第27話 扉の奥の向こう側


「あら……これは、狭い通路から広い空間に出たようね」

「しかし暗くて奥までは見えませんね。ひとまずここの燭台に火を――」

「待ってリゼ、火が……!」

「これは、火が動いて、他に伝わっている……?」


 壁面から腕木で突き出た燭台に、リゼが灯した火が何かを伝って壁面を渡り始め、間もなく別の燭台に光をもたらすと、さらにそこからまた他方へと伝わっていき、火は絶えることなく次の燭台へと移っていく。


 そしてそれが連綿と繰り返されていく中で、あれほど深い闇に包まれていた空間が、次第に明らかになっていくのが見て取れる。


「随分と明るくなって……ん? リゼ、上を見て!」

「えっ? あれはもしかして吊り、牢……?」


 ――この広い空間の最上部、半球形状の天井からは、上から鎖で繋がれた、円筒の形をした吊り牢が幾つも見える。実に異様な光景。


 そしてその中心に、一際太い鎖で繋がれているのは、他のどれよりも大きな箱型の吊り牢……それはまるで宙に釘で留められたかのように、微動だにしていない。

 けれど、その牢中に見える黒い影のようなものは……人かしら?


「そこに誰か居るの? もし私の声が聞こえているのなら返事をして頂戴」

「お……おぉ……誰……だ?」


 返って来たのは、年配と思しき男性の、今にも消え入りそうな弱々しい声。

 一体どんな理由があって、ここに囚われているのかはまるで見当もつかない。


「私は……エミーリアという者。ここは、ザールシュテット伯の屋敷、その地下よ。あなたは一体誰で、どのような理由があって、そこに囚われているのかしら?」

「我が名は、オスヴァルト……オスヴァルト・ツー・ザールシュテット」

「……ザールシュテット、ですって? まさか、あなたは!」

「左様……愚息、クリストハルトは、ある時を境に狂気の底なし沼へと落ち、それを咎めた私をここに閉ざしおった。そしてたがが外れたあやつは、人の身でありながら妖魔に取り憑かれたかのように、日夜おぞましい行為に手を染めている……されど、もはや今の私に、あやつの蛮行を止める術はない」

「やはりあなたは彼のお父上……前領主様、なのですね……」


 ――先に彼、クリストハルトと話した際には、父親が重い病から長らく病床に臥せっていて、私たちを招いた食事の席にも、顔を出せずにいたと語っていたけれど、ここにこうして吊るされていては、確かにそれどころではなかったわけね。


「リゼ、何とかしてあの吊り牢を安全に下へと降ろして、彼を救出しなくては……きっとこの部屋のどこかに、あれを動かすための仕掛けがあるはずよ」

「分かりました。手分けしてすぐに見つけましょう」


 真実を偽ってその爵位を騙り、常軌を逸した所業に耽る裏で、ここに実の父親を幽閉していたことが明るみになれば、彼は即座にその地位を追われ、そしてその重大な背信行為により、厳罰に処されることは免れ得ない。


 ――もしも今、彼がこちらの侵入に気が付いていたとしたら、私たちを亡き者とするべく、いかなる手段にも打って出るはず。ここは可能な限り速やかに、牢中のオスヴァルトを救出して、屋敷の敷地内から離れる必要がある。


「見てくださいメル、こちらにハンドルのようなものがあります。きっとこれが牢を動かす仕掛けではないでしょうか?」

「どうやらそのようね。良いわ、慎重に回してみて貰えるかしら」


 ハンドルの回転に合わせて、何かが連動して駆動しているのが音から判る。

 しかし、この音が伝わってくる方向は、上からではないような気が……。


「何だか妙ね……金属の摩擦音らしきものは聞こえるのに、吊り牢がまるでこちらに降りてくる気配がないわ。リゼ、一旦回すのを止めて――」

「おやおやおやおや……これは、これは」

「この声は……クリストハルト!」

「なっ……!」


 入り口があった方向の壁面上部に、鉄格子のついた窓のようなものが見える。

 その奥までは暗くてよく見えないながらも、声は確かに上から降って来た。

 となればきっとあそこに今、クリストハルトが居て、こちらを観ている。


「あなた……こんなことをして、一体どういうつもりなのかしら」

「そこに囚われている男は私の父上でも何でもない。つまり、ただの虚言だ。君たちに牢から出して貰いたいがために、妄言を吐いているに過ぎない」

「何ですって……?」


 確かに、牢中の男が本当に彼の父親であることが確認出来る証左は何もない。

 しかし、この地下で私たちが目にしたものは、明らかに異常な光景だった。


「君たちこそこれは、どういうことかね。この地下は極めて私的な空間、ここへの立ち入り許可を与えた覚えはないが、不法侵入という事実は認識しているのかい?」

「不法も何も、ここを確かめるのが一番の目的だったのよ。あなたが先の失踪事件に絡んでいる証拠は掴んでいたからね。そして実際に地下には、死体置き場のような部屋にこの吊り牢……これらについて、あなたは私たちや町民に、納得のいく説明が出来るのかしら?」

「ふ……それは君たちが知る必要の無いことだ。何故なら君たちは既に、開けてはならない扉を自ら開けてしまったのだからね。後ろをよく見てみるがいい」

「後ろ……?」


 ――よく見れば、部屋の奥には既に半分以上まで開いた大きな扉が……吊り牢に気を取られていて気付かなかったけれど、さっきのハンドルはあれを開くためのものだったというの? 一体あの奥に、何があるというのかしら……。

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