第129話 戦いのあと


「ねぇ、リゼ。この光に触れていると何だか、身体に力が戻ってくるような気がしない……?」

「そうですね。本当に不思議ですが、身体が軽くなっていく感じがします」

「これは……魔素ですわね。それも極めて純粋で、様々な自然の要素を多分に含んでいる複合魔素。しかしどうしてこんなものが上から降り注いで……」


 東の方から伸びていた光の柱は依然として上空に七色の彩りを湛えながら、牡丹雪のような光の粒をこの辺り一帯に広く降らせていた。


 その光にはイングリートが言う通り、様々な属性の相を併せ持つ特殊な魔素が凝縮されているようで、私たちの身体もそれを吸収したためか、次第に力が漲ってくるように感じられた。


「とにかく私は一度、避難所に戻って王陛下にことの詳細をお伝えせねばなりませんわ。メルセデス、本来なら私は状況の如何を問わず今ここであなたを捕縛しなくてはいけませんが……あなたにはあなたの事情があることが解りましたから、ここは見逃して差し上げます」

「イングリート……」

「けれど、後日そちらの準備が整ったら、必ず顔を出して頂戴。あなたには他の皆にも直接説明を行う義務があるのですから。それまで私は私なりに、あなたから聞いた話をもとにして、次にあなたが説明を行った時にその話がより通り易くなるよう取り計らっておきますわ。もちろん、過度な期待はおよしになってよ?」

「ありがとう、イングリート。次に私がこちらに戻ってきた時には、また改めてお話をしましょう」

「あぁ、それと……うっかり忘れるところでしたわ。先にお話しした少女が、あなたたちのことについて語っていた際、私がメルセデスの知人であることを聞いて、もし会うことがあったらこれを渡すようにと、彼女に頼まれていたのです」


 するとイングリートは、その懐中から徐に取り出した手紙のようなものをこちらに手渡し、私がそれに軽く目を通すと、そこには以前エフェスにしか読めないと言われていたあの独特な字体を持つ文字で何かが書かれてあるのが見て取れた。


「私にはまるで何が書いてあるか判りませんでしたが……あなたたちならきっと、それを読むことが出来るのでしょう」

「ん……これならきっと大丈夫だわ。また後で読ませてもらうわね」

「それでは、私はこれで。ごきげんよう、メルセデス」

「ええ、イングリート。またいずれ、近いうちに」


 それからイングリートは全身に炎のように迸る魔素を纏い、火の粉のような光を放ちながら何もないはずの宙を軽やかに蹴って、元来た方向へと消えていった。


「あの、今の方って、以前にメルたちが話していた、あの?」

「ええ、レイラ。けどしばらく見ていない間に、随分と角が取れた感じがしたわ。あなたもそう思わなかった? リゼ」

「はい。何というかこう、雰囲気がかなり丸くなった印象を受けましたよね。それで……エセルからの手紙というのは?」

「これよ。前に彼女がクレフ遺跡の位置を記した地図をくれたけれど、あの時と同じで、不思議な字体で書かれてあるわ。エフェス、あとで読んでみてくれるかしら」

「うん、任せて」


 そして私たちはアンリからの連絡を受けて姿を現した空中船に乗り込み、未だ七色の光が降り注ぐ中、フィルモワールへ向けて飛び立った。エフェスは船内で私が手渡したエセルの手紙に目を通し、しばらくしてその内容を私たちに伝えてきた。


 エセルの手紙に記された内容によると、彼女は先のクレフ遺跡から辛うじて脱出を果たした後、ある目的のために私たちのもとに姿を現すことなく、すぐさま世界各地に点在するというある場所を訪れて回っていたとのことだった。


 エセル曰く、大地の奥底には魔逕脈アンヴェーナなる、葉脈のように世界に遍く拡がった天然魔素の諸流が無数に存在しているらしく、さらにそれらが集中することで自然形成される竜血泉フォンテス・ドラコヌムというものがあるようで、世界各地にはその魔素の泉を刺激するための地下施設が遥かな昔から存在し、しかもその多くが今もまだ機能が生きているとの話だった。


