幕間 第16話 輝く時間の中で
「へぇ……ここがそうなのね。エクァン・ド・ルーヴ・シュクレ……か」
「どういう意味なんでしょう? 流石にこの国の旧語までは――」
「そうね、砂糖のように甘い……夢の宝石箱ってところかしら」
「えっ、そういう意味なんですか? こんなのまで解るなんて、流石メルです」
「錬金術関連の書物はどれも古くて、異国の旧語も入り交じっていることが多くてね……まぁ、ほんの少しその読み書きに明るいだけで、発音なんてきっと全然駄目だわ。さ、それより早く中に入りましょ」
それから間もなく給仕の人に窓際の席へと案内された私とメルは、早速お店のお品書きにそれぞれ目を通した。その中にはブラマンジェやタルト・タタン、そしてフォンダント・ショコラなどという名前が付いたこの国独自の甘味があるようで、またそれらが一体どんなお菓子なのか、挿絵を交えた紹介もなされていた。
メルはクレープ・シュゼットという甘味に興味を持ったようで。その説明書きからすると、芳醇で瑞々しいオレンジのソースで煮込んだ絹のようになめらかなクレープの生地に、美の都グランフィリエ名産の度数の高いお酒を掛けた上で火を放ち、フランベという技法によってお酒の香りだけをそこに纏わせることで、極めて爽やかで香り高く、またさらにその隣に添えられたクレーム・グラッセという、卵黄と砂糖に泡立てたクリームを混ぜたものを型に入れて凍らせた氷菓と一緒に頂くことで、温と冷両方の味わいを楽しむことが出来ると示されていた。
メルはその後も色々と見比べては悩んでいる素振りを見せながらも、最終的にはその甘味を注文することに決めたようだった。
その一方で私は、パッフェと言われるものに興味が湧いた。それは、背の高い硝子容器の中に収めたクレーム・グラッセと生クリームやカスタードなどを主体として、そこに旬の果物類をそのままのかたちでふんだんに加え、さらにその上から甘いチョコレートや果実のソースを注いだという、ひんやりとした冷たさが心地良い甘味で、今の季節には特にぴったりであるように思えた。ちなみに、それらのものが贅沢にも一所に詰め込まれているところから、パッフェとは現地の旧語で「完璧」という意味が冠された名前であるようだった。
しかもそのパッフェという甘味には他にも特定の果物やチョコレートを主役に据えたものや、あるいはプリンを添えたものなど実に様々な形態があるようで、私はその中からちょうど今が旬の時期だという苺を主演に迎えた、パッフェ・ア・ラ・フレーズというものを選ぶことにした。
なお、飲み物にも数多くの選択肢があったものの、私はメルが頼もうとしていた、すっきりとした檸檬の果汁に甘い蜂蜜や砂糖などを加えたものを冷たい炭酸水で割ったという、リモナードなる飲み物を注文することに決めた。
それからややあって、給仕の人が私たちのもとに注文した甘味と飲み物とを運んできてくれたのも束の間、私たちは想像以上に美味しそうな見た目をしたその実物の姿を前にして、思わず声にならない感嘆の吐息を漏らした。
「わぁ……しかし、これは思っていたよりも……」
「ええ。とっても美味しそうだわ……ふふ」
――これは、思った以上の……! 思わず笑いが出て来ちゃう。
でもきっとメルなら、私にとても濃ゆい感想を伝えてきそう。
例えばこれを、メル風に言うなら……。
旬だという苺は
そうしてこの双眸を通し、存分にその素晴らしさを楽しんだあと、いよいよ手にしたスプーンでそのパッフェを一口、自身の口内へと迎え入れた。
そこには、蕩けるようにふわふわとした優しい甘さと、搾りたての牛乳から香り立つような濃厚な風味が、太陽の光を存分に蓄えた苺が誇る爽やかな酸味と相まって絶妙な調和をみせ、恰も舌の先から喉の奥に至るまでの道のりに美しい花を咲かせるかの如く、実に見事な協奏曲を私の中で響かせているようだった。
そして最後に、檸檬の果汁を湛えたこのリモナードを口の中に満たせば、其処に程よく残っていた甘味の余韻が、一陣の冷涼な風に攫われていくかのようにすっきりと爽やいでいき、最初の一口で得たあの喜びを再び噛み締めることさえも叶うに違いないと感じた。
……みたいな感じで。でも私もメルと色々な国のお料理を一緒に食べているうちに、食べ物に対する感想が前よりもどんどん濃ゆくなってきているような? 私個人としては、とっても美味しいの一言に尽きるけど。
きっとメルと一緒だから、より一層美味しく感じるんだろうけど……ね。
「んん、美味しいですよメル……いやぁ、世界にはまだまだこんな素敵な甘味があるものなんですねぇ」
「ふふふっ、そうね。思わず笑顔になっちゃうわ。人前で少しはしたないかも知れないけれど、もし良かったらこちらと食べ比べをしてみるのはどうかしら?」
