夢幻の随に漂えば

第47話 砂海に落ちた露


 レイラに私たちの身の上に起きたこれまでの話を、それぞれが包み隠さずに語り明かしてからもう二日が経とうとしていた。駱駝の手綱を握る御者曰く、あと二時間ほどで目的地のフランベネルに到着出来るようで、陽はもう昇り始めているものの、途中にある野営地には寄らずにこのまま一気に進行してしまうとのことだった。


 それから再び話を続けていたところ、レイラから唐突に飛んで来た質問の中に面白いものがあった。それは『どうしてお二人は、剣や武術の技を出す際に、その名前を叫ぶのですか?』というもの。


 私はそれに対し、いつ何時でも全く同じ精度で技が繰り出せるようにするための、一種の自己暗示だと答え、そしてそれに加えて魔現や魔導における術においても、発動の際に重要な心象を各々で固定するために唱える文句があるのだとレイラに伝えた。ちなみにリゼの方も、それとほぼ似たような理由からだった。


 そしてそれを聞いたレイラは、自分にも何か名前の付いた弓術の技が欲しいと急に言い出して、私とリゼは思わず笑ってしまった。私は最初、技名を叫ぶことに抵抗があり、その旨を訴えたものの、師匠からは気分の問題だから好きにしろと言われて、一蹴されたことがあった。しかし師匠に倣って何度も技名を叫んでいるうちに、いつしかそうしないと技のきれが鈍ってしまうくらいになっていた。


「ははは。この砂漠を抜けたら、技の名前を考えてあげましょうよ、メル」

「ふふ、そうね。フランベネルに着けば、もう実質的にはフィルモワールの勢力圏内。ロイゲンベルクの貴族院が擁する諜報機関も、其処までいけばもう下手な手出しは出来ないはずだから」

「そうですか。なら心にちょっとゆとりが持てそうですね」


 一日も早いフィルモワールへの到達が最善の道であることに変わりはないものの、これまで私とリゼが常にその心の何処かに抱いていた、ある種の急かされるような気持ちからは漸く距離を置けるといったところ。


「それと、あっちに着いたら一度、レイラにもちゃんとした魔導の手解きをしたいものね。サルマンの屋敷に居た時はほんの少ししか出来なかったけれど、間違いなくその才能を感じたから」

「そんな……私にメルさんたちのような力まで使えるわけが……」

「謙遜は不要よ。修練すればきっと、あなたの弓術にも活かして……ん?」

「あれ? 駱駝、止まりました……よね?」


 フランベネルまでにはまだ時間を要するはず。しかし車越しに伝わって来た様子は、明らかに駱駝がその歩みを止めた事実を告げていた。


「これは、何かあったのかしら? 次の野営地は通り過ぎると言って――」

「砂嵐だ……砂嵐が来るぞ!」

「す、砂嵐⁉」


 御者の居る側に開く車窓からは、天を摩するほどまでに高く聳えた砂塵の壁が、鮮やかな暁色に彩られていた水平線上を暈しながら、津波の如く凄まじい勢いを以て、こちらに迫ってくる光景が見て取れた。


「お嬢さん方は車の中に居れば大丈夫でさぁ! あっしのことはお気になさらず、早く窓をお閉めくだせぇ」


 御者がそう言ったのも束の間、車窓から見える景色が轟音と共にみるみる濃い砂塵に覆われ、昇り始めた陽がまた落ちたかのように暗く閉ざされていくのが判る。文献などで存在自体は知っているものの、実際に遭遇するのは初めてのこと。


「す、すごい音ですけど、御者の方は大丈夫なんでしょうか?」

「それほど慌てた様子でもなく、淡々と対応していたところを見ると、やはり慣れているのでしょうね。嵐が鎮まったら改めてその様子を確かめましょう」


 レイラ曰く、アル・ラフィージャにも砂嵐が襲来することが度々あるため、町民ならある程度は落ち着いて、適切な対処が取れるようになっているとのこと。とにかく今はただ、砂塵の波が通過するのをここで待つほかない。



 ***



「どうやら、嵐は過ぎ去ったようね……もし、そちらは大丈夫かしら?」

「あっしなら大丈夫。でも近年稀にみるほどの大きな砂嵐でしたなぁ。公路が積もった砂ですっぽり覆われて、いつもの目印が隠れちまった。おまけにここから先は他に目立った岩山や砂丘もありませんで、目的地まであと少しつっても、もう一度暗くなって星が見えてから移動した方が安全でさぁ」

「そう……それは仕方ないわね」


 御者はそう言うと、先ほど通り過ぎたばかりの野営地にある目印が、まだ辛うじて見えるとのことで、そちら側に引き返すと私たちに告げた。


「もう一度暗くなるまでは下手に動けない感じでしょうか? 目的地まであと少しといっても、やはり目印が見えないとなると、慎重にならざるを得ませんね」


 ――人にただ運んで貰っているだけで忘れがちだけれど、ここは砂漠。

 一歩間違えばすぐ先に死がある危険な場所。安全に越したことはないわね。


「ん……どうやら野営地に着いたみたいね。ここで私たちも気分転換に一度、外に出るのはどうかしら。何なら野営地で天幕を張る手伝いでもしましょうよ」

「あっ、メル。陽がまだ低いとはいえ、外は結構な暑さになりますよ?」

「少しくらいなら大丈夫よ。ほら、レイラも」

「はい。リゼも一緒に行きましょう」


 外は見渡す限りの砂の海。空の頂は底抜けの青を湛えながらも、先の嵐の余韻と言うべきか、砂塵の残滓が方々に滞留しながら地平を俄かに暈している。


「改めて見るとすごい光景ね。そして私は当初、こんなところを自分たちだけで渡ろうとしていたわけだけれど……どう思う、リゼ?」

「正直に申し上げて、無謀……といったところでしょうか。公路にあるという目印というのも、きっと私たちだけではまともに捉えられなかった気がします」

「ふふ……そうね。あら? このきらきらしたものは……?」

「ん? 何でしょう、これ……砂というわけでも無いですし」

「ねぇレイラ、あなた、これが何だか判るかしら?」

「いえ、こんなものはこれまでに見たことが……」


 何処からか風に乗って流れてくる、小さな煌きの粒。

 白雲母しろうんもにしては、その輝きが大き過ぎるような気がする。

 これが一体何なのか、あの御者なら知っているかもしれない。


「あの御者なら何か知っているかも知れないわね。後学のためにも訊いて――」

「う……ん……」

 

 ドサッ。

 レイラが何の前触れもなく、突然地面に倒れ込んだ。

 この状況からして、サソリに刺されたというわけでも無い。


「レイラ? あなた、一体どうしたの⁉」

「…………」

「ねぇ、リゼ! この子はどうして――」

「……っ」


 バサッ。

 リゼに視線を向けた瞬間、今度は彼女が砂上に崩れた。

 腕の中にいるレイラ共々、何一つ今の状況が呑み込めない。


「リ、リゼ! これは……何が起きて……ん……」


 視界が急速に歪み始め、眼前に横たわっていたはずのリゼが遠のいてゆく。

 五感は既に失われ、自身が今、立っているのか座っているのかも分からない。


「だめ……こんな、ところ……で……」


 身体が鉛のように重くなり、砂中に沈み込んでいくような感覚。

 しかしそれに抗うための力はもはや無く、全ては暗闇の中に没した。

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