 元々それらの施設は、地上や大気中に含まれる自然の魔素が何らかの理由で欠乏した際に、その枯れた地を潤す手段として、竜血泉を刺激することにより地下に流れる膨大な量の魔素を上空にまで一気に噴出させる目的のもとに、古代の人間たちがその卓越した技術を以て建造したものらしかった。


 そしてかの落胤はそれを利用してこの世界を自分たちにとって最も適した環境に改変するべく、その竜血泉に蓄えられた魔素を妖気の構成体である妖素マリスというものに変異させた上で、全世界に高濃度の妖気を遍く循環させようと目論んでいた様子で、多くの都市で発生した人間の妖魔化現象は、多くの人間に一度に変異を齎せるかどうかを実際に試す、ある種の実験であったようだった。


 なお私たちが落胤と対峙した際には、彼が自らの手で世界に改変を加える一歩手前の段階にまで達していたらしく、エセルはそれまでに各施設に配されていたという彼の手下を人知れず葬り去って、私たちが落胤の精神体を討滅した瞬間を見計らって施設の一つに転移し、そこから全施設を連動させることによって、地上に極めて純度の高い天然魔素を充溢させ、まだ多く残っていた妖魔化の影響を一気に鎮静化に向かわせようと陰で活躍していたことが窺えた。


「エセルが生きていたこともそうだけれど、私たちが落胤のもとに辿り着く前に彼女のそんな活躍があっただなんて……本当に何も知らなかったわ」

「私も……それに、生きているのならすぐに知らせてくれれば良かったのにと思いましたが、エセルにはエセルで何か想うところがあったのかもしれませんね」

「でも、生きてるならきっとまた私たちのところにも顔を出しに来るんじゃない? この間だってメルお姉ちゃんのお店に来たんだからさ」

「ええ、そうね。それにリゼが手作りのお菓子を用意しておけば、またひょっこりと姿を現すかもしれないわ。あの子ならあなたが少々お菓子を焦がしたりしても、きっと喜んで食べてくれるわよ」

「う……あれは新しい器具の取り扱いにまだ慣れていなかったからで……でもそういうことなら、次は必ずちゃんとしたものを用意しておきます。どうせならより美味しい方が良いに決まっていますからね!」


 その後、フィルモワールへと無事に帰還を果たした私たちは、未だ意識の戻らない父をひとまずアンリの組織が所有する医療施設へと預け、またリゼも変若水アムリタによって回復したとはいえ、一度は死に瀕したことから、同施設での診察を受けると共に大事を取って一日入院をすることになった。


 一方で私はぼろぼろになった衣服を屋敷で着替えた後、シャル、アンリと連れ立って玉座に赴き、女王陛下にことの顛末を子細に渡ってお伝えし、またあのイングリートが言ったように、当事者としての説明責任も果たすべく、ロイゲンベルクの王陛下に宛てた親書を賜ることになった。


 それから陛下との謁見を終え、組織への報告もあったアンリと一旦別れた私とシャルは、屋敷に向かう馬車の中で言葉を交わしていた。


「せっかく戦いが終わったというのに、後始末というのは本当に厄介なものね」

「ふふ……シャル、私って今でもロイゲンベルクではお尋ね者扱いのままなのよ? それに父は落胤にその心身を操られていた身だったとはいえ、妖魔を引き連れて王陛下たちに反旗を翻した事実に変わりはないから、色々と込み入っていて」

「しかし女王陛下からの親書を賜った以上、あなたの身の安全は確実に保障されるわ。何より今のあなたはフィルモワールの国民で、落胤の魔の手から全世界の人たちを救った一人なのだから。世の救い手として感謝されこそすれ、罪人として糾弾されることなど決してあってはならなくてよ」

「私自身はそんな大層な存在では無いし、私一人の力でやったことではないから、今回のことを別に大勢から感謝されなくても良いのだけれど……私個人としては、私に纏わるありとあらゆる誤解が正された後に、身に覚えのない汚名をそそぐことが出来さえすれば、他には何も望まないわ」