「あっ、良いですねそれ! ぜひやりましょう! ではメル、口を開けてあぁんってしてください」
「えっと……あぁん……」
「ふふ……はい」
私からの一口を受け取ったメルは、閉じていた蕾がぱっと花開いたかのような明るい笑みを浮かべながらその見事な味わいを満面で表現していて、それを見た私は、そうでしょうと言わんばかりの顔で応えながら、何度も細かく頷いて見せた。
「能書きはもはや無用と言った感じだわ……あなた、良い選択をしたわね」
「お……そう来ましたか。けど本当これを選んで正解だったと思います」
「では、今度は私の番かしら。ほらリゼ、口を開けて頂戴」
「はい、あぁん……」
私は当初、オレンジソースで煮込まれているということで、全体的にさっぱりとした風味を予想していたものの、舌に触れれば綿あめのように溶けてゆくほどに柔らかで温かいクレープの生地からは、さながら捥ぎたてのオレンジから搾った果汁を濃縮したかのような、非常にこくのある深い味わいがあり、またそれがオレンジの果皮を想わせる心地よい苦みや清涼な香味などと見事に共鳴し合って、このまま頬が蕩けて落ちてしまいそうになる。そして同じ皿に添えられたクレーム・グラッセの優しい甘味と冷たい感触がその味わいに更なる彩りを加え、私はまるでこの口の中に七色の虹が架かったかのような感覚すら覚えた。
私が食べたパルフェとはまた趣きが違う、その素晴らしさを敢えて一言で表すなら、この私が図らずもまたメルになってしまうほど、本当に美味しい甘味だったと言える。それにちょっと前までなら、こうしてメルと間接的な口づけを交わしたことを意識しただけで、きっとこの味ですらも頭に入って来なかったように思える。
そういった意味では、以前より少しは成長できたのかも知れない。それはメルの隣に居る者として、ちょっぴり大きくなれたような、そんな感じだった。
***
そうして心身共に甘く感じられた一時を過ごした私はメルと一緒に店をあとにし、もう一か所、一人で暗い街なかを走り回っていた時に偶然見かけた、装飾品を扱っているお店に向かって歩き出した。私にはメルが、先に甘味を食べながら色々と話をしている中で、ふと私がそのことを話題に出した時に、ぜひ其処に行ってみたいと言ってくれたのが何気に嬉しかった。きっと他にも見て回れるような場所が色々とあるにもかかわらず、この私が提案した場所をまた一番に選んでくれたのだから。
それからやがて目当ての店に辿り着いた私たちは、店内に置かれた種々様々な装飾品を並んで見ながら、手持ちのお金が許す範囲で良さそうなものはないかどうかを探していた。他でもない、私の傍らで微笑んでいるメルが身に着けた時に、最も似合いそうなものはどれだろうかと想像を働かせながら。
――これは、
あ……でも想像してみると意外に結構いい感じ……って、どうしてそこで下着姿のメルが出てくるのよ! だめだめ、ここは普段のメルの姿を想い描きながら選んでいかないと。全く、何を考えているのよ私は……。
「どうしたのリゼ? 何か良いものが見つかったの?」
「へっ? い、いえ。まだ探しているところです……ところで、メル。どうせならまた……昔みたいに装飾品の贈り合いっこをしませんか?」
「それは良いわね……なら、ここはお互いが個別に買って、あとでそれを交換し合うというのはどうかしら?」
「ええ、ぜひそうしましょう! ふふ、相手が何を選んだのか交換の時まで判らないっていうのは、かえってわくわくしてきますね」
そのまま一旦メルと離れ、一人でしばらく店内の商品を見て回るうちに、どうせなら普段でもさり気ないおしゃれとして使えそうなものの方が、メルも喜ぶかもしれないと感じた。特に何気ない時でも自然と目に入ってきそうな、指輪や腕輪などが良さそうに思える。そうすればきっと一人で行動をするような時でも、それを見る度に私のことを心の隣に置いてくれそうな気がするから。
「これは……天然石の腕輪? 宝石みたいでとっても綺麗……」
ふと目に留まったそれは、
「この腕輪にしようかな……メルにもきっと似合うと思う。メル、喜んでくれると嬉しいなぁ……」
その後しばらく経って、私より後に買い物を終えたメルと合流して、街なかを二人で当ても無くぶらつきながら取り留めも無い話をした。
お互いに手持ちのお金をほとんど使ってしまったこともあって、お店などは窓越しに眺めたりその商品をただ見たりすることしか出来なかったものの、私はそうしてメルと何でもない時間を過ごすことがとても楽しく感じた。
そして私は心に決めた。たとえこの先、どんな困難や運命のいたずらが私の前にその姿を現そうと、この幸せだけは決して誰にも渡しはしない……と。
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