第28話 人が創りし悪夢の化身


「妖気……いえ、違う。けどこの重々しい気配は一体……?」

「気を付けてください……何かが、こちらに来ます!」

「あれは……何? 頭らしきものが、三つ……?」


 半ば腐敗した黒い輪郭線は、獅子のように雄々しく。

 剥げ落ちた羽毛の残滓からは、堅強な嘴が閃いて。

 乾き果てた頭蓋が戴くものは、歪な二つの尖角。


「いえ……それでもまだ、足りないようです」

 

 怪牛のように著しく発達したその巨躯からは、所々に骨と思しき墨色のものが覗いて見え、さらに後背の末端からは、大蛇のように太く蜿蜒えんえんと伸びる、尾のようなものが見て取れる。

 しかし、周囲の火から漏れ伝わる明かりで洗われたそれは、尾ではなく――


「四つ目の頭……」

「それは、旧時代の錬金術を部分的に再現した上で造られた合成獣キマイラ、の成れの果てだよ。だがその復元技術はまだ不完全でね、埃を被った文献に度々登場する原型には遠く及ばない。だがその力は私でも持て余していたところだ」

「合成獣、ですって……?」


 ――合成獣。私も歴史の授業やお母様の部屋にあった錬金術の文献などで、その名称を目にしたことは何度かある。それらによれば旧時代、錬金術が隆盛を極めていたとされる頃、私たちが今居る大陸全土を巻き込む規模での大戦があったと。


 そしてその時、当時の錬金術や魔導学を用いて創られたのが合成獣という化物。


 今では失われた技術により、自然界の動物を妖獣化させ、さらにそれを異種間で融合させることで驚異的な力を持つ新生物を創造し、それは実際の戦場においても対人用の兵器として使用されたことがあると。


「しかしこんなものを……どうしてあなたが?」

「さぁ、どうしてかな。まぁそれは、死の舞踏でも踊りながらじっくり考えるといいさ。あれは今、どうやら新鮮な血肉を欲しているようだからね」

「……すぐに構えてください、来ます!」

「くっ!」


 ――あの巨体から、これほどの瞬発性と敏捷性が生み出されるものだとは。

 まずは一定の間合いを維持しながら、相手の攻撃方法を見極めた上で、反撃の機会を慎重に窺う必要があるわね。下手な先制攻撃はかえって危険だわ。


「ん……この動き、まさか四つの頭が各々の死角を補っている……?」


 この化物、ああ見えて判断力や思考力といった、人間の知性に近いものを持っているのかもしれない。左右の頭は側面のそれぞれを、正面の頭は前方を、そして後の頭は後方に対して広く注意を払っているように見える。


「メル、私が接近して左側に注意を引き付けます!」

「分かったわ、そちらは頼んだわよ!」


 ――確かにリゼの身のこなしをもってすれば、相手の迎撃を掻い潜りながら、隙を作ることが出来るはず。あとは私がこのリベラディウスで――


「な……うあっ! あ、危ない……」

「あれは、火炎の噴射……!」


 黒獅子のような頭から突如として噴射された猛炎が、空間を酷く揺らめかせながらリゼの身を掠めた。いかに魔素で身体能力を強化していようと、あれの直撃を受ければ無事では済まない。それに今の攻撃には、予備動作と呼べるような挙動がほとんど見受けられなかった。


 それはつまり、いつどの瞬間であのような攻撃が繰り出されても全く不思議ではないということを意味している。

 

「凄まじい火炎がうねりながら伸びていって……かなりの広範囲に――」

「メル、立ち止まらないで! 鳥頭がそっちを向いています!」

「……っ! ふっ!」


 ――今のは紙一重。リゼの声もあって反射的に身体が動いたのが奏功した。

 しかし私の身体が四半秒前まであった場所が、ほんの一瞬で凍結している。

 仮に反応が少しでも遅れていたならば、どうなっていたか想像がつかない。


「なるほど……こっちは瞬く間に相手を氷漬けにする白魔ってところね。全くよく出来ていること。けれど、あの感じなら……」


 ――鳥頭が放った凍風はリゼに向けられた炎と違って、範囲はより広いけれど、吹き付けてくる風の圧自体はそれほど高くないように思える。ならば――


「正面から、切り裂く」


 あの容貌からして、生半可な攻撃ではおそらく損害を与えられそうにもない。

 しかも相手は、全距離に対応可能で、防御にもなりうる攻撃を行ってくる。

 ならばこちらから一気に仕掛けて、刃圏の内側に鳥頭を引きずり込む。


「来た……凰牙断空閃シュウォングフェーデルン!」


 この神速の刃は進行方向に真空を生み出し、相対する風の悉くを無に帰す。

 有効距離は決して長くはないものの、相手に届く距離まで接近するには十分。


「捉え――」


 左側面から襲来した鈍重な衝撃。それは弓のように湾曲した体の隅々にまで伝播し、諸々の骨が軋みをあげながら、脳裏に鋭利な痛みを描いて見せた。


「ぐっ……!」

「メル!」


 舌が告げるものは、長く久しい鉄の味。

 どうやら蛇頭からの一撃を脇腹に受けた。

 骨の何本かはひび割れているかもしれない。


「ぺっ……見た目に反して、鞭のようにしなってくるとはね……全く」


 しかし脳よりも先に、身体に沁み込んでいた動きが勝手に再現されている。

 おかげで、本来被るはずだった十の損害を六ほどに減じることは出来た。


「ふ……やはり、中々に儘ならない相手のようね」


 相手は常に攻防一体の動きを見せてくる。

 しかしどこかに付け入る隙はあるはず。

 もし無いなら、自ら作り出すまで。

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