近くて遠い道の先

第55話 遭遇


「あのぉ……すみません、少し道を教えていただいてもよろしいでしょうか?」

「えっ? あっ、はい」


 皆でいよいよ橋を渡ろうとした時、近くの岩陰から急に現れた女性に道を訊ねられて、少し驚いた。彼女が手に携えた地図を指差しながら示している場所はおそらく、先ほどまで私たちが訪れていたポルカーナの町だった。

 目の前の橋を渡ってわけでもなかったため、どうやらその女性はこの谷の切れ間に沿そって歩いてきた様子だった。


「ああ、この町ならついさっきまで居ましたから分かります。えっと……私たちが来たこの道をしばらく道なりに歩けば、難なく辿り着けますよ」

「そうですか……親切に教えていただき、ありがとうございます」

「いえいえ、困った時はお互い様ですから……ん?」


 その瞬間。頭を下げた女性の足が、僅かに動いた。

 そしてその挙動は、抜剣術において行う足の捌き方に、とても良く似ていた。


「ふっ!」

「……くっ」


 交わる刃から発せられた、けたたましい金属音と散る花火。


 ほんの僅かでも反応が遅れていれば、相手の白刃がこの身を穿っていたに違いない。眼前に立つこの人物は間違いなく、私たちに向けて放たれた、刺客。

 リゼもその瞬間に彼女が発した異様な雰囲気を察したようで、咄嗟に傍らに立っていたレイラを身体ごと奪うように抱えながら後方に飛び、距離を取った。


「いきなりとは、随分なご挨拶ね。それともそれは、あなたの国ならではの作法なのかしら?」

「問答、無用……!」


 刺客が両手に抱える短剣が見せる淀みの無い剣筋は、見紛うこと無き、人を殺めるための術技。牽制も交えながら、確実にこちらの急所を仕留めるべく、こちらに畳みかけるようにして間断なく刃を浴びせてくる。


「確かに、刺客として放たれただけはあるようだけれど、こんな児戯で私をどうにか出来ると思っているなら……随分と甘く、見られたものね!」

「あっ!」


 相手の短剣を刃ごと断ち切り、その爪を削ぐ。しかし刺客は次いで、異国の武具と思しき小さな両刃の剣をこちらに投擲し始めた。


「ふっ! はっ! でやっ!」

「なっ……⁉」


 その全てを避けるでも無く、敢えて彼女の目の前で落として見せた。

 彼我の力量差を思い知らせるには、これが最も有効であるはず。

 私は無意味な命のやり取りなどするつもりは微塵ほどもない。


「まだ続けるつもり? 一人で向かってきた潔さは認めるけれど、これ以上は本当に、あなたの命がどうなるか保証できないわよ」

「一人……? ふ、ふっふっふ……」


 眼前でそう不気味にほほ笑んだ刺客は、懐中から小さな呼子笛のようなものを取り出すや否や、耳を劈くような高い音を周囲に響かせた。


「はっ、何か飛んで来ます!」

「くっ!」


 リゼの声が届くとほぼ同時に、八方から雨霰のように飛来したものは、魔現によって紡がれたに違いない、夥しい数の炎弾。しかし、かつて私が天覧試合でイングリートに浴びせかけられた量に比べれば、まだ何処か甘さがあるように感じられる。


「ふ……こんなもの、当たらないわよ」


 そうこうしているうちに、何処からか現れた黒い装束に身を包んだ複数の人影が、橋の前を塞ぐようにして立ち並び、その内の一人が最初に刃を向けた女性と入れ替わるようにして、こちらに近づいてきた。


「メルセデス・フォン・ラウシェンバッハ、だな」

「あら、それはとんだ人違いね。私は名字など持っていなくてよ?」

「……聞いていた数とは違うが、其処に居る侍女と共に概ね人相書きの通り。そして何よりその剣技こそが、メルセデス本人であることを如実に証明している」


 正面に立つ女性に加え、橋の前に三人、二時の方向にある岩に先ほど炎弾を放ったであろう魔現士マジシャンと思しき気配が三つ、そして五時の方向、リゼの後ろ側に三名。

 ここから見える範囲だけで計十名。他にもまだ潜んでいる可能性がある。


「それで……仮に私がそのメルセデスだったら、一体どうするというのかしら?」

「メルセデス・フォン・ラウシェンバッハは、ロイゲンベルクにおける貴族の品位そのものを貶めた不敬の罪に加え、今後国内に極めて重大な不利益を齎す不穏分子として貴族院から正式に認定された」


「……不穏、分子? はは、それはまたすごいわね。貴族の名をくたしたことが、いわば国王陛下に対する背信行為――大逆罪として処断されたわけよね。で、あなたたちはそのメルセデス何とかとやらを抹殺するとでも?」

「その通りだ」

「ふ……ふっふ、あっはっはっは!」


 ――やはりお父様は私に対して、何の情愛も施しては下さらなかったのね。

 その可能性には欠片ほども期待していなかったけれど、これこそが現実。

 元は伯爵家の令嬢が、今やロイゲンベルクの国家に仇をなす大罪人。

 

 たかが家名を捨てて飛び出しただけで、抹殺。

 これが笑わずにいられるとでも?

 本当に、傑作だわ!


「な、何がおかしい!」

「いえ、そのメルセデスって人は、つくづく大変だなと思ってね」

「まるで他人事のように聞こえるが……?」

「安心なさい、私は確かにメルセデスよ……? ただの……ねぇ!」

「――っ!」


 ――この速度でも反応が出来るのは流石、と言ったところね。

 しかし剣身は止められても、こちらのほうはどうかしら?


飛鞘槌旋牙シャイデ・ブリッツェン

「かふぅあ!」


 一人、落ちた。あと九人。


「なっ……なんて速度なの……! しかも、鞘の身だけで……?」

「今のが正真正銘、エーデルベルタの剣技よ。さっきこの人、ただの剣捌きを技扱いしていたから、お試しに一つだけ技を見せてあげたの。まともに喰らっても死にはしないやつをね。さ、お次は誰かしら?」


 ――話に聞いただけで知っている気になっている連中には、この私が直に教えて差し上げましょう。師匠から授かった、自らを生かし、また活かすための力を。

 そしてまた、この私がただのメルセデスであるということも……ね。

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