第15話 交渉の手札


 町の東側にある一角、そこは一際高い生垣に四方を囲まれた場所。

 正面に見える大層な門扉越しには、煉瓦造りの瀟洒な屋敷の一部が確認できる。

 そして門前の左右に屹立して並ぶ、あの二人の男性は、きっと門番に違いない。


「ん……そちらの者たち、当屋敷に何か用か?」

「はい。私は……北方の国、アルデランドから参りましたエミーリアと申します。この度は突然の来訪に際し、大変なご無礼を承知で申し上げますが、本日はグラウ運河の利用許可に関しまして、ザールシュテット伯に拝謁を賜りたく、こちらへ伺った次第であります。つきましては、どうかお取次ぎをお願いいたします」


「では、しばしこちらで待たれよ」


 ――この反応、どうやら一方的な門前払いだけは避けられたようね。

 問題はこの後、滞りなくザールシュテット伯との謁見が叶えばいいのだけれど。

 でも果たしてそれほど上手く、こちらの思惑通りにことが運ぶのかしらね……。


「謁見が認められた。このまま進み、案内役の後に付いていくがいい」

「あ……ご厚情、痛み入ります」


 ――これは望外。ここまですんなりと謁見の機会が得られるとは。


 あとは交渉する余地さえあれば、思いのほか早くにグラウ運河を利用して、フィルモワールへと渡れるかもしれない。まぁ、さすがにそこまで簡単にはいかないでしょうけれど。


「それではお嬢様方、ご案内いたします。保安上の理由から、刀剣類はここで一時お預かりさせて頂きますが、あしからず」


 ――それにしても、隅々に渡って実に濃やかな手入れがされた庭園だこと。

 広大な花圃で揺れている鮮やかな花々にも、管理が行き届いているのが判る。

 中央にある噴水から漂う水気が、この時節にあっても潤いを与えてくれるよう。


「とても素敵な庭園ですね、メ……エミリー」

「ええ。ここでは花の一輪でさえも、分け隔てなく愛でられているようね」


 リゼとは事前に考えた偽名で呼び合うことにしていたものの、彼女が早速その名前を言い間違えそうになっていたのを聞いて、私は少しだけ不安になった。



 ***



「では、こちらで少々お待ちくださいませ」


 屋敷の中も外と違わず、秀麗な内装に彩られていて、そして技巧の粋が感じられる調度品が、適度な間隔を以て過不足なく配置されている。まるで空間までもが一つの美術品として考慮されているような感覚を覚えるほどに。


 新興貴族は概して、これ見よがしとばかりに立錐の余地もないほど、豪奢な品々で空白を埋め尽くすものだけれど、どうやらここの家はその趣きが違う様子。


「初めまして、お嬢さん方。私がクリストハルト・ツー・ザールシュテット。病に臥せった父に代わり、現在この町をはじめとした地域の一帯と運河とを治めている」


 ――色素の薄い金の髪に、川蝉の羽が照り映えたかのような明眸。

 端麗な長身瘦躯から漂ってくる馥郁とした芳香は、きっと鈴雪草の花。

 この相貌からすると、年齢は私とそれほど離れていないようにも思える。


「こちらこそ、お初にお目にかかります。私はエミーリア・ノイエンビュッテルと申します。こちらは従者のルイーゼ・ゴルトベルガー。この度はこちらの一方的な訪問にも関わらず拝謁を賜り、本当に感謝の言葉もございません」

「遠くからはるばる来たという、こんなにも見目麗しい女性を二人も、にべも無く門前払いにするのはあまりに薄情というものだ。さぁ、どうぞ掛けたまえ」


 ――ということは、もしも私たちが揃って男性だったら、軽くあしらわれていたのかしら。まぁ、おかげで話をする機会が得られたのだから、文句は無いけれど。


「それで、君たちはどうしてこちらへ? 何でも使いの者によれば、グラウ運河を渡りたいとのことだが」

「はい。私共はわけあって、早急にフィルモワールへと渡らなくてはならないのですが、つきましては運河を管理されているザールシュテット伯に、水路の利用許可を賜りたく、こちらへ伺った次第です」

「ふむ。君の従者はルイーゼといったか……彼女、一人だけなのかい?」

「はい。従者は彼女一人のみです」

「なるほど。きっとそれだけ腕が立つということだね」


 ――本来は、私独りの予定だった、とは言えないわね。


「しかし女性のみの二人旅とは、常ならない訳があるようだね。それに君が持っていたあの剣、あれはとても平民が持てるような代物ではないと見た。もっとも、君自身から漂う高貴な気配……それは中々隠せるようなものではないよ」


 ――やはり、あの壮麗な庭園を造らせているだけのことはあるようだわ。

 このまま話を続ければ、知らずの内に全てを露わにされてしまうかもしれない。

 少々強引であっても、話の焦点が本題から逸れないようにしなくては。


「さすがはこの地を治められている御方、見事なご慧眼です。時に、今この町では、妖魔と思しき人さらいが出没しているという話を巷で耳にしましたが、それは事実なのでしょうか?」

「この町に来たばかりだというのに、随分と耳聡いようだね。いかにも、市井しせいでも既に話が知れ渡っているようだが、ここ最近、町の若い娘――特に君たちのような年頃の女性が相次いで失踪している。数少ない目撃者の証言からして、どうやら妖魔の仕業であるらしいのだが、まだ詳しいことは何一つ判っていないのだ」

「それでは、私共がその件を調査するというのはどうでしょうか。幸い私共は、妖魔に対する対処能力も持ち合わせております。そしてその真相を究明した暁には、何卒、ご高配を……」

「ふむ……」


 ――さすがに、いささか強引が過ぎたかしら。

 ここは一旦、退いて見せることも考えて――


「いいだろう。この町の者ではない君たちに委ねるのは、いささか気が引けるが、これ以上こちらが手をこまねいているわけにもいかない一件だ。どうかよろしく頼むよ」


 ――また、すんなりと。ここまで上手く話が進むと、何だか怖いくらいね。


 ともあれ運河を渡るための手蔓を掴むことは出来た。

 ここからは私たちの成果次第、ということになる。

 まずは事件解決のための糸口を見つけなくては。

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