまうその前に、ぜひ一度皆で楽しもうと思って調合しておいた、夜にだけ美しく咲き誇る、華麗なる花々。


「あら……? メル、その手にしている棒の束は一体なにかしら?」

「これは、私が屋敷で調合した花火棒よ。さっきエステールが炭に火を点ける時に使っていた着火器具でこの先端を少し炙ってやれば、すぐに奇麗な花が開くわ」

「これが花火、ですって……?」

「あっ、これが前にメルが言っていた持ち運びが出来る花火ってやつですね! いいですね、早速皆でやってみましょうよ!」


 エフェスも一緒に居ると言うこともあり、大人であれば言われなくても判るような簡単な注意事項だけを手短に伝えた後、エステールが持っていた着火器具を使って、皆が手にした棒花火の先にそっと火を点けた。


「わっ! すごい……棒の先っぽから光がどんどん出てくる!」

「しかもこの光、色までついて……奇麗です、とっても」

「どう、リゼ? 打ち上げ花火も壮大で良いけれど、この手にした花火だって、中々どうして趣深いものでしょう?」

「ええ、とっても素敵ですよメル! あっ、途中で色が変わりました」

「ふふっ、面白いでしょ? こうして皆で光を囲みながら、もうすぐ終わってしまう夏を見送るというのも、何だか良いわよね」

「これは実に見事なものだわ……ねぇメル、これをさらに改良して、来年の夏場にお店の商品として売り出して見るというのはどうかしら? いつかはフィルモワールにおける新たな夏の風物詩の一つになるかも知れないわよ」

「シャルってば大袈裟なんだから。けど、ぜひ他のみんなにも一緒に楽しんで欲しいから、そうしてみるのも良いわね」


 宵闇に浮かぶ空と海とに手向けた光の花たちは、その鮮やかな花弁を激しく宙へと舞い散らせながら、最後の一片まで美しく輝いて見せた。それらは悉く光のあとに一握りのうら寂しさだけを残して何処かに去っていくものの、この眼裏にはいつまでも煌き続ける想い出を置いて行ってくれるような気がした。


 例えば今日ここでリゼたちと一緒に、奇麗な光の花を沢山咲かせて、過ぎ行くこの夏を皆で見送ったという確かな記憶を。


「もう夏が、終わっちゃうんですね……何だかちょっと寂しいです」

「何をまた感慨深いことを言っているのよ、リゼ。夏が終わったらあなたの大好きな秋が本格的にやって来るじゃないの」

「はっ……そうでした、食欲の秋! 穏やかな気候の中で色づく山々に思いを馳せながら、季節の贈り物を通して生きていることの喜びをる……あの!」

「リゼ、あなたってやっぱり奥行きがあるというか、個性的で面白い人ね。真面目一徹で融通が利かなくて、中々素直になれないメルには本当にお似合いだわ」

「シャル……あなたそれ、私を貶しているのではなくって?」

「あらぁ、それは心外ね。私はこれでも誉めているつもりよ? 人間真面目が一番だもの。腹に一物を抱えていそうな貴族院の海千山千連中にも、曇り一つ無いあなたの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだもの。ねぇ、ステラ?」

「ふふ、そうですね。いつかメルさんがフィルモワールで爵位を得るようなことがあったら、シャルと二人で陛下の失脚を狙っている老獪な古狸たちに一泡吹かせてもらいたいところです」


 それからもしばらく取り留めも無い歓談に花を咲かせた私たちは、何処にでもありふれているような、しかしとても価値がある時間を皆で一緒に過ごし、色々な後始末を済ませた後に、揃って帰路へとついた。なおエフェスは思い切り遊んだ上に満腹になったことで充足感を得たのか、帰りの道中ではリゼに負ぶわれながら、その肩で実に安らかな寝息を立てていた。


 そしてやがて別荘に戻ってきた私たちは、再び会話に興じるのもよし、エフェスのようにそのまま眠りに落ちてしまうのもよし、さらに潮風を浴びた身体を温泉でもう一度清めるもよしということで、床につくまでの時間を各々の判断で過ごすことになった。レイラはお店のことで少しシャルと個人的な話があるということで、私とリゼは、一足先にお湯を頂くことにした。


