第26話 見えざる陰のその下で
「ここは、どうやらワインの貯蔵庫……ってわけでもなさそうね」
行けども行けども、何もない。ただの闇溜まりとも言える。
本来であれば、
今はまだ、奥へと続く通路の存在そのものが解せない。
「本当に薄気味が悪い場所ですね。一体ここに何が……ひっ!」
「何? どうしたの?」
「いや、あの……
「ふ……行くわよ」
地下通路自体は、リゼにも絡みついた蜘蛛の巣が所々にあるものの、崩落したような場所は未だ見られず、むしろ綺麗な様相。かつて何かで使用していたものの、今では全く使われなくなった、という場合なら普通、何かしらの痕跡が見られるはず。
そして何より、建物の入り口にあった、小さな扉には不釣り合いなほどに大きな、しかもまだ付けられてそれほど長くないと思われる錠前の存在も気になる。本当に何もない場所であれば、わざわざそんな錠を付ける必要などあるはずがない。
「分かれ道はないようね。このまま進んでいけば、いずれ……あら?」
通路のずっと先の方に、薄っすらと明かりが漏れているような場所が見える。
この感じからすれば、覗き穴のようなものが空いた扉があるのかもしれない。
「……やはり、そうだわ。この先に何かがあるのね。ちょっと覗いてみないと」
扉の向こう側には、大小様々な硝子の容器が数多く並べられているものの……その内容は室内に満ちている、赤が強い光の色もあってか、どうにも判別がし難い。
「ここは入ってみるしかなさそうね。鍵は……掛かっていないようだわ。リゼ、あなたこの穴から中を見て、私が内側から合図を出すのが見えたら入って来なさい」
「分かりました」
赤く照らされた室内に所狭しと並んでいるものは、生物の標本と思しき何か。
それは生物そのものなのか、あるいはその内臓や組織の一部なのか、容易には判断が出来ないほど歪な存在が、保存液と思しきものの中で怪しく浮かんでいる。
「一体何なのかしら……これは」
――伯爵は、法の下では禁じられている何かをここで行っていたのかもしれない。
部屋の奥へと進めば進むほど、私を取り囲むように佇んでいる硝子容器の中身が、そう物語っているように思えてならない。
何を隠そう、今この目の前にある標本は、出生してまだ間も無かったであろう
「あら? 奥の方に、さらに扉が……?」
――分厚そうな鉄の扉。剥げ落ちた表面を蝕む錆が、その古さを強く感じさせる。荒い手触りのする取っ手を引き、鉄板に宛がった手を前に押し出せば、蝶番が軋みを上げながらも私をその中へと招き入れてくれるようで。
リゼを入り口で待たせたままだけれど、ここはもう、進むほかに道はない。
「……うっ! これ……は……」
鼻腔を貫き脳天を突き破らんとするものは……目に沁みるほどの猛烈な異臭。
室内に充満した、この吐き気を催す臭気は、一体どこから発せられて――
「何、これは……一部ミイラ化しているように見えるけれど……人、かしら」
眼前にあるこの黒々とした物体は、死後から相当な時間の経過を感じさせる亡骸。
それも上半身だけと思われるもので、随所が著しく破損して原型を留めていない。
こうなってしまっては、それが人だったのか妖魔だったのか、判別する術もない。
「おまけに……あるのは一つや二つではないようね」
部屋中に視線を巡らせれば、一定の間隔で並んでいる寝台のようなものの上に、これと同じようなものが散在しているのが見て取れ、中には腹部だけを綺麗に刳り抜かれている形をした遺骸もあり、極めて異様な様相を呈している。
「ここから別の部屋に通じる扉は……無いわね。ひとまずここから出ましょう」
あのような場所に長くいては、こちらの意識まで朦朧としてきてしまう。
ここは一度リゼも中に招き入れて、さらに室内を調べる必要がある。
***
「あのメル、さっきから何だか妙な臭いがするのですが……?」
「どうやら……少し染み付いてしまったようね。実は、この奥に死体置き場のような部屋があったのよ。あなたは、入らない方が良いわ」
「えっ……? 死体置き場って……」
「ここにはきっと、まだ何かが隠されている気がしてならないの。あなたもこの部屋の中に妙なものが無いかどうか、探すのを手伝って頂戴」
一見したところ、この部屋から別の部屋に通じる扉は、先ほどの鉄扉を除いて他には見当たらなかった。しかし、私のお母様の私室がそうであったように、室内の何処かに別の通路への入り口が隠されている可能性は否めない。
「ん……すみませんメル、ちょっとこちらへ来て頂いてもいいですか?」
「どうしたのリゼ、何か見つけたのかしら?」
「そういうわけではないのですが、ここ……歩いた時に何だか違和感があって」
「違和感ですって? どれ……」
それは、様々な書類が散乱した作業台の前に置かれた椅子の近く、その床面。
薄い敷物越しに足を置くと、何かの上に乗っているような感覚が微かにある。
一度この敷物を捲って、その下に何かが隠されていないか、確かめなくては。
「では、
「な……メル、これは」
「ふむ……また、下に降りる階段があるわね。ここは行ってみるしかないわ」
――それはさながら、さらなる深淵へと誘う奈落への入り口でもあるようで。
濃さを増した闇の中で、歩を進める度に全身を包み込む不気味な気配は、ここに何かが確かに潜んで居ることを、私たち二人に告げているように思えてならない。
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