第12話 静かな夜に


 ――今日は、これまでになく、色々とあった一日だった。

 疲れている暇もないほどに、大波小波が次々と押し寄せて。

 だけど充実感は確かにある。生きているという、この感触が。


 与えられたものでも、言われた通りでもない、先がまるで見えない道の上で。

 きっと私は初めて、この大地に足を付けて、前へと歩き始めたのだと思う。


「今日は本当にお疲れ様でした、メル」

「リゼ、あなたこそ。今回のこと、私独りではきっと対応しきれなかったけれど、あなたが居てくれたから、何とか乗り越えることが出来たのだと思うわ」

「私は大したことはしていませんよ。ただ、メルに言われた通りに動いて、その中で私に出来るだけのことをしたまで、なのですから」


 ――その、あなたにしか出来ないことのおかげで、私は大いに助けられたのよ。

 そんなあなたに何も告げず、己に課せられた呪縛から独りきりで抜け出そうとしていた私は、本当に浅はかで、愚かで、そして独りよがりだった。


「それでもありがとう、リゼ」

「私には勿体ないお言葉ですが……そう言って頂けると、心の底から嬉しいです」

「ふふ、それじゃあ夜も深くなってきたようだから、そろそろ寝間着に着替えて、床に就きましょうか」


 ――明日は、朝日が顔を出すよりも少し早く、ここを発つ予定。

 リゼはきっと、最後にあの二人の顔を見ておきたいだろうけれど……。


「あら……? リゼ、あなたその腕の傷は――」

「あぁ、あの妖魔と交戦した時の……こんなもの掠り傷ですよ」

「いいから。私に少し見せてごらんなさい」


 この切り傷は紛れもなく、あの時、私の不注意が招いたもの。

 これだけで済んだのは本当に不幸中の幸いだった、けれど。

 私さえしっかりしていれば、負わせることはなかった。


「今からでも遅くはないわね……きちんと手当てをしておきましょう」

「いや、こんなの本当に大丈夫ですから……」

「駄目よ。これは私の責任、なのだから」


 魔現マジックの才に乏しい私では、治癒術レストアだなんて大層なものは使えないけれど、傷口の消毒と、そこに塗り薬を塗布して、包帯を巻くことぐらいなら出来る。


「いっ……!」

「……ごめんなさいね、リゼ。私のために」

「えっ、いや……メルのためなら、こんな傷、いくらついたって全然――」

「いいえ……私は、私なんかのために、あなたのこの綺麗な体に傷がついていくだなんてことが続いたら、私はきっと、自分自身を許せなくなるわ」


 ――あなたのその、嘘偽りのない真っすぐな気持ちは、本当に嬉しいの。

 けれど、あなたのその想いは、いつかあなた自身を殺してしまうかもしれない。


「ねぇ、リゼ。一つだけ約束して」

「約束……ですか?」

「もしいつか、私に大きな命の危機が差し迫ったとしても、あなた自身の命をなげうってまで、私を助けようとすることだけは、決してやっては駄目よ」

「…………」

「その沈黙は了承したものとして、捉えるから……ね!」

「いっ!」

「はい。これで手当てはお終いよ。あぁ、それと……」


 ――今日は残念ながら入浴することは叶わなかったから、その代わりとなるものを。毎度、滞在先で湯浴みをする機会が得られるとは限らないから、身を清めることが出来るこの聖肌水スミュルナだけは絶対に手放せないわ。


「ん、これは……香水、ですか?」

「確かにその役目もあるけれど、これには多くの薬効成分が含まれていてね。こうして肌に馴染ませるだけで、長い時間、清潔を保つことが出来るの。霧吹きに入れたものを衣類にかけても有効なのよ。あとは保湿用のクリームもあるわ」

「そうなんですね。でもこれって、結構くすぐったいような……」

「少しくらい我慢しなさい。それと、後で私にも同じようにして頂戴ね」

「あ……はい。それは全然、構いませんけど……ふふふ、やっぱりくすぐったい!」

「んもう。小さな子供じゃないのだから、しばらくじっとしていなさい」



 ***



 ――前言撤回。直に肌を触れられることが、あんなにこそばゆいものだったとは。

 メルったら、途中からこちらの反応を見て、楽しんでやっていたに違いないわ。

 けれど、肌を通して伝わってきたものはやはり、優しい気持ち、だったわね。


「あの……今日もまた、こうやって眠るのですか?」

「そうよ。あなた、小さい頃はこうしないと眠れないって言っていたじゃない」

「い、一体いつの話ですか……!」

「恥ずかしがることなんてないわ。ここにはあなたと私の二人きり、なのだから」

「それは、そうですけど……」

「さぁ、分かったら寝るわよ。明日も早いのだから」

「はい……ではメル、おやすみなさい」

「ええリゼ、おやすみなさい」


 ――本当は私がただ、こうしたいだけなのだけれど。

 それを口に出す勇気なんて、今の私にはないから。

 だからあともう少しだけ、甘えさせて欲しいの。

 

 あなたが差し伸べてくれる、その手に。

 今日もありがとう、リゼ。また明日ね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る