「ふぅ……やはりこうしていると落ち着きますね、メル」

「ええ。それにしてもやっぱり皆とこうして過ごしていると、何だか家族で旅行に来たみたいでとっても楽しく思えたわ。ふふ、誰一人として血は繋がっていないというのに、本当に不思議なものよ」

「私も全く同感です。その、私が言うのも変な話ですが、あの子……エセルもここにいたら、きっと喜んだでしょうね」

「そうね。あの子もきっと一番に欲しかったのは……こんな時間だったのではないかしら。いつかまた会えたら、シャルにお願いした上で誘ってみましょうよ」

「はい……きっとエフェスも喜ぶと思います。ちょっと前までと今とでは、まるで事情が違いますからね……」


 私はそうしてエセルのことを思い返す中で、楽しい時間の中で忘れつつあったもの――エセルから譲り受けたリコリアの存在が、不意に頭の中を過った。


「そういえば……リゼ、そろそろあれの中身を確かめないといけないわ」

「あれって……ひょっとして、エフェスがエセルから託されたものですか?」

「そう、リコリアよ。その内容次第では、せっかく元気を取り戻したエフェスの心が、また底知れない深淵に囚われてしまうかも知れないけれど、いずれにしても避けては通れないもの、だからね」

「……ですね。明日、様子を窺いながらエフェスに力を貸してもらえるよう、お願いをしてみます」

「あなたからそうしてもらえると助かるわ。それと、もしエフェス一人では抱えきれないような事実が明らかになった時は、皆で彼女のことを支えてあげましょう」

「はい……! もちろんですとも、メル。たとえそこでどんな真実がその姿を現したとしても、私たちだけは変わらず彼女の味方で居てあげたいですからね……」


 そう言って遠くを見つめるリゼの横顔は、エフェスの親友にも姉にも、そして母親にも映って見えた。それはきっと今日レイラと共に語らった時に感じたものと同様、リゼとエフェスとが持つ血を越えた繋がりのかたちが、其処にありありと描き出されているからだと感じた。


 温泉からリゼと揃って出た後、湯上り用の外衣だけを羽織って居間の方に移動すると、居間ではまだ話を続けている様子のレイラたちが居た。


「お先にお湯を頂いてきたわ」

「あら、メルたちが戻ってきたわね。ちょうどいいわレイラ。話も一段落してきたところだし、私たちも行きましょうか。ステラもどうかしら?」

「あ、はい。もちろんご一緒しますよ」

「私たちはこのあとちょっと涼んだらもう寝室の方に行くわね。だからちょっと早いけれど、おやすみなさい」

「ええ、おやすみなさい。また明日ね」


 シャルたちは私たちと入れ替わるようにして浴場の方へと向かっていき、広々とした居間は私たち以外には誰も居なくなって、急に灯りが消えたようにしんと静まり返り、何とも言えない寂寥感に包まれ始めた。


「それにしても……これだけ広いと人が居なくなった時に何だかもの寂しさを感じてしまうわね」

「そうですね。シャルもあの取り巻きの子たちが急に居なくなった時には、ずっとこんな感覚だけに支配されていたのかもしれません」

「でもシャルの傍にはエステールが居るわ、ずっと前からね。彼女もここにきてやっと、近すぎて分からなかったその存在の大きさに気付いたようでね。これから上手くいくといいけれど」

「……彼女も、ですか。うふふっ」

「えっ? な、何?」

「いえ、何でもありませんよ。ところで今日も、既に夢の中でしょうけど……エフェスが目覚めた時に寂しくないように、もう一晩だけ一緒に居てあげようと思うのですが、いいでしょうか?」

「もちろんよ。何なら、今夜は私もリゼの反対側について眠ろうかしら」

「あっ、それはいいですね! きっとエフェスも喜びますよ……ふふ」


 しばらくしてエフェスの寝室を訪れた私たちは、穏やかな寝顔を見せる彼女を起こさないようにそっとその両脇に入り、そのまま皆で一緒に眠ることにした。まるで両親が間に我が子を挟んで、川の字になって眠るように。

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