「ふ、相変わらず私欲がないのね。けどそれもあなたの素敵なところよ。ここから数日間は慌ただしい日々が続くでしょうけれど、面倒な後始末が全部片付いたら……そうね、皆で紅葉狩りにでも出かけるというのはどうかしら?」

「紅葉狩りか……それはとっても良さそうね。今度こそは真に何の憂いも無く、心から皆と過ごす時間を楽しむことが出来るわ」

「じゃあ決まりね! あとでステラにも話を通しておくわ」


 これまでも皆で出かけたことは何度かあったものの、私の心の奥底では、その平穏な時間をいつかまた誰かに奪われるのではないかという恐怖が常に付いて回っていたように思える。


 それはフィルモワールに定住するようになってから慌ただしく過ぎ去った時間の中でも、私の背後で影の如く身を潜めていたようで、特にエセルが姿を現したあの時には、それまでに陰で山積していた不安が一度に再燃して、本当にどうにかなってしまいそうだった。


 しかしそんな私に暗い影を長きに渡って落とし続けていた存在は、もう居ない。あとはこの私がもう少しだけ頑張って、僅かに燻る懸念を払拭することさえ出来れば、私とリゼたちの皆が、真に穏やかな時間を手にすることが叶う。シャルの言った私欲というものが私にも出てくるとすれば、きっとそこからだった。



 ***



 王城から馬車で屋敷に戻った私は、主庭園にある噴水の近くにある長椅子に一人で腰掛けて、これからのことに思いを馳せながら、最初から何事も無かったかのように抜ける青を湛えた空の彼方へと視線を投げかけていた。


「何だメル、こんなところに居たのか?」

「あれ、師匠じゃないですか。お部屋で休んでおられたのでは?」

「何というか、魚を狙っているわけでもないのにじっとしたままなのは如何ともし難くてな。気付けばこうして庭にまで出てきていた」

「はは、何とも師匠らしいですね。今日は流石にお手合わせとは参りませんが、よろしければ隣にどうぞ」


 私がそう言って手で指し示すと、師匠は常と変わらない調子のままこちらへと歩み寄り、間もなく私の左隣に腰掛けた。


「時にメルは、以前はあのロイゲンベルクという国に住んでいたそうだが、また戻ったりはせぬのか?」

「ええ。今はここが私の故郷、ですから。後日、王陛下に説明を行うためにもう一度行くことになりますし、父が戻ることになったらその後もきっと、お母様やお兄様のお墓参りも兼ねて、何度か顔を見せにいくことになるとは思いますが」

「そうか。私にはまだ自分に纏わる記憶が断片的にしか戻ってはおらんが、住めば都という言葉が頭の中に浮かんでくるのが分かるぞ」

「師匠は以前からずっと各地を流離さすらっておいででしたからね……事実ロイゲンベルクにいらっしゃった時も、一所に留まるのは性に合わないと仰っていましたから」

「ふむ。やはり記憶が無くとも、人の根っこというものは変わらないらしい」

「ということは……また、何処かへ旅に出られるのですか?」

「そうだな。近いうちにまたここを離れて、風の赴く先を訪ねようかと思う」

「やはりそうですか……師匠、これは私のお願いなのですが、出立の日時を少しだけ先に延ばしてはもらえませんか? 実はもうすぐ皆で紅葉狩りに行くことになっていまして。師匠にも良ければご一緒願いたいのです。私たちと来ていただければ美味しいものもきっと頂けますよ?」

「ほう……美味いものか。いいだろう。出立するのは舌鼓を打ってからでも決して遅くはない」

「ふふ、それは何よりです。後ほどシャルたちにもそのように伝えておきますね」


 ――リゼたちは私が訊くまでも無く二つ返事で快諾するでしょうから、あとはアンリね。彼女の都合をつけることは流石に難しいかもしれないけれど、私は出来れば全員で揃って、穏やかな時間を楽しみたいもの。そして願わくば、あのエセルもまたふらっと私たちの前に現れてくれれば、嬉しいわね……。

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